私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

“ストーリー”はもう沢山だ(1)

2008-11-19 13:35:47 | 日記・エッセイ・コラム
 ある“偉い”人物の正体を、知名の識者やジャーナリストより、市井の素人や子供の方がより的確に嗅ぎつけるということはあり得ないのでしょうか?あり得ないことではありますまい。
 私がバラク・オバマという人物に強い興味を持ってから、つまりバラク・オバマ・ウォッチングを始めてから、もう2年ほど経ちました。このブログで彼に対してはっきりとネガティブな見解(というかgut feeling )を私が表明したのは、2007年10月10日付けの『アメリカでの黒人差別(2)』でしたが、それ以来、彼が大統領選挙運動開始の原点として書いた200万部の大ベストセラー『The AUDACITY of HOPE』(2006) も読み、それに続く重要政見演説、ヒラリー・クリントンに勝った時(2008年1月3日)、そして第4代アメリカ合州国大統領になることが決定した2008年11月4日の勝利演説(Victory Speech, Acceptance Speech)もYouTubeで見て聞き、そのトランスクリプトも読みました。しかし、人々がいう世界史的な劇的勝利をバラク・オバマがおさめた今も、彼に対する私の気持は何ら変わっていません。一体、この私の心理的状況を、私自身、どう受け止めればよいのでしょうか。世界中の識者の殆どが、この新しい「世界のプレジデント」、絢爛たる新しい王様に賞賛の言葉を捧げているのに、王様は裸だと思い続ける私は全くどうかしているのかもしれません。(Something’s wrong with me?)思い切り逆張りをして、自分の予言が当るのを秘かに願っているのでは決してありません。この新しい王様には全世界の民衆の期待に沿う善政を敷いてもらわなければなりません。ブッシュ・チェイニーの路線からきっぱりと外れた道を選ばなければ、無数の無辜の人間たちの悲惨が続きます。
 James Wood という英文学批評家兼小説家がいます。この5年ほどはハーバード大学の教授として文学批評論の講義を行い、私も愛読するNew York Review of Books やLondon Review of Books にもしばしば彼の論評が出ます。THE NEW YORKER の11月17日号に「VICTORY SPEECH」と題して11月4日(火曜日)夜のバラク・オバマの勝利演説を絶賛するウッドの一文が出ていて、次のように始まります。:
■ A theatre critic once memorably complained of a bad play that it had not been a good night out for the English language. Among other triumphs, last Tuesday night was a very good night for the English language. (かつて、ある演劇評論家が出来の悪い芝居を観に出掛けて行って、「英語にとって良い夜ではなかった」とこぼしていたのを憶えている。この火曜日の夜は、他の数々の勝利の中で、英語にとっても極めて良い夜であった。)■
勝利演説の中で、聴衆からの唱和を含めて、11回も繰り返された“Yes we can” というスローガンさえも、この英語の達人は口をきわめて褒め上げます。ネイティブな英語感覚を持ち合わさない私が、いささかの違和感をここで告白しても、おそらく、何の意味もありますまい。しかし、次の一点だけは述べておきたいと思います。ウッドさんが何と言おうと、どうしても腹に据えかねるからです。それは“ストーリー”による大衆心理操作の濫用です。
 アメリカの大統領が大切な演説の演壇で愛する奥さんや子供たちの話をするのはお決まりのことで、来年1月にホワイトハウス入りをするオバマ家でも、お嬢さんが新しい子犬を買ってもらうのだそうです。ニクソン大統領の場合には、たしか、お母さんが娘さんのセーターを編んでやったことを聞かされました。慣行とはいえ、バカバカしい話だと、私には、思われますが、それにしても、特に今回の選挙戦では「ストーリー」が余りにも多く語られ過ぎました。そのために肝心の政策論議がかげを潜めてしまいました。アメリカの一般大衆は政治家や選挙運動家から諸々の“良いお話”を過剰に聞かされて、アメリカの政治的現実についての彼らの認識を曇らされてしまったのでした。Joan Didion という優れた女流作家がいます。作家としての感受性の鋭さではウッド氏より勝っているでしょう。以下の彼女の発言は11月4日より1ヶ月ほど以前のものですが、ここでは“stories” の問題が取り上げられています。:
■ For at least some months it had been clear that we were living in a different America, one that had moved from feeling rich to feeling poor. Many had seen a mandate for political change. Yet in the end the old notes had been struck, the old language used. The prospect for any figure had been evaluated, now as before, by his or her “story.” She has “a wonderful story” we had heard about Condoleezza Rice during her 2005 confirmation hearings. “We all admire her story.” “I think she’s formidable,” Senator Biden said about Governor Palin a few weeks ago. “She has a great story. She has a great family.” (少なくともこの数ヶ月の間、我々は今までと違うアメリカに住んでいること、豊かな感じから貧しい感じに移ったことがはっきりしてしまった。政治的変化があるべきだという見解を多くの人々がとるようになっていた。それだのに、結局のところ、古い口調が持ち出され、古い言葉が使われた。どの人物の品定めをするにも、相変わらず、彼あるいは彼女の“ストーリー”で評価が行われてしまっている。コンドリーザ・ライスについても、2005年の彼女の(国務長官就任の)批准公聴会で、彼女は“素晴らしいストーリーの持ち主だ”、“我々すべて彼女のストーリーに感服する”と我々は聞かされた。数週間まえのこと、バイデン上院議員は州知事ペイリンについて“彼女は手強い相手だと私は思う”、“彼女は偉大なストーリーの持ち主だ。彼女は偉大な家柄だ”と語っていた。)■
このように書いていたディディオンさんは11月4日火曜日夜のバラク・オバマの勝利演説について、ウッドさんとは違った感想を持っただろうと私は想像します。黒人女性初の国務長官コンディ・ライスさんの“素晴らしいストーリー”、それはバラク・オバマの感激的なストーリーの見事な女性版です。ウィキペディアで読んでみて下さい。このあらゆる才能に最高に恵まれた黒人女性がブッシュの右腕として推進した数々の海外政策を、ディディオンは、不吉な想いを添えて、バラク・オバマの未来に向けて投影していたのではないか-これが私の推断であり、妄想であります。
 バラク・オバマは百六歳の黒人老婆のストーリーを次のように語りました。勝利演説の最高のサワリの部分です。:
■ This election had many firsts and many stories that will be told for generations. But one that’s on my mind tonight’s about a woman who cast her ballot in Atlanta. She’s a lot like the millions of others who stood in line to make their voice heard in this election except for one thing: Ann Nixon Cooper is 106 years old. (この選挙では沢山の「初めての偉業」と沢山のストーリーが達成され、それらは何代にもわたって語り継がれることでしょう。しかし、今夜、私の胸にあるのはアトランタで票を投じた一人の女性のストーリーです。彼女はこの選挙で自分たちの声が聞き届けられるように投票の列に立ち尽くした他の何百万の人々とよく似てはいますが、ただ一つ違ったところがあります。アン・ニクソン・クーパーさんは百六歳なのです。)■
 この黒人老婆のお話は次回に致します。

藤永 茂 (2008年11月19日)