私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

カナダは石綿を大量輸出している!

2009-06-24 10:48:18 | 日記・エッセイ・コラム
 いまコンゴについてのシリーズを書いている途中ですが、大変ショッキングなニュースに出会いましたので、それを取り上げます。日本のNHKに相当するカナダの公営放送CBCが製作したドキュメンタリーで「カナダの鉱業会社がアスベスト(石綿)を大量インドに輸出している」ことが報じられました。インドでは、建築資材その他で、未だアスベストの使用が禁じられておらず、その発癌危険性が十分に認識されていないために、現場でアスベストを扱う労働者たちも、ただ埃よけの簡単なマスクや布で顔を覆っただけで、平気でアスベストの粉塵の中で働いているところもテレビに映りました。
 アスベストが中皮腫(体内の皮膜に生ずる腫瘍)や肺がんを起こすことは先進工業国では1950年代から広く知られるようになり、日本でも1970年代には政府もアスベストの発癌危険性について警告を発するようになりましたが、問題の深刻さを人々がはっきり認識するきっかけになったのは、2005年6月に、日本最大のアスベスト使用会社クボタが、2004年までにアスベスト(石綿)関係の疾患で79人の死者を出している事実を発表したことだったようです。2006年6月には、厚生労働省は、アスベスト(石綿)の輸入や石綿を含む製品の製造を(代替困難な場合を除いて)全面的に禁止し、また、石綿関係の疾患の潜伏期間が長いことを考慮して、石綿を扱った人々の作業記録や健康診断の記録の保存期間を、接し終えてから40年と定めたことが報じられています。
 カナダのアスベスト産業については、私の頭にこびりついている事がありました。それは、1949年のケベック州でのアスベスト労働者たちの大ストライキです。その頃ケベック州はモーリス・デュプレシという強権的政治家の支配の下で社会的に沈滞していました。カナダという國を本格的に知るための好著でカナダ首相出版賞を受賞した吉田健正著『カナダ20世紀の歩み』(彩流社、1998年)から、関係部分を引用します。:
■ (デュプレシ政権のもとで)金権政治、腐敗政治、強権政治がはびこり、労働組合は投資や経済発展を疎外するとして弾圧された。デュプレシ政権は、たとえば、1937年に「パドロック法」(パドロックとは南京錠のこと)を制定し、共産主義活動がおこなわれているとみられる施設を閉鎖する権限を警察に与えると称して、政敵の言論活動を封じた。また約五千人の労働者を巻き込んだ1949年のアスベスト社のストライキは、労働組合から「反労働大臣」と呼ばれていたアントニオ・バレット労働相が、州警察を動員して鎮圧した。一部のカトリック聖職者たちも支持した四ヶ月におよぶこのストは、「静かな革命」の前哨戦になった、と言われる.■(吉田、p198)
このケベックの「静かな革命」は、戦後のカナダの最大の社会変革で、それは、やがて異色のカナダ首相となるピア・トルドー(1919-2000)という傑物を生み出します。ハーヴァード大学とロンドンで経済学者ハロルド・ラスキの下で学んだ若いトルドーは、アスベスト・ストライキに身を投じて労働者の支持に熱情を注ぎ、事件についての著作も出版します。その当時はケベック州のアスベスト産業は米国資本の支配下にあり、労働者の待遇は劣悪でアスベスト粉塵の危険にもろに曝されていました。会社側はアスベストによる健康被害は存在しないという主張を強引に押し通していたようです。
 私の興味の中心は、私がカナダに移住した1968年のその年に、カナダ政界に彗星のように現われて自由党総裁となった48歳のピア・トルドー(Pierre Trudeau)個人に集中したために、今日まで、カナダの労災、産業公害としてのアスベスト問題については調べたことがありませんでしたから、今度のCBCのドキュメンタリーで、ケベック州で依然としてアスベストの露天掘りが大規模に行われ、大量のアスベストがインドに輸出されていると知って、あわててインターネットでカナダのアスベスト対策の事を調べてみて驚きました。日本での規制状況のほうが、カナダよりもはるかに良いのです。アスベストが発がん性物質であること、過去にアスベスト会社が労働者に無害だと言っていた事が嘘だったことは十分に認められています。