小学校5年生のときに、突然「進学塾に行きたい」と言いだした。
成績は良かったので、それが理由だったのだろうか?
しかし、当時の我が家は赤貧洗うがごとし。1970年代とは言え、東京23区内に住んでいるのに、木造のバラックのような家だった。
服と言えば、同じ物を毎日着るのが当たり前。靴はいつも穴があいていた。
そんな家だったのに、なぜか塾に行くのを許してくれた。
初めて、自分の小学校の子供じゃない子たちと一緒に勉強するようになると、すぐに自分の限界を知るようになった。本当にできるやつって言うのはこういうやつで、俺とは違うんだなと。
しかし、塾でやる難問に取り組むのは面白かったし、算数は苦手だったが、国語は大好きになった。
家の中の雰囲気がなんとなく変わったようだ。父も母も仕事をしていて常に忙しかった。子供はだいたい夕飯は7時頃に取るものだろうが、9時、10時になることも珍しくなかった。あまりにも腹が減って、弟と、茶碗を箸でチンチンと叩いて「腹減ったー」と母を困らせたこともあった。
そんな母親がそれまでしたことのなかった腕時計をするようになり、化粧をするようになった。子供だった俺には意味はよく分からなかったが。
小学校6年生のときのクリスマス・イブ。翌日のプレゼントなんてあるわけがない。明日友達に自慢されて、また嫌な気分になるのだろうな、と思っていたら、なかなか寝付けなかった。
すると、母親と父親がぼそぼそ話しているのが聞こえてきた。
母親は夜、キャバレーに行っているということがそのとき分かった。
だから、化粧をするようになったのか。子供ではあったが、キャバレーがどういう所かは知っていた。
母親が自尊心を犠牲にしてそこまでしてくれたこと。
昼間も朝から晩まで仕事をしているのに。
もうすぐ受験だというのに、志望の中学にはどうやっても合格できそうにない自分が情けなくて、ふとんをかぶって、声を押し殺して泣いた。
あれからずいぶん遠い所まで来てしまった。
毎日がただなんとなく過ぎて行く。
人々はクリスマスで、なんだか華やいだ気分。
俺は、毎年クリスマスになるとこのことを思い出す。
遠くへは来たけれど、そのときのある意味瑞々しい気持ちはきっとそのままですね。
ちなみにわたしのクリスマスの思い出は、プレゼントでもらったゼンマイで動く、胸から火花の出るブリキのロボットです。
でも、いまでは楽しいクリスマス、でしょ?
Happy Merry X'masふるたん。
楽しんでね
親って、我が子のためなら、自分自身を犠牲にしても、なんでも出来るという事ですね。
(だから、どんな理由があったとしても、自分の我が子を殺人してしまう親って、私には、とても理解できない事なのです。)
親馬鹿な事ですが、やっぱり、我が子って、ものすごく可愛いのですネ。
いつもご機嫌よくいられますように
いつも魑魅魍魎でいられますように
私が嫌われないように。。。
聞いちゃダメだった?
にっともたまには しんみりモードでも やろうかな?^^ 最近全然やってないし^^
もし自分が親になったら、
自分の親のように出来るのかな?
と、考えることがあります。
(無理な気がします・・・)
メリークリスマスです
メリークリスマス
楽しんだ者勝ち?
メサイヤ?
まそれはよいとして・・・(ふるさんならもっとえぐぐ表現できるでしょう・・・私は国語表現が苦手なんで)
ブログですが
「良い話」だと受け止めてOK?ですかね