goo blog サービス終了のお知らせ 

陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

俳句我が 一年

2022年12月27日 | cocoro

今年一年、我が俳句を振り返る。
何といっても今年二月に我が師
稲畑汀子先生が帰天されたこと。
百歳までは生きて欲しかった。
それが無理ならせめてあと五年ばかりは
我らを見守って欲しかった。

俳句界は、特に伝統俳句界は
拡大発展していくのか、それとも
縮小均衡してゆくのか?俳句界を
厚い層で支えてきたコアメンバーが
高齢化して引退していく中で、拡大発展
させる術があるのだろうか?そのためには
どんな対策と実践が必要かつ必然なのか?

そんなことを思いつつも、私はふと
井上陽水の名曲「傘がない」を思う。
マクロ的課題がどうであれ、私には今日
彼女に逢いに行く傘がないのだという自己。
つまり大きな課題はわかるとしても
私の俳句はどうなのか?ということだ。
偉そうなことを言っても、お前の俳句には
力があるのか?愛があるのか?何より人の心を
共感させることのできる魅力があるのか?

或る若い俳人からメールが来た。
俳句を初めて一年少しで2000句作ったという。
一日5句で一年1825句だから素晴らしいと思う。
それだけ作っても、自分よりうまい句を作る
人がいることに打ちのめされたと言う。
自分はセンスがないと思い知らされたと言う。

こんな若年層がいることに意を強くした。
一時でもどっぷりとつかる人間は
いつかきっと芽を出すに違いない。

さて、今年の我が俳句の一年はどうだったか?
今年はかなりセーブした一年であった。
俳句大会などの応募も極端に減らした。

しかし俳句はある意味、消費の文学である。
よって消費し続けるとやはり消耗してくる。
というか枯渇してくると思う。これをどう
維持し続けるか?如何にアウフヘーベン
するか?が永遠の課題である。

そのためには愚直に歩み続けること。
それをこの一年の学びとすることにしよう。

数へ日や振り返ること期すること
コメント

にっぽんのW杯で思ったこと

2022年12月05日 | cocoro

W杯、決勝トーナメント対クロアチア戦。
日本は最後の最後で負けてしまった。
冷え込んだ部屋で最後までテレビ観戦。
負けたのは期待が大きかっただけに
その反動でとても残念ではあったが
日本はよく頑張ったと思う。

着実に過去よりも結果を残したのだ。
そして同時にまた新たな課題も見つかる。
監督が言うように、もう世界に追いつく
ではなくて、どう追い越すかだろう。
しかしこの躍進もやはり日本選手が世界で
日々プレイしているからこそだと思う。
世界と戦うには日々世界の人が集まる中で
精進していないとレベルは上がらない。
これはどの世界でも同じだと思う。
井の中の蛙では世界のレベルを経験できない。

とりあえず選手たち、監督はじめスタッフに
ご苦労さま。感動をありがとうと言いたい。

さて日本のW杯も終り
今年もあと四週を残すのみとなった。
ジャネーの法則ではないが、本当に
年齢と共に一年が年々速くなってゆく。
それはすなわちバニシングポイントに
向かって加速度を増すかのように。

今年一年わたしは何を為し得たか?
何を為し得なかったか?
その振り返りから見えて来た課題は何か?
そしてそれをどう克服してどうレベルUPする?
そのためにどんな練習をすればいいのか?
その質は量は?そしてどんな集団で戦えば
もっとレベルアップするのか?
私も考えてみよう。そう思ったW杯であった。

年の瀬や振り返ること日々新た
コメント

師走来る

2022年12月01日 | cocoro

さあ、今日から師走だ。師が走る月である。

そう言えば今春に亡くなられた我が師も
十二月になると、一日に句会を三つも
掛け持ちする日があった。午前中に
大阪の太閤園で句会をして、そこから
車を運転して大阪は本町の綿業会館へ。
師の車がやって来る頃を見計らって、いつも
駐車場でお迎えしたことが懐かしい。そして
その後は第三の忘年句会と忘年会食があった。
そんなスケジュールだったが、師は楽しそうに
こなされていたと思う。
そして今年もその季節がやって来たが
師の在まぬ今年はその忘年句会は無い。
ちょっとセンチメンタルになる師走である。

