glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

ウィンの話:遠い島スマトラ

2005-07-16 06:25:23 | Weblog
ウィンはお茶を飲みながら言いました。
『あなたはいつ私に賠償金を払ってくれる?』私はビックリしました。少し話しを聞いて判ったのですが、これは私への要求ではなくて日本人に対する要求でした。エスペラントでは単数でも複数でも2人称はviなのです。

 ウィンはオランダ人だったのです。彼はスマトラ島で生まれました。現在のインドネシアです。3才の時に日本がスマトラ島を占領し、男達は強制労働に借り出され、女と子どもは強制収容所に収容されました。ウィンの母親の話によると劣悪な環境で多くの子どもがチフスその他の病気でなくなったということです。
 ウィンは収容されてすぐに熱病に罹り、母親の必死の看病で命は取りとめたのですが、8才での記憶が全く無いと言うのです。
『僕は少し狂っているんだよ。頭がおかしいんだよ』と彼は淡々と言いました。静かな森のキャンプ場でそう言われると、私は背筋が寒くなるようは感覚に襲われました。
 訴訟を起しているが埒があかないとウィンは嘆きました。

私は以前、日本人が作った強制収容所に関する本を読んだことがあります。題名は多分『遠い島 スマトラ』だったと思います。作者も訳者の名前は忘れてしまいましたが、二人ともエスペランティストで、作者はオランダ人の女性で収容所にいた時はまだ10代の少女でした。
日本人はナチスのように死刑執行はしなかったのですが、豊な支配者であった収容された人々にとって、その生活は耐えがたく過酷なものだったに違いありません。
 衛生状態がわるく弱いものが次々と病気になるので、生水対策とかシラミ対策とかで女性たちが協力する様が描かれていた記憶があります。

 このアジア侵略について日本人がヨーロッパ人からアジア人を解放してやったという人が現在でもいます。それはアメリカがイラク派兵を正当化しているのと同じです。私は日本の侵略を正当化するつもりはありません。日本は自分がアジアの覇権を握りたかっただけで、アジア人解放と言うの単なる方便であると思っています。

 ですが、このオランダのエスペランティストの書いた内容にも、私を反発させる所がありました。表現は違っていますが『私達は文化的水準の低い人達を啓発し、助けるためにこの地にやってきた』と言うような内容が書いてあったのです。私はその傲慢さに腹を立てながら複雑な思いでこの本を読んだのでした。

 その日私はウィンに案内されてヴァシュテラスの民族村に出かけ、古い生活様式(?)を見学、夕方、引越しでキャンプ場に来れなかった若者ところに行き、3人の若いエスペランティストとおしゃべりをして、その晩そこに宿泊させてもらいました。

つづく
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3 コメント

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話が進んでいる (あまもり)
2005-07-16 14:11:41
何回か来てはいるんですが、忙しかったのでゆっくりと読めませんでした。

それにしても、話が進んでいるのにびっくりです。



大東亜共栄圏とか八紘一宇の名のもと、日本が侵略戦争をした事実は消すことはできないと思っています。

敗戦を終戦とごまかしたのと同じで、日本の戦後処理のまずさで、いまだに許してもらえない国々があることを知ることが大事ですよね。
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民族の気質の違いがかなりありそうです…。 (りこ)
2005-07-16 21:33:26
glimiさん昨日は疲れて寝てしまいました。今朝は1時間早出しての仕事。今やっと時間の余裕が出来ましたのでブログ巡りしてます。



日本人の悪い面が外交ではっきりと出ますね。物事にキチンとケジメ付けなくて、なあなあで済ませるから後々まで響く。アメリカ人などははっきりと露骨なほどに言うでしょう?日本人は遠まわしに表現する。はっきりと表現することはなんかイケないみたいなところありますよね。
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Unknown (Unknown)
2005-07-17 11:40:57
 あまもりさん、りこさん



コメントありがとうございます。議論はまたいつかいたしましょうね!!



 さあ、主婦休暇のためブログは急いで書き上げました。



 さあ、これから休暇の準備です!
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