昨日エスペラントアジア運動の会報を受け取りました。日本韓国共同開催のエスペラント大会のプログラム、その他各国の運動など盛りだくさんでした。
中でも私が興味を持ったのはベトナム戦争で戦死した女子の日記です。 HIERAUXNOKTE MI REVIS PTI PACO (ゆうべ私は平和を夢見た)についての記事でした。アメリカの士官が拾い保管し、35年後に化のぞの家族に返還し、すでに18カ国語に翻訳されているそうです。
なぜ強烈に魅かれたかと言いますと、99年アジア大会がハノイで開かれました。空き時間に一人で美術館に行きました。その時戦争絵画を見ました。絵の上手下手は私にはわかりませんが、すべての絵が穏やかで、戦いへの静かな情熱を感じたのです。
その時、写真を撮りたくなりました。 監視員にとりたいとカメラを見せたら取りなさいと笑顔でうなずいてくれました。上の写真はその時と撮った写真の中の一枚です。夜に砂丘を移動する女性兵士たちです。砂を踏む音が聞こえてきそうでした。私は写真を写すのが下手です。来年は世界エスペラント大会がハノイで開催されます。またエスペラントと関係なくハノイに行く方もいるでしょう。ぜひ少人数で行ってみてください。心にしみるような絵でした。
ラオス人ですが、ベトナムで教育を受けて大学まで出たひとです。戦後生まれの私が親から聞いて育ったように、娘婿もベトナム戦争の様子を父親から聞いて育っています。ラオスのある地域は米軍の軍事作戦の通り道に位置していたことから、ある少数民族は米軍に加担しました。そのため、戦争終結後は国内で非常な差別を受け、それが未だに尾を引いて、タイ国境近くに難民として暮らしていたり…。
もうベトナム戦争から35年も経ち、経済復興も盛んで、戦争を知らない世代がすっかり多くなっているのは、日本の辿った道と似ているところもあるのでしょうか。
ベトナムのその博物館の説明員が、そんな人だったというだけのことだと。
数人と交流して、すぐ「その国にではねー…」という言い方、「またか」と思ってしまいます。日本人にもいろいろな人がいるように、そこの国にもいろんな人がいるのです。観光客相手の説明では、あまりドロドロを前面に出すのもどうかという配慮があったり…、いろいろです。
年の功、ってそんな(物事を把握する仕方)ところで発揮したいと。
いかがでしょうかglimiさん。
枯葉剤で苦しんでいる大人や児童が暮らしている施設をわざわざ探して訪問したのですが、彼女たちの目にはそのような弱者の存在は写っていないのではないかと不安でした!高々20年前のことをあっさりと歴史にしてしまっていいのだろうかと!
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に対して、ベトナム人でも、日本人でもいろんな人がいるでしょうから、
ベトナム人は…、日本人は…と、短絡的に決め付けたくはないですね。という意味でした。