奈良公園から東大寺。飛火野、浮見堂から
猿沢の池、そしてならまちをちい散歩して
また近鉄奈良駅へ。そこから大和西大寺駅で下車。
この大和西大寺駅は、かの元首相の暗殺事件で
全国的に一躍有名な駅になってしまった。
駅から垣間見るあの場所は工事中のようであった。
静かに黙とうをしてご冥福をお祈りする。
あの日、あの時、予定を変えずに帰京していたら
あんな事件は起こらなかったのだと思うと
そしてそれは自分のためにではなく人のために
起こした行動の結果であるということを鑑みても
何か人生には時として抗えない運命というものが
存在するのだと感じざるを得ない。そしてその後
あの事件は予期せぬ展開を見せる。運命とは
必然と偶然の複雑な綾模様のようなものなのだな。
そんな思いに駆られながら、西大寺駅から
橿原神宮行に番線を変えて乗り換える。
ひと駅めの尼ヶ辻で降りた。駅は無人であった。
そこから地図を頼りにある店を目指して歩く。
古墳が目印である。踏切を渡って少し歩くと
古墳が見えてきた。
この古墳は垂仁天皇陵で宝来山古墳と言う。
全長約227メートル、周囲は濠である。
数羽、水鳥たちが憩っていた。
古墳時代初め(5世紀初め)の前方後円墳で
御陵に寄り添うように浮かぶ小さな島は
天皇の死を哀しみあとを追うように死んで
いった田道間守(たじまのもり)の墓と
伝えられているとガイドにあった。
古墳を左手に見ながら添うように歩く。静かだ。
民家も平屋建てが多くて、空がとても広く感じる。
帰りも夜道を歩いたが、星空がすごく近くて
まるで時代をさかのぼったようなそんな錯覚に
陥ってしまった。飛鳥天平の時代はきっと
こんな静かな星空が広がっていたのだろうな。
それにしてもひと駅ゆけば、奈良には
こんな由緒ある古墳の町がある。
この近くにはあの唐招提寺もあった。
今回は時間がなくて行けないが
またいつかは訪ねてみたい。
二十分ほど歩いて、閑静な住宅街の中に入る。
町名板を辿りつつ今回のお目当ての邸へ。
看板もない普通の民家であるが見つかった。
ベルを押す。若女将とやや盛りを過ぎた
臘梅が私たちを迎えてくれた。