グッチーの日本寸評

「わが日本を少しでもいい国、住みたい国にしたい」との思いから日本の政治、経済、世相を自由気ままに評論する。

空気が読めない相撲協会

2012年01月31日 | 日記
昨夜のテレビニュースで某局のキャスターが「日本相撲協会の理事長に北の湖親方が選ばれてしまいました。」と報じていた。
「選ばれてしまいました。」という言い回しが妙に印象に残り苦笑を禁じえなかった。
北の湖親方は3年半前に度重なる不祥事の責任をとって理事長職、理事職とも辞任しているのだがまさか再任されるとは思わなかった、それも満場一致で・・・(一同で示し合わせたとしか思えない)。
ほかに適任者はいなかったのだろうか。
理事の一人は「経験をつんでいる方でないと(難局を)乗り切れない」と話していたが思わず違和感を抱いてしまった。
むしろ(不適切な)経験から脱却できないためにあれほど深刻な不祥事を積み重ねてしまったのではなかろうか。
たとえ素人であってもコンプライアンス意識の高い相撲ファンの方がはるかに適任ではと考えるのは私だけではないだろう。
相撲協会は自身が未だ観察下にあることを自覚すべきであってミソギが済んだと考えるのは明らかに早計だ。

真冬の鎌倉を歩く

2012年01月31日 | 日記
先日ふと思い立って鎌倉まで出かけてみた。
円覚寺ほかいくつかの寺院や川喜多記念館などを巡ったのだが一番印象に残ったのはあの小町通りの人出である。
真冬の平日にも関わらず真っ直ぐ歩けないほどのあの集客力には驚くばかりだ。
いくら鶴岡八幡宮という偉大なマグネットが近くに鎮座するとはいえ・・・だ。
それにあの通りにはほかのショッピングストリートによくある全国ブランドのファストフードや物販店はあまり見かけない。
あれだけの集客力があるのだから各チェーンとも進出意欲は十分だろうが意外とそんな店が少ないのである。
行政や商店会の努力があるのかもしれないが商店街の個性や魅力という点で地元の店舗で埋め尽くすことは本当に大事なことだと思う。
あの賑わいを見るたび元気を貰うとともに何か商店街活性化のヒントが隠されているのではないかと思うのである。

「大阪維新の会」国政方針策定開始に思う

2012年01月30日 | 日記
橋下市長が代表を務める地域政党「大阪維新の会」が国政に向けた政治方針つくりを急ぐという。
国政進出については以前はやや曖昧な表現だったがここに来てスタンスが変わってきたようだ。
民主党、自民党こそこういう動きが必要だと思うのだが一体どういうことか。
民主党は副総理を中心にマニフェストを見直すとしているがあまりのノンビリぶりにあきれるばかりだ。
国民の困窮をどれだけ認識しているのか甚だ疑問だ。
自民党だってこのブログで散々こき下ろしているのだが何かにつけ「反対、反対、解散総選挙だ」と連呼するだけで「日本をどういう姿にしようとしているのか」については何も見えてこない。
消費税増税に賛成の立場をとりながら与野党協議は拒否するなど全くワケが分からない。
この際両党に言いたい。
「大所帯だから機関決定は時間がかかる」などの言い訳は通用しない。
死に物狂いで変わらないと国会の議席は他党に大きく侵食されるだろう。
あるいは「空中分解」が待っているかもしれない。


対メジャーリーグ新時代に思う

2012年01月29日 | 日記
野茂に始まり(古くは村上か?)イチロー、松井(秀)、松坂など日本プロ球界から米国メジャーリーグに転じ活躍した選手は数多い。
その後毎年のように日本人有力選手がメジャーリーグにプレーの場を求め大きなトレンドになっていたがここに来て変化が出てきたようだ。
まずメジャーリーグ側の日本人選手を見る目が厳しくなったことだ。
西武・中島は結局契約交渉がまとまらず日本に残留することになった。
あのヤクルト・青木ですら「実技テスト」を経てようやくすべり込んだに過ぎない。
各チームを牽引してきた実績は申し分ないのだがそれでもこんな状況なのだ。
一方で以前中日に在籍していた川上や阪神にいた井川などに対しては前球団関係者や当時の監督などに彼らを呼び戻す動きがあるようだ。
日本であれだけ活躍したにも関わらず両選手ともメジャーリーグではほとんど出る幕がない。
気候や球場などのプレー環境なのか、ボールの違いなのか、・・・理由はよく分からないがこれが現実なのだ。
これからメジャーリーグを目指す選手諸君には相当の覚悟が必要ということだろう。


