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陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

或る俳人の訃報

2022年02月17日 | cocoro

先日の訃報に目が止まった。
2月13日棚山波朗先生、老衰のため死去。
82歳と新聞の三面記事にあった。

棚山波朗先生とは面識はないけれど
印象に残っている先生なのである。
それというのも、私が俳句を始めて二年目に
とある全国レベルの俳句大会で、初めて入選し
表彰状を貰ったのが波朗先生の選だったのである。
それ以降、波朗先生とは何故か相性が良くて
伝統俳句系の選者先生以外で、何回か一番よく
採ってもらったのが波朗先生なのであった。

いつかどこかの大会でお目にかかったら
お礼のひと言でもと思っていたのだが
残念ながらその機会もなく他界されてしまった。

先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
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追悼の冬さうび

2022年01月21日 | cocoro

友からのメールに悲しい報せが。
その友だちの友だちであったお方が
先日、虹の橋を渡られたと…。

私の主宰する卯浪という句会に参加することを
楽しみにされていたのだが、体調が思わしくなく
残念だが行けないと友から聞いていたのだが。
こんなにも早く逝かれてしまうなんて。

その方は私のブログの数少ない愛読者のお一人だと
友からは聞いていた。治療して体調が良くなって
句会で勉強できる日を楽しみにされていたと言う。
また彼女のエッセイを書くという夢を叶える原動力に
私のブログがなっていたのだと聞いた。それだけは
お伝えしておきたいとメールには書かれていた。

ついに一度もお会いすることもなく
冬の虹の彼方に旅立っていかれたリサさん。

私やその同級生の友より遥かに若い方が逝かれるのは
辛い思いとやるせない思いが交錯してしまいます。
リサさんが確かにこの世に存在したことを忘れず
友と一緒にこれからも貴女の分まで俳句を詠んで
参ります。
貴女が天上から読めるようにブログも続けて参ります。
時には雲の上から電波をジャックしてご覧ください。

どうぞ安らかにお眠り下さい。
心よりご冥福をお祈りしております。

冬虹の彼方に君は逝かれしか
咲き切つて色失はず冬薔薇(さうび)
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二十七年目の祈り

2022年01月17日 | cocoro

今年も1月17日の阪神忌がやって来た。
正確には阪神・淡路大震災であるので
「阪神忌」と呼ぶのはやや配慮が足りないのでは
という気もしているのだが、言い易いので
あえてそう呼ばせてもらっている。

いつも東遊園地に出掛けてる。
今年も風の冷たい日であったが三ノ宮へ。
コロナのこともあってか記帳台はなかった。
よって毎年のように記帳して、白い寒菊を貰って
それを水に浮かべて祈るという、一連の
私にとってのイニシエーションが出来なかった。
広場の竹の蝋燭も規模が縮小されていた。
しかし今年は新しい燭のオブジェが設置されていた。

あの震災の記憶はまだ鮮明である。
私の住んでいる所は激震地であった。
震度7強の衝撃。突き上げるような最初の衝撃から
揺れという生易しいものではない破壊が続いた。
テレビが飛び、すべての硝子、陶器類は粉々になり
箪笥類、冷蔵庫も勿論全部倒れていた。
起きて歩き出すと硝子の破片で足を切った。
血がとめどなく流れていたが痛みは感じなかった。
しばらくすると階上から水が漏れて来た。
洗濯機に繋いでいるホースが外れて水が出っ放し
だったのだ。

窓の外を見ると、民家辺りからちろちろと火が見えた。
やがてそれは燎原の火のように、辺り一帯を
燃え尽くしていった。新築されたての木造の寺が
瞬く間に炭と化していった。消防車は来ない。
消化する水もない。傍の川からバケツリレーで
人力で消化作業が行われたが焼け石に水であった。

別の部屋で寝ていた子は、箪笥が倒れてきたが
ちょうど向かいの壁につっかえて、そのせいで
うまい具合に三角形の空間ができて、そこに
寝ていたので無傷で無事であった。

わが家族や縁者に死者は出なかったが
多くの知り合いが亡くなった。昨日まで
普通に付き合っていた人が突然亡くなる。
その現実を受け止めるのはなかなか難しかった。
大方の人は震災当日の記憶や行動が曖昧である。
とにかく、車が無事だったので、実家の安否を
確かめに二号線をすぐに走った。阪神新在家の駅が
落ちていた。そこから二号線は火災の景がつづく。
その火事の熱で車内がとても熱くなっていった。
まるで太平洋戦争時代にタイムスリップしたような
そんな感覚に陥ったのだけは覚えている。

その夜は無事だった親戚の家に泊った。
新神戸駅近くの山手幹線にあったその家は
古い木造家屋で、なんで無事なのだろうと
不思議であった。今から思えば、そのあたりは
岩盤の地層であったので無事だったのだ。
南の方の砂礫層地盤の地区だったら、きっと
跡形もなくつぶれていただろうに違いない。

