頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』白石一文

2009-02-10 | books

「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」(上下)白石一文 講談社2009年(書き下ろし)

「一瞬の光」でまさに一瞬の光を放った白石一文。その後はどうも読んでもピンと来ない作品が続いた。今回は講談社の創業100周年記念書き下ろし100冊シリーズの一冊であるので、あまり期待はしないで読んでみた。

主人公カワバタは大手週刊誌「週刊時代」の編集長。仕事はできる。妻は東大で発展途上国経済を研究する助教。子供あり。カワバタの目を通して見た、彼の仕事、彼の周りの人、巻き起こる小さな出来事大きな出来事。それら出来事とカワバタの独白・考えがパラレルに読者を襲う。最初は藤原伊織の傑作「シリウスの道」的、王道サラリーマン小説かと思ったが、全く違う。エロ&官能を難解な言葉でコーティングした似非エロ小説かと冒頭思ったが、全く違う。

一つ一つの言葉が刃のように突き刺さってくる。卓越した技を持った刀匠が時間をかけて作り上げた日本刀のようだ。斬られ突かれる。すると痛いと感じるより先に、血が噴き出す。鋭い刀とはそういうもの。白石一文の文章も読んでから、しばらくして痛くなる。心から血が出ていることに後になって気づく。

いやいや。まいったまいった。これは直木賞候補に選ばれるでしょう。でも直木賞は取れないような気がする。あれは功労賞的側面が強いし白石一文がそれほど文壇に貢献しているとは思えないし。しかし、私の経験とカンは「候補作になるのってこういう作品なんだよね」と告げている。そして候補作と帯に銘打ってもそれほど売れないと思う、そんな作品。

 「この作品は読者を選ぶ」って言う者は「他のみなは分からないと思うけど、この私は分かるんだ」というつまらない優越感に浸っているに過ぎないという批判がある。しかしねー。しかしですねー。この「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」を友人に薦めることができるだろうか。読んだみながよかったよかったと言うだろうか。そんなことはあるまい。ちょっと面白いので友人10人を思い浮かべてみよう。Yちゃん、M,Pちゃん、S,K君、Mさん、KKさん、A、Y君、Kつ。この中で「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け!さあ一緒に抜こうではないか!」と薦められる友人は・・・一人しかいいない。その一人以外には特に薦めない。そんな小説だ。でも、すごく面白かった。

私がこの小説の中で一番好きな箇所は

すべてがくだらない、と何となく思った。この世界のすべてが、たしかに猛烈にくだらない。(中略)ありとあらゆる新情報がこの耳に入ってくる。もうどんな情報も欲しくない。特に日本語の情報は心底うんざりなのだ。
  僕は人形のようにただ座っていた。何も見たくないし聞きたくない。特にこんな静かな雪の日には。(上巻35頁より引用)


文章の美しさ、カワバタの気持ち、そしてそれとシンクロする読んでいる私の心。今読み返してもなんだかグッとくる。

カワバタの独白こそ、いやこの本の魅力の87%はカワバタの独白にある。それがなければ読む価値ゼロだ。彼の考えは人間存在から宇宙、セックス、政治、経済と幅広い。まさか小説の中でミルトン・フリードマンの引用を読む日が来るとは。そして彼が披露する考え(その内の7割以上はたぶん白石一文本人の考えであろうと想像する)の多くは、なるほど、そんなこと特に考えたこともなかったけど確かにうなずけることばかり。フリードマンなんて知らないという人はそこだけでも読むことをオススメする。フリードマンのシカゴ学派らしい考えを披露した上で、それを正しくないとカワバタは言う。私は経済に関しては反ケインズ的な立場をずっと貫いてきた。政府は小さくあるべきだし、市場は万能ではないにしても市場に任せるべきであるというのが自論。だからと言って必ずしもフリードマンの言論が正しいとは思わない。しかしカワバタはちょっと私を意外な方法で突いてくれた。うーむ。

特に●●はXXであるという断定的な物言いがとても多い。ひたすら言い切る。その言い方がもたらすのは、読者による激しい拒絶か熱い賛同である。私は沸騰しそうなほど熱く同意した。

 いわゆる「経済小説」「ビジネス小説」とは違う。幸田真音とかあの辺が書くもの。「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」というふざけたタイトルが経済小説のわけがない。そうではなく、哲学小説の方がまだ近い。そうだな・・・・・・

白石一文が哲学をぶんぶんと振り回す。 もしくは、
凝縮された白石哲学を遠心分離機にかけて、小説内で飛び散り撒き散らされたような小説だ(なんのことだかとても分かりにくいかも知れないがまあいい)

