先日の遠野ブログ歴史班、通称「中年探偵団」の面々による探訪第二弾。場所はaboutさんの地元、土渕町。
●北野のシヤウ塚森●
山崎のバス亭東方、南は明神沢、北は寺沢の中間。阿曾沼の時代には、この周辺に寺があったのではないかと云われている地域。仏具を葬り、古来から地震のせぬ処とし、高丘の上に人工的に土檀をめぐらし、頂部に自然石を据えている。と「土渕教育百年の流れ」には記されている。
この現地を訪れて感じたのは、常賢寺東方、地名:讃経。ここの屋号「キット」の家に在ったという水天宮を祀る石と類似しているということ。かつて、堅牢地神(旧号地ノ神)と呼ばれていたもので、言い伝えも石の形状もそっくり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ec/84eb1311de3270274aaba9c6501900b3.jpg)
知る日とぞ知る山崎一本松の東の山から下りてくると、当然の如く、ホウリャウへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/4f/3a1517b1822f2f08278fa8a886435069.jpg)
雪ゆえに道なき道を歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/a3/da4a7079a172a12a1b553cd2c84ae5f5.jpg)
鳥居の足は、どうにか真っ直ぐだが、貫(ぬき)は既に?・・・曲がってる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/18/b721fef9904ec1c26da7cde655bcfe5b.jpg)
地元の区長さんの案内によって、建物内部を見学。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/e4/a069f04e2a10746c8aeda2f5a033184f.jpg)
以前、aboutさんから頂いた棟札の写真の現物があった。
南部領内(10郡33通り)で宝暦13年(1763)までに実在した社寺が掲載されている「御領分社堂」を見ると、
○田名部通御代官所管轄地 白糠村・・・ 法量社 正徳4年(1714)建立
○七戸通御代官所管轄地 二ツ森村・・・ 法量権現社 法量村・・・法量権現社
天馬館村・・・法量権現社 大沢田村・・法量権現社
上野村・・・ 法量権現社
○五戸通御代官所管轄地 浅水村・・・ 法霊堂 米田村・・・法霊堂
○三戸御代官所管轄地 田子村・・・ 法了林開基慶長年中(1600年初期)
祭神法了権現
同 村・・・ 法了権現 同 村・・・法了林
同 村・・・ 法了林 梅内村・・・法了林
惣米村・・・ 法了
○毛馬内御代官所管轄地 毛馬内村・・・法量堂
○福岡通御代官所管轄地 安比村・・・ 法霊社
○向中野見前通御代官所管轄地 高田村・・・ 法領権現堂 北矢幅村・・法領権現堂
永井村・・・ 法領権現堂
○日詰長岡通御代官所管轄地 南日詰村・・ 法龍明社堂 宮手村・・・ 法龍権現
平沢村・・・ 法龍権現
○八戸弥六郎地行所社堂 綾織村・・・ 宝量権現
管轄地によって、呼び名も漢字も色々。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/05/6834b8b6fc3df206aaf8b2d86e988dbf.jpg)
宝暦13年時点の、南部領内に現存していた「ホウリャウ」は、上記のみであり、土渕町ぶんは、やはり、無い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/26/6e85fc51bc9d8ae34f281745a6640e18.jpg)
区長さんから、鳥居や「藤の木」伐採の逸話をお聞きし、参加者一同、その後の遠野物語を堪能した一時であった。
●今日の遠野●
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/ee/ac1798158061d95533696344e0326da0.jpg)
冬将軍、再到来。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/1f/f16c256c35072d261809ed9c3b2e8790.jpg)
こんな日に、山に行く仕事の人は大変だと思いながら「用足し」を済ませる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/3c/037e29db0a4e615b12eb3a55d7dd37b4.jpg)
山猫氏来遠の折、この荒神(あらがみ)さま別当家の方と偶然にもお話をする機会に恵まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/e1/14e235202ccbcf9fafa01f2fc35447da.jpg)
我が家の庭に咲くこの木の実がなくなると春・・・・まだ実があるようなので、春はまだ先なのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/d5/742a9e6169876407f079b15bbac1e240.jpg)
それにしても予想外の大寒波である。
●北野のシヤウ塚森●
山崎のバス亭東方、南は明神沢、北は寺沢の中間。阿曾沼の時代には、この周辺に寺があったのではないかと云われている地域。仏具を葬り、古来から地震のせぬ処とし、高丘の上に人工的に土檀をめぐらし、頂部に自然石を据えている。と「土渕教育百年の流れ」には記されている。
この現地を訪れて感じたのは、常賢寺東方、地名:讃経。ここの屋号「キット」の家に在ったという水天宮を祀る石と類似しているということ。かつて、堅牢地神(旧号地ノ神)と呼ばれていたもので、言い伝えも石の形状もそっくり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ec/84eb1311de3270274aaba9c6501900b3.jpg)
