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生きること:過去と未来とエスペラントと

8月3日:フランダースの野に

2015-09-14 06:33:55 | エスペラント
 この日の遠足はイーぺルその他の地へ9:45に出発することになっていました。朝時間があります。聖バーブ教会には納骨堂があるとのこと。ヨーロッパの納骨堂は日本の納骨堂とは全く違います。どうしても友人に見せておきたいと教会が開かれるという8時にホテルを出ました。しかし扉は閉ざされたままでした。やむなく近くを散歩。帰ってきたら扉は開いていましたがもう時間がないので遠足へ

イーゼルの塔。

イーゼルの塔近くにあるベルギー人の墓碑

ふと見ると足元にケシの花ではありませんでしたが赤い花が一輪咲いていました。突然、以前ブログで『フランダースの野に』という詩読んだことを思い出しました。『あの詩?作者は誰だったですか?』と口にするとP氏がジョン・マクレーと云い、私たちの立っている場所から2キロぐらい離れた病院で亡くなったことなども含めて、当時の戦いについて話してくれました。

 私たちベルギー人はイギリス系でもドイツ系でもないのです。祖先はケルトです。ですから、カナダ人・オーストラリア人・インド人などと一緒に戦いの中で差別待遇を受けました。ドイツ人はドイツ側につけばオランダからの独立を保証すると云い、一部にはそれを受け入れた人もいて、時にはベルギー人同士の争いにまで発展しベルギー人とても苦しみました。。

 ドイツの前進を阻んだのは水でした。この辺りは潮の満ち干によって塹壕が水浸しになったので前へ進めなかったのです・・・
などなど。

 http://blog.goo.ne.jp/serena_2005/e/f481ccfdc4720f6cc8ac2118f4bf84ce
 2005年のserenaさんのブログでした。

 私たちは塔から記念館に向かい、記念館の屋上から元戦場を眺めました。



記念館への道を通ると戦死者の名前が読み上げられます。


 記念館の上からイーゼル川を望む。当時はこのように整備されていなかったでしょう。


記念館の上からイーゼル川と反対側を眺めると鉄道が見えます。鉄道と川の間が当時の水没地域だったらしいです。


 塔へ登る前に説明がありました。行きはエレベーターを使いますが帰りは徒歩で。どうしても歩けない人は身障者用のボタンを押すと下まで降りることができます。
 私と友人はエレベーターを使うまでもないと階段をおりました。私たちは一番に階段を降りはじめたのです。ところが後からだれも来る気配がありません。4階まで来て時計を見ると集合時間が近づいていました。エレベーターの場所探し、ようやく止めたらそれは上ってゆくところでした。二人で走ることにしました。3階だったでしょうか。真っ暗やみでした。足場は悪く、渡り廊下がガタビシとなります。左側は塹壕の中の寝床を表現しているようでしたが眺めている余裕などありませんでした。二人で手探りで階段を下りどうにか外に出ることができました。もうみんなバスに乗っていました。15分の遅刻でした。
 みなさん、エレベーターを使ったようです。

 昼食時にP氏は娘が小さい頃初めて連れてきた時に迷子になって泣きやまないのでアイスクリームを買ってやったよと話していました。(子どもと一緒にしないで!)
 昼食後はドイツ人墓地とイギリス人墓地へ行きました。
ドイツ人墓地

ドイツ人墓地

一つの墓碑に数名の名が刻まれています。
息子を戦いで亡くしたドイツの女性芸術家が作成した両親の悲しみの像

像の制作者とその夫

イギリス人墓地

 私には読めませんでしたが、カナダという文字に魅かれて・・・。

立派で綺麗です。裏面には THEIR NAMA LIVETH FOR EVERMOREあります。

 墓碑には国と宗教が刻まれています。この墓碑はインド人のもののようです。日本・神戸と云う文字に魅かれます。
 イギリス人墓地は広々として手入れが行き届ききれいです。数年前まで衛兵もイギリスから派遣され、手入れもすべてイギリス人がしていたそうですが、最近ベルギー人に委託されたそうです。



 『追記』
 書こうと思って本を出していたのに書き忘れました。第一次世界大戦の様子を書いたエスペラント小説があります。参考にしてください。
Trevor steele 著:Kvazaŭ ĉio dependus de mi
ノーベル平和賞を受賞したカール・フォン・オシエンツキーをモデルにしています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%BC


コメント (1)
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兵士たちの群像

2012-07-10 10:35:56 | ケチケチドキドキカナダ旅行
カナダの国会議事堂前には各州が連邦に参加した年号とその州花のレリーフがあります。プリンスエドワード島が参加した時の話を聞いて笑ってしまいました。プリンスエドワード島は参加の遅い州ですが参加したのではなく、他の州を自分の仲間にしてやったという表現をしたそうです。誇り高い人々が住んでいる土地のようです。  その近くに兵士の群像がたっています。側面には年号が書かれています。二つの世界大戦、朝鮮戦争などでしょう!
兵士の群像



 
11月11日はなくなった兵士を偲んで慰霊祭が行われるそうです。ジョン・マクレーの詩『フランダースの野に』にちなんで赤いポピーの花を人々は胸に飾るとの事です。詳しくはserenaさんのブログにあります。
http://blog.goo.ne.jp/serena_2005/e/f481ccfdc4720f6cc8ac2118f4bf84ce

 『抜粋』
フランダースの野に

フランダースの野に芥子の花がそよぐ
列また列と並ぶ十字架
僕たちの場所と印された十字架の野に。
そして空には、勇敢にも歌いながらひばりが飛ぶ、
砲音の真っ只中その声はかき消されて

僕らは死者、昨日まで生きていたのだ
曙を感じ、夕日が輝くのを見ていた
愛し、愛されてもいた。そして今ここに横たわる
フランダースの野に。

僕らの戦いを続けてくれ
倒れながら、君たちにたいまつを投げ渡そう
君たちの手で高く掲げてくれ。
死ぬ僕らの信頼を裏切るなら、僕らは眠れない
どんなに芥子の花が育とうと、ここ
フランダースの野に。

In Flanders fields

In Flanders fields the poppies blow
Between the crosses, row on row
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.

We are the Dead, Short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved, and were loved, and now we lie
In Flanders fields.

Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow.
In Flanders field.

(エスペラント訳)
En Flandruja Kampo

Per John McCRAE
En Flandruja kampo la papavoj frapas
Inter krucoj, vico sur vico
Kio markas nia placo; kaj en la cielo
La alaudoj, ankorau brave kantantaj, flugas

Apenau audite meze de pafiloj malsupre
Ni estas la mortintaj, tagoj antaue
Ni vivis, sentis tagigon, vidis sunsubir’ brile
Amis, kaj estis amataj, kaj nun ni kusas
En Flandruja Kampo

Prenu nian kverelon kun la malamikoj
Al vi ni jetas de malplenumitaj manoj
La torcon; estu via teni gin alte


Se vi rompas fidon de ni kiu mortas
Ni ne eblas dormi, malgrau kreskas papavoj
En Flandruja Kampo
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