この本が凄いのは、凄いと声を大にして言いたくなる理由の一つは、どこかテキトーな頁を開いてそこから2、3頁つまみ食いしても充分読むに耐えうることである。全体としてきちんとした物語となっていると同時に様々ないわば前後関係が必ずしもそこを読むになあたって必要でないロゴスの嵐嵐。

 もしこの本を買おうか迷っている人がいたならば、上巻102頁にフリードマンのPLAYBOYのインタビューが載っている。そことその後のカワバタの感じたこと、後は下巻83頁にある「かなしい 3番」という詩を読んでみるとよい。両者読んでも2分とかからないだろう。その上で何か感じるモノがあればたぶんこの不可思議な傑作「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」が提示する世界に没頭できる。

私事で恐縮であるが、ブログで私事でないことなどないわけだから恐縮と書くこと自体が恐縮であるが、この本を読んでいる最中にすごく懐かしい動きがあった。読んでいる途中で、「これは!」と思う箇所に出会うと、本を掴んでいる手が本をぎゅっと握り締めてしまうのだ。こんな経験、最後にしたのはいつだろう。高校生のときに夢野久作の「ドグラ・マグラ」を読んで以来かも知れない。愛しい人を思わずぎゅっとしてしまう時の快楽がもたらす快楽粒子(もしくは切なさ粒子)の数と同じかも知れない。だとすれば読みたい本さえあれば女など要らぬということになるのだが、そして近年それについて考える事が多くなっているのだが、まだよく分からない。

実は「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」どころか、「この本のあちこちに貼り付けた付箋を剥がせ」状態なのだ。ここいいなーと思ってポストイットを張っていたら、だらけになってしまった。


 「きっと誰かが観ているのだ」と思う(上70頁)
 彼らには自己という存在が、ある種の機能と役割を与えられた一過性の幻影にすぎないという醒めた自己認識がない。(89頁)
 僕たちはめまぐるしく変化する無数の意識の集合体としての「僕」を持っている。これは一本の太い糸に通されたおびただしい数のビーズ玉のようなものだ。そのビーズ玉の連なる糸を僕たちはあたかも「自分の本体」だと考え、糸に通された一つ一つの玉だけがそのときどきの自分の意識だと錯覚させられている。だが、本当の僕はむしろそうやって太い糸に通されなかった、無数のあぶれたビーズ玉の中により多く含まれているのだ。
 集めるのに都合のよい、糸を通しやすいビーズ玉だけを選んでいるのは、実は本当の僕ではない。それは意識の流れが存在する限り発生する渦潮のごとき自律的な活動にすぎない。(239頁)
 「幸せになりたい」だの「誰かを愛したい」だのといった単純平明なスローガンは、グロテスクな自己意識の正体から目を逸らすために「大雑把な意味」が半ばでっち上げた自己慰安のためのトリックのようなものだ(242頁)
 全知全能であるはずの神の力が、この世界ではどうしてこうも無力なのか?神の力が金銭の力にどうしても勝てないのはなぜなのか?という問いの答えは、実は至極簡単だ。
  神とはそういうものとして規定されているのである(下巻50頁)


ちょっと哲学的(?)な引用が多くなったが、経済についても多く語られているし、それほど読みにくくはない。

では、また。


 
 
 
コメント (14)    この記事についてブログを書く
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14 コメント

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むずーい (betty)
2009-02-10 23:29:25
ふるさん、難しいですよ。私の脳レベルではついていけないかもな…^^;
今日はむずいむずいむずいと眉間にシワ寄せ状態で携帯を睨みつけていましたが、ぎゅっと握りしめる部分で笑顔になれました(*^_^*)
まぁでもその後すぐシワ寄せ状態に戻りましたけどね。
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むずい (ふる)
2009-02-11 12:50:25
★bettyさん、