2005年度の産業災害死者1097人の三分の一がアスベスト疾患による死者であった事も明らかにされています。しかし、カナダ政府は「アスベストはよく注意して取り扱えば被害は避けられる」という基本的姿勢を頑固にとり続けています。既存の建物からアスベストを取り除く作業も日本と同じように実施していて、国会議事堂についても、大きな国家予算を組んで除去作業がおこなわれました。しかし、一方では、子供の玩具に使用されるのを禁じる法律がないといいます。カナダ国内のいろいろの団体が開発途上国へのアスベストの輸出禁止の運動をやっていますが、カナダのハーパー政権はそれに踏み切ることをしません。カナダ国内のアスベスト鉱山(mines)では作業は自動化されていて、従業労働者の安全には十分の配慮がなされているようですが、輸出先のインドやインドネシアではアスベストの危険性に対する認識が低く、労働者も一般の人々も、アスベストを吸い、皮膚をさらしています。しかも、カナダの会社も政府もそれを十分承知の上で、大量輸出を続けているのです。「地雷(land mines)を輸出することとアスベストを輸出することに何の違いがあるか!」と自国を責めたカナダ人が居ます。カナダが開発途上国に輸出したアスベストは、やがて、地雷と同じように、いや、地雷より多くの、無数の人間を殺すに違いありません。アメリカは未だに地雷輸出禁止条約を批准していませんが、カナダは率先して批准しました。私はそのカナダを称賛したことがありますが、いまは複雑な気持です。人間にとって、会社にとって、国にとって、“儲かる”ということがそれほど大事だということを一体どう考えたらよいのでしょうか?
「儲けの問題だけではない。これが政治というものなのだ。カナダはフレンチ・カナダ(ケベック州)の分離独立という爆弾を抱えている」という人もあるでしょう。では「政治」というものは一体どうあるべきものなのか? 私の想いは、ここでまた、若い時アスベスト労働者のストに加わって戦った名政治家ピア・エリオット・トルドーに戻ってゆきます。
 アメリカと違って、カナダには国家的英雄、偶像的大政治家というものがありません。そういうものを國として祭り上げたりしない点で、カナダはすがすがしい國ですが、強いて、カナダ人がカナダの偉人を十人選ぶとすれば、トルドーは必ずその中に入ることでしょう。政治家としてのトルドーについては、上掲の吉田健正著『カナダ』に過不足のない記述がありますので、興味のある方は是非お読み下さい。トルドーは隣の大国アメリカを恐れず、自分が正しいと信ずる外交政策を遂行しました。カストロのキューバとの外交関係を維持し続けたのもその顕著な一例です。単に国交だけでなく、トルドーとカストロは個人的な親友になりました。そのため、アメリカの機嫌を大いに損ねて、ひと頃は入国禁止の措置にも会いました。まずトルドーを暗殺し、その葬儀に参加するためにカナダにやってきたカストロを葬儀の場で暗殺する計画が考えられたという噂も流れました。私の記憶に間違いがなければ、2000年、モントリオールのカトリック教会で行われたトルドーの葬儀には74歳のカストロも出席し、柩を肩にして運びました。トルドーが掲げた政治的スローガンは「Just Society(正義の社会)」です。私の語感としては、「正しいことがそのまま通る社会」といった、あまり肩を張らないメッセージのように思えました。いま評判のバラク・オバマの「Change(変革)」が頭に浮かびます。「オバママニア」と同じように、トルドーも「トルドーマニア」の現象を引き起こしました。しかし、トルドーとオバマは、政治家として、またハーヴァード出のインテリとして、異質の人間だと思います。仮に今、トルドーがカナダ首相だったとしたら、おそらく、アスベスト輸出禁止に踏み切ったでしょう。オマバ大統領は、現実問題として、アスベスト使用規制禁止の課題を抱えています。アスベスト産業に対する甘さの点でアメリカはカナダと似たようなもので、世界貿易自由化の立場から考えて、カナダの産業的輸出に制限を加える行為に出ることはありますまい。それが他のことにつながって、アメリカの“儲け”を損なっては大変ですから。20年、30年後にインドの貧民がアスベスト疾患で多数死ぬことを本気で心配してはいないだろうと思います。それが「オバマ政治」、「国際政治」というものなのでしょう。

藤永 茂 (2009年6月24日)