熟年の手習い

熟年老い易くチェロなり難し

若冲展

2007年05月24日 | アート
2000年、京都国立博物館で、
サブタイトルが『こんなすごい絵描きがいた!』(だったっけ?)
という戦後初!の「若冲展」を見に行きました。

その時、代表作の「動植綵絵」シリーズは、何点か見られただけ。
全部一同に見られることなんて、一般庶民には有得ないと思っていました。

その夢が現実に。
今回はなんと120年ぶりに作品がお里帰り。
若冲との縁の深い京都・相国寺、承天閣美術館にて。
京都御所の北にあります。

相国寺が総本山でその塔頭が、金閣寺、銀閣寺なのですね。
金閣寺、大書院の障壁画も展示されていて、ありがたかったです。

空前絶後、夢の33幅の展示をグルッと見渡した途端、鳥肌が立ち、涙が出そうになりました。
日本人でありながら、江戸時代の大作群でこんなに圧倒されたことがなかった気がします。

ああ、日本で見られてよかった。
所有者だった相国寺が、明治時代、フェノロサ?ビゲロー?の求めに応じず宮内庁に売却したお陰だそうです。

前の若冲展でも、すでにブームはすさまじく、
休日に行ったため、満員電車のような混雑で鑑賞した気がしませんでした。
それに、あの格調高い博物館で「押した、押さない」の怒鳴りあい、
小突きあい騒動が起き、大変ショックでした。

マスコミも若冲を頻繁に取り上げ、プライスコレクションも有名になり、益々ドッと人が繰り出すはず…
おまけに絶好の京都観光日和。
おそろしい、、、でも絶対行きたい!!!

今回、同じ失敗をしないよう、チケットは前売りを買っておく、
ウィークデーの開館30分前には到着、を実行。
お寺側の受け入れ態勢も、大変行き届いていて快適でした。

お陰様で不自由なく存分に鑑賞できました。
1時間足らずで終わりましたが、そのころには絵の前は何重にも人垣でした。

「動植綵絵」はちょうどモーツァルトが生まれたころに着手されました。
(突拍子もない比較)
斬新でなんと生きのいいこと!

前の展覧会では、ナイーブで子供の目を持った純粋な若冲、ユーモラスな若冲、が印象に残っています。

今回、全「動植綵絵」を前にして、宗教的な目的で描いたにもかかわらず、色彩、形、両方から濃厚な妖艶さを感じました。
ストイックな面だけではありません。
女性がダメな人が仏門(禅宗)に入るとパラダイスなのか?と思ったり。

老舗八百屋の長男なのに、若い頃(引きこもり、ニートの)あほボンと呼ばれた彼の生涯は興味がそそられます。

読んだ本の中に、京都の花街を支えるのは、今は坊さんですが、当時は商人の旦那衆。
(今は坊さん、に反応。不況知らず?!)堅物で旦那遊びが出来ない若冲は疎んじられ・・のような記述があって可笑しかった。

主流の画壇の硬直した形式を嫌って、自分の目と心で描いた渾身の作品群。
どうして、長い間人々から忘れられ、近年、急にクローズアップされたのか不思議。
有名なお寺に作品を残しているというのに・・・
他にもそんな芸術家が何人もいるのだろうか。


←若冲を知ったきっかけ。
何もわからず、日本の‘奇想’に惹かれて買っただけ。
1989年の本ですが、若冲に関しては写真が白黒が多かったりで、当時はピンときませんでした。
北斎のページの方に目が行きました。
あらためて、この著者の目の付けどころに注目。
昔も今も、一貫して「稚拙美」を説いておられます。
なんか、チェロ的にとっても勇気づけられますねぇ。


訂正
27日の日経朝刊、小林 忠氏によりますと、1971年に充実の若冲展が東京で開催されたとか。
では戦後初の京都展だったのか、とにかく戦後初と何かで読んだ記憶だけありました。スミマセン