震災当日の摩耶辺りのJR線路沿いからみた夕陽が
とても美しいかったことが記憶に残っている。

今年の震災忌のテーマは「忘」である。
あの震災を知らない人も増えて、風化するのを
避けなければならない時代となったのだ。
私も体験者のひとりとして、機会あるごとに
こうしてあの震災を伝えていかないといけない。

この日は旧暦の12月15日。奇しくも満月である。

寒月やあの日あの刻あの地震
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弾丸句会に思ったこと

2022年01月10日 | cocoro

松の内とは関西と関東では長さが違う。
関西では1月15日までが一般的であるが
関東、東京では1月7日までとか。
俳句では「松過」という季題があるが
関西では15日過ぎてからということになる。

さて、この土日は弾丸のように三つの句会をこなす。
さすがに三回目を終えてほっとして、ちょっと
家に帰ると脱力状態になってしまったが
“命の水”をぐびっと補給してすぐ戻った笑

それにしてもそんな日程を我が師は、なんと
90歳まで全力でこなされていた。そして
一度たりとも忙しいなんて言葉を聞いたことがない。
今更ながら頭が下がる思いである。
そんな尊敬する師であるが、今年から
とある新聞の俳壇の選者を降りられた。
いつか来ることとは言えとても寂しい。

さて、今年はどんな俳句を私は詠むのだろうか。
もちろん、“去年今年貫く棒の如きもの”
と云うように連続性の中に人は生きているのであるが
それでも何らかの変化はあるものである。
どんな化学変化が自分の中に起こるのか?
それも楽しみなことでもある。
いやひょっとしたら停滞してしまうことも
あるかもしれない。そうならないためにも
常に革新していかねばと思っている。
挑戦し続けないと停滞してしまうのは
社会も、文芸も同じである。
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温泉の初夢

2022年01月02日 | cocoro

初夢を見たような見なかったような。
どこか素敵な温泉に行ったような気も。
もっとコロナが落ち着いたら
また温泉に行ってみたいなと思います。
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2022年新春

2022年01月01日 | cocoro

2022年が明けました。

午前中は綺麗な初御空が広がっておりました。
今はちょっと雲が多くなっています。

喪中のため祝ぎ言葉は控えさせて頂きますが
皆さまにとっても良いお年でありますよう
願っております。

まだまだコロナ禍終息とは行かぬかもしれませんが
できることをしっかりして参りたいと存じます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

店主敬白
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聖夜の回想

2021年12月24日 | cocoro

今宵は聖夜ですね。

私はミッション系の幼稚園で初めて
イエスキリスト様に出会いました。
お昼には必ず神さまにお祈りしてから
お弁当を食べた記憶があります。
クリスマスが近づくと、みんなで
聖夜劇の練習をしました。
勿論日曜学校は欠かさず参拝。
そこでカードを貰うのが楽しみでした。
今思えば初めてのカード収集歴でした。
つまり私が初めて神の存在を知ったのが
この幼稚園時代なのです。

以来気が付けば、何か不安なことがあると
両手を組んで神さまに祈る習慣がついていました。

小中学校と公立だったので物心ついてからは
キリストの世界からは縁遠くなりましたが
それでもクリスマスになると、小さい頃のことを
思い出しておりました。
そんな時代が高校まで続きました。
ところが入った大学がミッション系だったので
また神さま、イエスキリストが身近になりました。
キャンパス内にある教会のミサに参列すると
何故かとても心が落ち着く自分を発見しました。
懐かしいような安息の感情に支配されました。
まさに三つ子の魂百までを実感したのです。

やがて大学を卒業し会社に入ってからは
また神さまから遠く離れる生活が続きました。
触れる機会と言えば、会社の人間の結婚式で
教会に行ったときくらいだったような気がします。
それでも讃美歌を歌うと、心が一気に
幼に戻るようなそんな気がしました。ところが
五十を過ぎて俳句に出逢ってから、また神さまが
身近になりました。師がクリスチャンだったからです。

閑話休題。さて、私はサンタクロースの存在を
いつまで信じていたのだろうか?
定かではないですが、小学校の低学年までは
確かに信じていたように思います。
小さい頃は両親が毎年、イブになると
枕元にプレゼントを置いてくれていました。
勿論、尋ねると親は決まって
「サンタさんが来たんや。」と言っていました。
今となって考えると、そういう風に信じていたことは
実はとても幸せなことだったのだと痛感します。
そういう経験のない子どもたちは、今の世でも
世界にいっぱい存在しています。
夢を信じることができる環境は、その後の
その子の人生に大きな影響を与えます。

そんなこんなを色々と回想しながら
ふと今宵は神さまに祈ってみようと思いました。
勿論誰にも気づかれずに。

教会の黙にカロルを聴く聖夜
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北新地の裏通り

2021年12月17日 | cocoro

久しぶりに北新地にゆく。と言っても
大阪に用が合って出かけた折に昼間の
北新地をちょっと通ってみただけである。

小生が就職したのは1980年。
それからの十年間、日本経済は
バブルに向けてひたすら階段を昇っていった。
広告関係だった会社の先輩には遊び人が多かった。
毎日、会社近くで呑むのは当たり前。
飲みに行くか雀荘に行くかがお定まりであった。
週末は競馬かゴルフ。私の勤めていた会社の隣には
競馬放送をやっている某ラジオ局があって
そこの人からときどき競馬場の報道席を貰って
仁川や淀の競馬場に先輩に連れて行ってもらった。