その頃は御堂筋も樹々を飾るイルミネーションが
美しい。銀杏もほぼ葉を落ちし切っている頃だ。
黄落の中をそれぞれの人が足早に通り過ぎてゆく。
商人の街、浪速の極月の一景である。

無造作に散り敷いている銀杏落葉も
こうしてみるとさまざまなかたちを為している。
かたちとは形とも容とも書く。もののかたち
森羅万象のかたち。かたちを詠むことも形である。

十二月魔法の時間走りそむ
コメント

或る俳人の訃

2022年09月13日 | cocoro

概ね、俳人たちの訃報というのは高齢の方が多い。
八十代後半から九十代というのはざらである。
それだけ俳人は長生きの人が多いように思う。

だから六十代とか七十代前半の方の訃に
接するとやはり志半ばのような気がして辛い。
処暑を迎えようとする頃、そんな年代の俳人の訃が
ふたつ立て続けに入ってきた。

お一人は同じ句会の方。そしてもうお一人は
これからの伝統俳句をリードし支える立場の方。
その方の奥さまんも俳人で、私も色々とお世話に
なっている間柄である。
奥さまの悲しみを思うと、お慰めする言葉にも
少し逡巡してしまう。そんな思いである。

前者の方は、新しい俳誌を一年前に立ち上げたばかりで
これからさらに充実した70代を迎えるはずであった。
毎号送っていただく俳誌には、新しい企画もあって
こういう胎動の正に先頭を走って頂く方であった。
数年前にとある打合せを打診したときに、私も通院
していたとある大病院に入院されると本人から聞いて
いたのだが。こんな急な展開になるとは。

ちなみにその俳誌だが、私もよく知っている方が
後任の主宰として引き継ぐことが決まった。
故人の遺志を引き継ぐ方がすぐに決まって
ご本人はさぞご無念であると思うけれど
ひとまず安堵されておられるかもしれない。

このような訃に接すると、人間には抗えない運命と
いうものが厳然と存在するのかなと思ってしまう。

今はただお二人のご冥福をお祈りするばかりである。
コメント

七十七年目の終戦日

2022年08月15日 | cocoro

七十七回目の終戦日である。

私の父も戦争に行った。
終戦は佐世保で迎えたと聞いた。
もし、今生きていれば九十八歳だ。
終戦の時は二十一歳であった。

あの戦争で生き残った方たちも、もう
ほとんどが鬼籍に入っているだろう。
戦争の生き証人が全ていなくなる日も近い。

戦争の記憶が薄れてきたと思ったら
なんとウクライナで戦争が始まった。
台湾も危ないと言われている。
人類はやはり戦うことが好きなのか?

企業社会もみんな普通に戦うと言う。
仕事をすることも戦いなのだ。
戦うぞ!なんて気勢を上げて仕事をしている。
皆戦うと言う言葉に何の疑問も持っていない。
これよく考えると、やはり人類は戦うということが
遺伝子に染みついているのだなと思わざるを得ない。

九州の田舎には遺骨なき伯父の墓がある。
半島の小さな村の高台の海を望む墓地に
伯父は眠っているのだが、遺骨はない。
南方の海の藻屑となって戦死したのだ。
勿論、私は伯父の顔を知らない。
田舎の本家の薄暗い仏間の鴨居の上に
飾られた軍服の遺影で知るだけである。

私の歳辺りが、戦争に行った親を持つ
最後の世代だろう。そういう意味では
私も戦争の記憶を語り継ぐべき使命を
負ってるのだ。

真青なる知覧の空や夏の果

(写真)2007年、大和ミュージアムにて
コメント

七十七年目の原爆忌

2022年08月06日 | cocoro

二〇二二年八月六日、戦後七十七年の原爆忌。
少しでもあの悲惨な体験を日本人として思い起こし
平和について考える機会にして欲しいと
先日の句会での兼題に「原爆忌」を取り上げた。
「原爆忌」に行ったとことある人は?
と聞いたら皆さん参列経験はなしとのこと。
ただテレビで見たことがあるとのことであった。

