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生きること:過去と未来とエスペラントと

ベトナムにおける枯葉剤被害

2005-05-07 08:28:30 | Weblog
 1999年ベトナムで開催された第2回アジアエスペラント大会に参加した私にはもう一つ願いがありました。それはベトナム戦争中にアメリカが散布した大量の枯葉剤の被害について知ることです。長年、子どもや障害を持つ人たちと共に生きてきて私には、枯葉剤の成分ダイオキシンが大量の障害者を生み出しているという度重なる報道に目をつむることはできませんでした。
 また、日本においては母乳からダイオキシンが検出されています。ダイオキシンは脂溶性なので母親が口にすると母乳の中に溶け出し、乳児の体に入るのです。初めて発表された当時、厚生省は人体に害を及ぼすほどの量ではないという見解を発表しました。
 安全な量とはどの程度を指すのでしょうか。ことは起きてみないと分かりません。ベトナムにおける奇形・障害を持つ子どもの出生は決して他人ごとではないのです。科学万能で暮らし、安楽さだけを求めているうちに、私たちは抜け出すことのできない深みに落ち込むかもしれないのです。

 また、ベトナム戦争は私たちの日本と無関係ではありません。先ず日本の基地が使われました。更に重要なのはこの恐ろしい枯葉剤の原料が日本の化学工場で生産されていたことです。

 あわよくばエスペラントを使って障害児施設を訪問できないかと私は考えました。『求めよさらば与えられん』とはよく言ったものです。以前ハノイで教えていた、ある大学の助教授と知り合い、彼に『不戦兵士・市民の会』と言う団体を教えて頂き、ハノイで日本語を学んでいるエスペランティストも紹介して頂くことができました。

 不戦兵士・市民の会はハノイ国際友好村という障害児者施設を支えている一団体です。この村はハノイの郊外、ハタイ省にあります。資金を集め支えているのはアメリカ・ドイツ・フランス・イギリス・日本の退役軍人の会です。実際の運営はベトナム退役軍人会が行っています。

  不戦兵士の会の事務局にベトナムの事務局への連絡をお願いし、実際の打ち合せはベトナムの学生トゥイさんがしてくれました。

 私は見学だけでなく子どもたちと遊びたいと希望を出しておきました。前年の10月に開園したばかりの施設で、広いスペースがありません。それでも所長は私の願いに沿って、教室と女子用の居室前の広い廊下を空けておいてくれました。私たちは床に座り込み、折り紙をしたり、ちぎり絵をしたりして、子どもたちと遊ぶことができました。エスペランティストは10名、それにトゥイさんと先生家族が同行してくださったので子どもたちとのコミニケーションもとれて半日という限られた時間の中で楽しい時間を過ごすことができました。

 施設はまだ整っておらず、剥き出しの地面に立っていました。成人棟は10名収容できますが、ここは静養場所なのだそうです。全員が枯葉剤による倦怠感や呼吸困難を訴えていました。最後に案内してもらった薬草園には種々の薬草が栽培されており、所長自らが薬を調合しているということでした。静養している大人の中にはわが子も枯葉剤による障害を持っているという人もおりました。

 大人と比べ子ども障害は多種に渡っていました。脳性麻痺、視覚障害、聴覚障害、関節異常。ある子はその障害プラス知的障害があります。
 関節異常は本当に関節が無いのです。頚椎が無い子は首は平らな板が入ったような状態で、体をひねらないと横が見えません。腕関節がない子は腕が曲がりません。ひざ関節がない子はひざが曲がりません。一人がズボンをあげて見せてくれました。膝にかすかに丸い関節の形が見えますが、首と同じ様に平らでした。
 多くは兄弟姉妹全員が障害を持っているのだそうです。その場合はひとりだけ施設に入れるそうです。本当は障害の重い子を入所させた方が親が楽になることは分かっているが、施設の能力からそれはできないと話していました。教育は障害の重い子はこの施設内で教育し、学校へ通えるこは近くの学校へ通わせています。将来は自立のため職業訓練所や作業所も作りたいと話していました。

 私は私の願いをかなえるために協力してくださった方々にとても感謝しています。そして多くの人に伝えることが私の義務と考えます。子どもたちの未来のために私たちにできることが何かあるはずです。
 

 
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