知る日とぞ知る山崎一本松の東の山から下りてくると、当然の如く、ホウリャウへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/4f/3a1517b1822f2f08278fa8a886435069.jpg)
雪ゆえに道なき道を歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/a3/da4a7079a172a12a1b553cd2c84ae5f5.jpg)
鳥居の足は、どうにか真っ直ぐだが、貫(ぬき)は既に?・・・曲がってる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/18/b721fef9904ec1c26da7cde655bcfe5b.jpg)
地元の区長さんの案内によって、建物内部を見学。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/e4/a069f04e2a10746c8aeda2f5a033184f.jpg)
以前、aboutさんから頂いた棟札の写真の現物があった。
南部領内(10郡33通り)で宝暦13年(1763)までに実在した社寺が掲載されている「御領分社堂」を見ると、
○田名部通御代官所管轄地 白糠村・・・ 法量社 正徳4年(1714)建立
○七戸通御代官所管轄地 二ツ森村・・・ 法量権現社 法量村・・・法量権現社
天馬館村・・・法量権現社 大沢田村・・法量権現社
上野村・・・ 法量権現社
○五戸通御代官所管轄地 浅水村・・・ 法霊堂 米田村・・・法霊堂
○三戸御代官所管轄地 田子村・・・ 法了林開基慶長年中(1600年初期)
祭神法了権現
同 村・・・ 法了権現 同 村・・・法了林
同 村・・・ 法了林 梅内村・・・法了林
惣米村・・・ 法了
○毛馬内御代官所管轄地 毛馬内村・・・法量堂
○福岡通御代官所管轄地 安比村・・・ 法霊社
○向中野見前通御代官所管轄地 高田村・・・ 法領権現堂 北矢幅村・・法領権現堂
永井村・・・ 法領権現堂
○日詰長岡通御代官所管轄地 南日詰村・・ 法龍明社堂 宮手村・・・ 法龍権現
平沢村・・・ 法龍権現
○八戸弥六郎地行所社堂 綾織村・・・ 宝量権現
管轄地によって、呼び名も漢字も色々。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/05/6834b8b6fc3df206aaf8b2d86e988dbf.jpg)
宝暦13年時点の、南部領内に現存していた「ホウリャウ」は、上記のみであり、土渕町ぶんは、やはり、無い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/26/6e85fc51bc9d8ae34f281745a6640e18.jpg)
区長さんから、鳥居や「藤の木」伐採の逸話をお聞きし、参加者一同、その後の遠野物語を堪能した一時であった。
●今日の遠野●
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/ee/ac1798158061d95533696344e0326da0.jpg)
冬将軍、再到来。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/1f/f16c256c35072d261809ed9c3b2e8790.jpg)
こんな日に、山に行く仕事の人は大変だと思いながら「用足し」を済ませる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/3c/037e29db0a4e615b12eb3a55d7dd37b4.jpg)
山猫氏来遠の折、この荒神(あらがみ)さま別当家の方と偶然にもお話をする機会に恵まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/e1/14e235202ccbcf9fafa01f2fc35447da.jpg)
我が家の庭に咲くこの木の実がなくなると春・・・・まだ実があるようなので、春はまだ先なのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/d5/742a9e6169876407f079b15bbac1e240.jpg)
それにしても予想外の大寒波である。
ですね~w
アダムスキーも、あまりの雪と寒さに、エンジン?がかからず、雪に埋もれてました。それにしてもこの時期、皆さん風邪をひいているようで・・・私もです。お気をつけを!
こちらも奥が深いですな・・・。
16日はよろしく・・・。
宝暦以前にあったものは、上記のもので全てです。とういことは、南部領内に現存するこれ以外のものは、宝暦以降ということになります。かなりの確立で。
私を含めて皆さん風邪をめしているようなので、関東からきた?風邪は関東へお持ち帰り頂きましょう!爆
あらら、ご近所に来てらったのねえ~。
会いたかったのう。
信じられないと思いますが木々に囲まれた山は、里とは比べられない程、無風でした。
驚きでした。
冬の山仕事、ある意味では、本番の季節。風邪には十分ご用心!
寺社探索の実地検分を見られて有意義でした。
区長さんのお話が聞けたのも大きいです。
藤の木伐採の話は大笑いでした。まさに現代遠野物語に加えるべき挿話です(w
先日は、ご苦労さまでした。今、山崎観音から帰って来たところです。さぶ~がった!
ところで、風邪はどうですか?私を含め、遠野人の多くが風邪をひいているようです。行った場所から考えると、某所の2階が発生源になっているようです。
と言うことで、ウラワンさんへお持ち帰り頂こうと思っています。
タヲル君(ダレだ、ダレだ?)に感謝ですね。
んでも、オロロイたのは笛吹童子すぁん!
筋金入りの神社調査隊長ですっ!
例のものを検分しいる様子の笛吹童子スァンに戦慄しました。
に、しても凄いですねー ああやって「残っている」[残している」ということが・・・
ばさまが、かぁいかった・・・・・
天気にも恵まれて良かったですね。タヲル君の計らいで、山崎観音では、別当さんのお話が聞けたことが何よりでした。またの来遠をお待ちしております。って、「行ったばかりだよ!」・・・「そりゃそうだ!」