私は広島時代、毎年朝八時前より参列をしていた。
広島に住み平和記念公園を一年通して見ていると
平和を訴求し続けるということが、どれほど
地味で地道な活動が必要なのかがよく解った。

毎朝、公園を掃除する人、毎朝祈りを捧げる人
やってくる修学旅行生や課外学習に来る生徒たちに
平和の大切さを心を込めて説明する語り部たち。
実に多くの人に支えられているのだ。
原爆忌に参列したからではなくて、その活動の
姿を通して私は平和の大切さを学んだのである。

今年は広島出身の総理大臣が誕生したので
そのスピーチも注目していた。

三年前の一新された資料館の展示室では
とある少女の写真がまず目に飛び込んできた。
被爆直後の少女の姿をとらえた写真である。
少女はどこを見つめてゐるのだろう。
いやおそらくどこも見つめていないのだ。
私たちの心を捉えて離さない一枚であった。

実相展示を主眼にリニューアルされた資料館。
どんな思いや反戦を声高に叫ぶより、この実相展示
つまり客観写生ほど心に訴える展示はない。
ぜひ行ってほしいと思う。

原爆で亡くなられた方々へ哀悼の意を込めて。
原爆忌かつて灼熱なりし川

コメント

八月に想うこと

2022年08月01日 | cocoro

さあ、八月がやって来ました。

八月のつく映画作品を上げてみると
先ず何といっても以下の好きな作品が浮かびます。
・八月の濡れた砂(監督:藤田敏八)
・八月の鯨 (リンゼイ・アンダーソン)
・八月の狂詩曲(黒澤明)
他にこんな映画も
・八月のメモワール
・八月のクリスマス

上の三つの映画は今でもとても印象に残ってます。
まさに八月というひと夏の物語。八月は強烈な印象を
残すけれど、あっという間に過ぎ去ってゆきます。
大衆がいだく八月というイメージはそんなものでしょう。

俳句も映画もそうだと思うのですが
大方の人のイメージの範囲に収まらないと
作品としては中々共感を得にくいものです。
かといってそのマジョリティに埋没しては
ありきたりな予定調和を脱しきれない。
このジレンマをどう止揚するか?
そこに文学の醍醐味というか可能性があります。

さて、ありきたりな八月にならずにどう過ごすか?
凡人には映画のような展開はどうもありません。
ではどうするか?
記憶の中の八月を楽しむことにいたしませう。

思ひ出の八月を抱く齢かな

(写真)とある年のUSJにて
コメント

十七年目のマイライフ・アンソロジー

2022年06月10日 | cocoro

2005年5月の玉川上水の景から始まった
my blog“陽だまりの旅路イスキア”も
まる十七年を迎えました。

ここまでの掲載本数は3488本。
slow lifeはちょうど1000本の区切りと
なりました。我が十七年間の軌跡です。

この間、色んな出逢いがありました。
そして別離もありました。
この人とは長い付き合いになるのかな?
と思った人とは案外、縁がなかったり
特に熱い思いで付き合っていたという
訳ではないけれど、気が付けば途切れず
ずっと繋がって居たりと、人の縁とは
予測できないもので不思議なものです。

人生はなべて、加えて人との関係も
予測なんて所詮できないし、思うように
ならないのだからとにかく今を大事に生きる。
今自分との関係を大事にする。そしてその
成果なんて求めない。自分が納得できたら
それでいいではないか。やっとおぼろげながら
そう思えるようになって来ました。
それはまあ或る種の諦観かもしれないけれど。
日本人が持つ諦観と云う意味、概念が
少しは我ながら輪郭が見えてきたかなという
感じがします。
人生を上手く生きようなんてことは所詮無理。
ならば人生、自分にだけは正直に生きようと。
あれ?これは去年も書いたかな?