何を言おうとしているのか伝わらなかったとすればそれは私の書く能力の問題です。
ただし、この記事はわざと分かりにくく書いているということがあります。
一読してすぐに分かる記事を書いてみたくなる代わりに、その逆の記事もまた
書いてみたくなるのですね。このブログに一貫性がないのはテーマだけではなく
文の使い方も「たぶん」そうなのでしょう。
またこの本が単に「ああ面白かった」で済ませたくない何かがあったので
ぐだぐだと駄文が続いてしまいました。すごく良かった本のレビューは得てして長くなる傾向があるようです。
しかし
携帯でこの長文を読むということに本当に頭が下がります。
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わかってます (betty)
2009-02-11 13:48:42
この本がふるさんにはとても面白いものでめちゃくちゃ心に響くものがあったのだということは。だから長いんだなと思ったし。
なんでもそうですが、レビューとか色んな文字にして書ける人って凄いなぁって思うんですよ。私はボキャ貧(←懐かしい)なので形容詞的な感想の書き方しか出来ないんです。文字での表現が下手というか。だからふるさんみたいに色んな文字(言葉?)で表現できる人が羨ましくなっちゃいます。私は、なんとなくとか感覚的に捉える方が多いですね。言葉で表現出来ない感じ。
評論家や作家さんやアナウンサーには向かないなぁ。まぁ、なりませんけど(^^)
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文字 (ふる)
2009-02-12 12:14:09
★bettyさん、

何かを表現する方法は色々あって、写真や動画、映像、色や声、擬音、触覚などなど。
誰もがその内のどれかを使って表現するのが得意なのだろうと思います。
私を含めて文字で何かを伝えようとしている人たちが文字で伝えるのが得意
であるかどうかは分かりません。しかし、文字で伝えたいのでしょう(笑)
まあしかし自分の文章を読むと、文字で伝えられることの限界を感じます。
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同感です (ロックマン)
2009-08-23 22:51:32
僕も、この本を読んでかなりのショックを受けましたし、色々な発見がありました。2回通して読みました。今の日本への告発として考えさせられるところが多く、3回目を読む予定です。また、哲学的なところも大好きです。
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それはそれは (ふる)
2009-08-24 14:10:28
★ロックマンさん、

私は一度しか読んでいませんが、機会があればぜひまた読んでみたい凄い作品でしたね。
ロックマンさんのように、この本に考えされる人が増えると日本もいい方に変わるような気がします。
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すんげえ (るんぱ)
2010-10-08 02:49:05
おもしろかった!!
でも私も、周りに薦められる人が思い浮かばないです。読書の快楽って共有するものではないと思いつつも。ちょっとさびしい。
それにしても白石スゲー書き手だ。カッチョエエ~。
直木賞受賞作以外は、これで殆ど読んだけど、私はどれも良かったなあ。


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こんばんは (ふる)
2010-10-09 22:24:10
★るんぱさん、

この本の衝撃はちょっと忘れられないですね。

今私の置かれている環境、あるいは属しているコミュニティでは、
「こんな面白い本読んだんだよ。きいてくれる?」という雰囲気ではなく、
ゆえにそれほど本の話しをすることがありません。

しかしどんな快楽でも共有できればその方がよいのだろうとは思うのですが。
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一度きりの感想で済ます積もりでいたのですが。 (るんぱ)
2010-10-10 03:55:33
ふるさんのご丁寧なコメントを頂いて、少し気が変わりました。もっかいだけコメントさせて下さい。
とは云っても、ごく軽い内容に留めておきます。

今の日本が、かなりヤバい状況だということは、皆が承知しています。
でも、それを声高に云う人間に限って、“日本の富”(つまり金銭)を過剰に蓄積していたり、或いは、少々話がズレますが、圧倒的に存在する“社会的弱者”或いは“脳の出来そのものが悪い人”の格差、に対するセーフティーネットに対しては、無策です。

国は、どうでもいい最新型戦闘機に莫大な税金をつぎ込み、そして沖縄の少女が強姦されても何一つ反撃出来ません。

結局、アメリカが怖いのです。アメリカに逆らったら、今の日本なんて潰されてしまいます。

最近、別の著者のもので、非常に似た内容の物を読みました。
その本はアメリカ在住の日本人の書いたもので、恐らく白石さんとの接点は皆無だとおもいます。
参考文献や引用も、全く違っていましたし。けれど、全体の主張が、流れている思想が、怖いくらいに似通っていました。

私は、今年、この二冊に衝撃を受けました。
以前から宮台なんかも云ってましたが、年に3万人自殺する先進国なんて、異常です
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こんにちは (ふる)
2010-10-11 17:06:11
★るんぱさん、

ハイロウズの「ミサイルマン」の歌詞を思い出しました。
「自殺するのが流行りなら長生きするのも流行り」
自殺も高齢化も流行しているとすれば何という時代なのでしょうか。

富の偏在化や再配分について、あるいは
弱者&敗者を救う仕組みに
ついて書こうかと思ったのですが、私のような者がない頭を
ひねっても・・・無理ですねえ(笑)

元ジャイアンのアメリカ、新ジャイアンの中国
この二大国の間でのび太ジャパンは
新たな生き方を見つけないといけないようです。
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