今日は、朝早くから子供を乗せて盛岡行の予定だったが、
福の神のご加護により、いつも通りの朝となる
土曜日、インターネットの毎日新聞には
「妻が導いてくれた」働きづめの二年間
と題する記事がUPされていた
そこに登場するのは嫁さんに縁ある方
震災後の混乱の中、遠野で火葬となった彼の嫁さん
私もその年、起業し、なんだりかんだりと忙しい日々となり、
彼のその後の様子を聞くゆとりもなかっただけに、記事から知ることとなる
2013.3.11
震災から二年目
改めてお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます
その彼の地で、なぜか定点的に写真を撮っているのが
釜石市唐丹町本郷
2011.4.10 港
2011.4.10 住宅地側
その一年後
2012.3.11 港
2012.3.11 住宅地側
そして、二年後
2013.3.8 港
2013.3.8 住宅地側
2013.3.8 船着き場の作業用具
二年経ち、復興がどうしたと論ずる気持ちはないが、気になっていた物を今年は再確認に
住宅地から港に向かう角に建つ津波関連の石碑群
昭和八年の津波の碑
古くからある石碑をどこから移転してここに建つのか記した碑
2011.3.11の碑
唐丹町の多くの子供たちの思いが記されているが、その中でも心に残る言葉
「100回逃げて、100回来なくても 101回目も必ず逃げて!」
今日は釜石の合同慰霊祭。
遠野の仮設で生活する叔母は、スイスから帰国している娘家族と、まず、家の跡地と、叔父が見つかった場所へ行き花を手向けてから慰霊祭に行くと言ってました。
叔父が安置されていたのは栗橋の木材工場。
親戚の計らいで、運よく遠野で火葬されました。
更地になったけど、そこから進まない復興・・・
心が痛みます。
マスコミは一斉に3.11の二年目を取り上げてくれているようですね。
TV等で震災話題が少なくなっているので、
西の方では復興したと思っている人が
大勢いると聞いたことがあります。
こうして取り上げて、現状を知って頂くことも大事だと思っています。
今日もマイナス気温で雪がちらちら舞う岩手でした。
宮古でも大海嘯の記念碑をたくさん見ましたが、大海嘯の意味からして分かりませんでした。
今日、テレビで、あえて木製にして、4年おきに新しくするという高校生にアイデアが生かされた記念碑が建てられたニュースを見ました。
いつも身近にあって、分かりやすいことが一番大事だと実感しました。
親類の墓前に手をあわせ鵜住居防災センターの合同慰霊に参列しご詠歌の笛を吹かせていただきました。
震災から2年とメディアは取り上げますが
気がつけば2年だったような気がします。
その地区でもそれぞれのドラマがあり
人それぞれ違う気持ちでむかえた3月11日でした。
本日の夜NHK総合9時~よろしければご覧いただければと存じます。
一度しか行っていないので気づきませんでしたが、少しずつ変わっていたんですね。
横レスすいません。
夜NHK総合9時~、見ました。
出席されて良かったのではないかな~と感じておりました。
大海嘯、すごい字ですよね!
最初見たときから、大津波が想像できました。
木製の記念碑のアイデア、いいですね。
あとは、必ず、四年おきに新しくして頂きたいと思います。
木製品は作るのは容易いのですが、石と違ってメンテナンスに費用がかかります。
本日、約束の地さんの上のお子さんとうちの下の子の卒業式でした。
あと1時間ほどで謝恩会、私も今日も仕事になりません。笑
NHKのDO画と昨日のTV、どちらも拝見しました。
特にも昨日のは、家族全員で見ました。
商工の生徒の中には、中学の時の娘の同級生もいたので、彼女には感慨深いものがあったようです。
定点の写真は、やはり撮っておきたいと思っています。
ただ、本郷はこれまでの津波を教訓にしている地域なので、今後も大丈夫だとは思いますが、
撮り始めたので、続けたいと思います。
さっ、もう少しで謝恩会、カメラを持ってスナップ撮りです。笑
震災後、よくよく考えると足を運んでおりませんでした。
当時は気持ちにも余裕がなく、目の前のことをこなすの精一杯でした。
春になったら一度この目で確かめに行って来なければと思っています。
昨日のNHK、ご覧頂きありがとうございました。
娘と同じ部活で、遠野の方もいたと思います。
素敵なクラスメートに恵まれ本当に感謝しています。
NHKの放送、ご覧頂きありがとうございました。
行って良かったと思っています。
きっとあの場所にクラスの皆さんと一緒に居たと思います☆