私のブログを訪ねてくれる数少ない人とも
私は心で繋がっています。沈黙の中で繋がってる。
この繋がりこそ大切にしたいのです。
その感覚の世界で生きていきたいのです。
古い奴だとお思いでしょうが、いいねとか
お友達フォローとか、仕事では裏腹に今はSNSの時代だ
なんていけしゃあしゃあとプレゼンしておりましたが
その肌感覚は本音ではどうしても馴染めませんでした。
モバイル時代、いつでもどこでもつかまるなんて
それは人生の墓場みたいなものだと思ってました。

そんなイスキアですが、これからも生きている限り
このブログを綴って参ります。
見えないけれど世界のどこかで繋がっている。
この世界のどこかでリアルに呼吸している貴兄、貴姉へ。
感謝を込めて…

店主敬白

布引ハーブ園にて(写真)
コメント

高所&閉所恐怖症 雑感

2022年05月25日 | cocoro

高い処から下を覗くと、鳥肌が立って
足が竦んで、心がきゅーっと縮むようになる。
そして何か眼下に吸い込まれそうになる。
高所恐怖症というのは、大体そんな感じでは
ないだろうか?これらの症状は私には全部
当てはまるから、私も高所恐怖症である。
バンジージャンプは絶対無理!

さて、スカイツリーの展望台に下が透けて見える
強化硝子の覗き窓(写真)があるが
(明石海峡大橋にもあった)みんな遠巻きにして
中々そこに立とうとしないのだが、それは案外
私は平気であった。

またスピードにもどちらかと言うと弱い。
一度かなり運転の好きなお方の車に乗って
そのハンドル捌きとスピードに、ずっと
足が突っ張ってかなり疲れた経験がある。
或る時は上品な高齢女性の車に乗った。
女性だったので安心していたのだが
まあこれがとんだ見当違い。その方は
意外と短気でスピード狂だったのだ。
運転は人を変えるとは本当のこと。
人は見かけによらないことを実感した。
以後は大人しそうだがら性格も大人しいとか
おっとり話すからおっとりしていると言った
ステレオタイプ的な判断をしないことを私は
学習したのである。

自分が閉所恐怖症もあるとはっきり自覚したのは
初めてMRI検査を受けたときであった。
その時は体がすっぽりと入る検査であった。
はじめは良かったが、だんだんとあの音が
脅迫的に耳につきだして耐え切れなくなった。
もう駄目だ!緊急ボタンを押してしまった。

あれから何回かMRI検査を受けたが何とか
辛抱できている。MRIの装置もかなり改良されて
良くなっていることもあると思う。
それでも、つい先日もMRI検査を受けた。
ただこれは膝の検査だったので不安はなかったが
それでもやはりトラウマが頭をもたげてくる。
ずっと緊張していた。あの音は何度経験しても
慣れない。しかし、何であんな音がするのかな?
ヘッドホンをつけさせられたが、全然だった。
案外時間もかかるし、そして費用も高いし
できればこれからもあまり受けたくない検査だ。
まあ痛い検査ではないから、そんな検査に比べれば
どうってことはないのだけれど。
アンギオなど大腿部から造影剤入れる検査なんて
あれは恐ろしい。術後も重石で絶対安静だったし。
(注:私はアンギオは経験してません。)

高所や閉所恐怖症ならまだ笑って話せるが
パニック症候群となればQOLがかなり低下する。
しかしそれを患っている人は案外多い。
歳を取ると鬱やこういう神経症のリスクも高まる。
私は人見知りするタイプなので、これで、もし
対人恐怖症にでもなったらどうしようか?
なんて考えることがある。
今は精神的に病む人がかなり増えているとか。
高齢者鬱も増えているというし、高所や閉所
恐怖症だと笑って言えるうちはいいのだが。
コメント

哀悼を捧ぐ

2022年03月04日 | cocoro

今日教会にて、恩師と最後のお別れをして参りました。
穏やかなかんばせでした。御恩は一生忘れません。
花鳥諷詠の志を微力ながらも継承して参ります。
どうぞ安らかにお眠り下さい。ありがとうございました。


コメント