私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

アメリカは変わるだろうか?

2008-11-05 14:04:52 | 日記・エッセイ・コラム
 アメリカについての本を少し詰めた日程で書くことになりましたので、このブログの性格をしばらく変えることにします。本の主題は「アメリカは変わるだろうか?」ということです。数日前に書いた冒頭の文章は次の通りです。:
■ アメリカは変わるだろうか?もちろん、変わる。変わらなければ、このままの有様が続けば、アメリカそのものが、リーマン・ブラザーズのように、破綻する。このまま暴走を続ければガードレールを破って断崖の底に転落してしまう車-それが今のアメリカだ。誰が大統領になったにしても、ハンドルの切りかえは必要だった。■
 正直なところ、この毎水曜に書き綴ってきたブログの性格を、一時的にでも、変える事には、いささか後ろ髪を引かれる思いがないではありません。(実際の私の頭にはもう引かれる後ろ髪など無いのですが)。何よりも気にかかるのはアフリカのことです。ジンバブエと南アフリカの国内事情はひどいことになっていますが、その惨状の責任者であるジンバブエのムガベと南アフリカのムベキが権力の座を追われる形で、欧米の言う政権変化(regime change)が行われつつあります。ムガベとムベキは、国外からの莫大な援助と国内で生み出される富のすべてを、自らとその取り巻きの権力者層の私腹に収め、国家も国民も捨てて顧みなかった独裁的政治家として描かれています。第二次世界大戦後しばらくしてからアフリカ諸国は白人支配からの独立闘争を始めましたが、その闘士たちの第一世代で、今日まで生き残っていたのは、ムガベとムベキ、この二人の老政治家だけになっています。あくまで権力の座にしがみつく狂暴な老独裁者としてムガベが世界中の輿論から袋だたきにあっているのに、ムベキは最後までムガベを助けようとしました。アフリカ独立を戦い取った第一世代の闘士としての戦友意識もあったのかもしれませんが、私には、何かそれ以上の理由があるに違いないと思われてなりませんでした。ジンバブエと南アフリカについての日本語で読める解説書や新聞評論の類いは、私の疑問を解くのに殆ど何の役にも立ちませんでしたが、あれこれ読み漁っているうちに、次第に物が見えてきたような気がしています。大げさに言えば、欧米との関わり合いという視角から見たアフリカの歴史的全体像が、あらためて、よりはっきりと見えて来たということです。ほんの数年前からアフリカの勉強を始めた素人として誠に傲慢な口の利き方で申し訳ありませんが、これを裏返せば、マスコミ的な情報が如何に私ども一般の人間たちの判断を曇らせ、誤らせているかの一つの証左でもあります。もう少し具体的に言えば、ジンバブエと南アフリカから白人たちが手を引いて独立が達成されたように見えた時に、白人たちはジンバブエと南アフリカに何を残して行ったか、これが問題なのです。少なくとも、それが問題の半分なのです。その半分が私たちの視野から欠け落ちると、ジンバブエと南アフリカで今起こっていることがよく理解できなくなります。アメリカについての本を書く仕事の片がついたら、また、アフリカの「闇の奥」で実際に起った事、起こっている事を見据える努力を再開続行するつもりです。
<付記>『藤永茂のオバマ批判』と題して、aquarian 様から詳しいコメントを私のブログ『オバマ氏の正体見たり(1)』(2008/6/25)に付けて頂いたので、興味のある方は是非お読み下さい。つい先ほど(11月5日午後1時)のテレビ朝日のニュースでオバマ大統領の確定が報じられ、「45年前のキング牧師の“I have a dream”のそのドリームが今オバマ氏によって実現されたわけです」と解説されていました。私はそうは思いません。キング牧師が夢に描いていたのは半黒人の大統領が実現することなどではありません。アメリカが別の國に生れ変わることがキング牧師の夢であり、要求であったのです。彼が暗殺される前年に行った、彼の遺言とも言える、『Where Do We Go from Here?』という講演を読んで下されば分かります。

藤永 茂 (2008年11月5日)