20代から30代は平日は飲みに行くか麻雀。そして
週末は競馬かゴルフという生活であった。
今から思えばカミさんには随分と迷惑をかけたと思う。
子育てなんか任せっきりだ。それでも当時は皆
そうだったから、うしろめたさはあったが疑問は
余り感じてはいなかった。今の時代なら即離婚だろう。
今は俳句をたしなみまっとうな人生を送ってるが
その当時はそんな生活とは無縁のスノッブ塗れの
自墜落な生活であった。よって借金もあった。
自己破産した同業の人も何人かいた。幸い
自己破産するほどまでは行かなかったが。
でも言訳ではないが、人生と言うのは、例え
廻り道しても無駄ということはないのである。
この時の放蕩が、文学には肥しになっていないことも
ないのである。そう思いたい笑。

会社の近所で呑んでから北新地に行くときは
北浜でタクシーを拾いそこから老松町を抜けて
御堂筋の新地本通りの入口で降ろしてもらう。
先輩たちの行きつけの店は何軒もあった。
終電に間に合わなければタクシーで帰宅した。
一万円を超える出費は痛かったが、ときどきは
先輩からタクシーチケットを貰った。
いい時代であった。当時某テレビ局の人間が
仕事で急ぐ時だけ電車に乗ると言っていたのが
印象的だった。そんなバブリーな時代であった。

今となっては何とも懐かしい時代である。
新地の本通りから北へ抜ける路地がある。
今は蜆楽通りといって提灯がぶら下がっている。
そこにこんなポスターが貼ってあった。
この通りを抜けて都島タクシーを抜けて
終電に間に合うように急ぎ足で、JR大阪駅まで
よく向かったものである。昭和五十年代は
終電には普通のOLなんてあまりいなかった。
終電で見かける女性と言えば、ほとんどが
水商売の勤め帰りの女性たちであった。
今とは隔世の感である。

さて今の小生と言えばもうそんな気力も
体力も酒の強さも全然なくなったので
北新地という所も、もうずいぶんと遠い存在に
なってしまった。昼間のこの界隈を歩きながら
林立するビルの看板に知っている店がないかなと
探してみたが、ほとんど知っている名はなかった。
高齢化とこのコロナ禍もあって、ほとんどの店は
もう廃業してしまっているのだろうと思う。

この界隈が昔のような繁栄を取り戻すことは
あるのだろうか?店の看板を見るたびに
思い出だけを積み残しているような気がするのである。

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吉右衛門さんへ哀悼を捧ぐ

2021年12月02日 | cocoro

人間国宝、中村吉右衛門さんの訃報。
11月28日に死去されたという。享年77歳。

吉右衛門さんは私を歌舞伎好きにしてくれた
歌舞伎俳優であった。それまではそれほど
歌舞伎に興味関心があった訳ではなかった。

2010年12月、南座の顔見世を観に行った。
その時の演目のひとつ「菅原伝授手習鑑
寺子屋の段」の松王丸役でみた吉右衛門さんの
その演技に心を奪われてしまったのである。
それ以来歌舞伎に興味が向くようになった。

今朝の日経新聞の記事では
「心で感じ、心で演じた人」という見出しが。
“役の真情をお客に伝える演技は
真心を突きつめた先に咲く花だったのだろう。”
とある。

その評伝によると、才能もない、声が悪い
体つきが大きすぎるなど、重圧が相当だったという。
精神安定剤をジンで流し込み、吐血して救急車で
運ばれたこともあったと書かれてあった。

今まで何回か歌舞伎を観ているが、私にとって
あの時の松王丸役の吉右衛門さんの演技は
今でも鮮明で忘れられないのである。
それほど心に伝わってくる演技であった。

もっともっと活躍して欲しかった。
歌舞伎の演目が発表されるたびに
吉右衛門さんの名前を探した。
タイミングが合えばその時にはまた観ようと
思っていた。
俊寛など是非観てみたいと思っていた。
失ったものの偉大さを思えば、私的には
マイケルジャクソンの訃報以来の悲しさである。

奇しくも、今月、うまくチケットが取れたので
久しぶりに南座の顔見世に行く。
いつもの南座の一番上の大向こうで
吉右衛門さんの面影を追いながら観ようと思う。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

(写真)2010年の顔見世演目表
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晩夏のジラソーレ

2021年08月22日 | cocoro

夏が逝こうとしている。

いつもなら空の青さに高さの深みが加わり
雲はいつもの位置にその姿を変える頃だが
それでも空は重たい色に覆われたままだ。

地上では疫病が蔓延し人びとは息を潜めている。

さて、自然の造化たちはどうだろうか?
夏の日射をいっぱい得ることができただろうか?
種を沢山つけることができただろうか?

ジラソーレが
何かを訴えるようにこちらを見つめていた。
それでもやはり夏は逝こうとしていた。
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