石原新党結成の動きに思う

2012年01月28日 | 日記
石原東京都知事が国民新党、立ち上がれ日本の代表と会談、党首就任を内諾した・・・とかで俄かに政界が騒がしくなった。
これで大阪維新の会が合流しようものなら政界に対する相当な起爆力になるのではないか。
このニュースに対し自民党総裁が露骨に不快感を示したというがさして上向かない支持率を考えれば必然の動きではないかと思う。
民主党、自民党がしっかりしていれば「こんなことにはならない」とは考えないのだろうか。
今日の国会代表質問も揚げ足取りと無味乾燥な答弁の繰り返しで失望を禁じ得ない。
二大政党制を目指したはずだが結局定着せずじまい、むしろ政党乱立、二大政党離れなど世の中は逆の方向に進んでいる。
われわれ選挙民も大いに反省しなくてはならないと思う。
もっと投票権を大事にしよう。


TPP対応問題を考える

2012年01月27日 | 日記
先日自民党党大会での挨拶でTPP問題に触れた経団連会長に対し参加反対派の議員が野次を飛ばし一寸した騒動になったようだ。
来賓に対し罵声を浴びせるなど異例だしそもそも失礼ではないか。
TPP参加の是非については政府・与党でも未だ意見集約には至っていないが自民党も状況は変わらない。
この問題は結局当該議員の支持基盤が第一次産業にあるのか、第二次産業にあるのか(一部には医療サービスなど第三次産業の場合もあるが)に起因しているためなかなか根が深い。
ただ国としての選択肢が2者択一であれば結局参加・不参加のどちらが国益に適うかを整理し判断する以外に道はない。
さらにいえば不利益を蒙るセクターに対してはどんな過渡的措置を講じるか、だ。
そこまでの材料はまずは政府・与党が準備し審議に付すべきだろう。
どうも政治全体にスピード感を欠いているように思う。
大きな問題、難しい問題こそサッサと手をつけよう。

オリンパスの不正経理調査報告に思う(その3)

2012年01月25日 | 日記
不正経理処理に関わる調査が第三者委員会の手で行われその結果オリンパスが現・元取締役と現・元監査役に対し損害賠償請求訴訟を起こしたことは以前に触れたとおりだが同社の株主も同様に現・元経営陣に対し集団訴訟を行った。
前者は原告である同社の代表者および経営陣が同時に被告(の一員)でもあるため分かりづらい構図だがその点後者の場合は原告・被告が完全に分離されており提訴プロセスは自然に理解できる。
有証虚偽記載に何らかの形で関わった役員諸氏には本当に気の毒だと思うが粛々とその罪を償って欲しいと思う。
それがわが国の証券市場の信頼を回復させるための最も有効でかつ近道だと思うからだ。
いささか過激な意見に過ぎるかもしれないが日本の株主はもっと集団訴訟という手段と権利を行使していいのではないかと思う。
企業経営者だって自らやましい所がなければ「全く恐れるに足らず」だ。

兵庫県知事のNHK大河ドラマ酷評に思う(その2)

2012年01月24日 | 日記
兵庫県知事がNHK大河ドラマ「平清盛」について「画面が汚い」などと評論し県庁に批判のコメントが多数寄せられたようだがその後も県知事は何ら臆することなく意気軒高だ。
曰く「批判者は抗議するが(私の意見に賛成の人は)何もいわない」「世論が(画面を)『どうかな』というようになればNHKも考えざるを得なくなる」「瀬戸内海の『青』色が出ていない」等発言はエスカレートの一途だ。
まるであの批判殺到はとうに計算済みであるかのように見える。
県知事の発言のウラには大河ドラマの視聴率を高め観光客勧誘に繋げたいとする下心がギラギラだがここまで言うのはどう考えても行過ぎ、越権気味ではないか。
前回の繰り返しになるが県知事が多くの批判を承知で敢えてセンセーショナルな発言を繰り返しているとすればなかなかの策謀家だ。
だんだんそんな気がしてきた。


通常国会開会に思う

2012年01月23日 | 日記
明24日第180回通常国会が召集される。
未曾有の国難のさなか、円滑な国会運営を望みたいが果たして期待に応えてくれるだろうか。
与党民主党は相変わらずの党内事情で首相が命運を賭ける「社会保障と税の一体改革」は党内ですら不安要素を残す。
増税論の前に議員定数削減や公務員給与引下げ問題が横たわるのも心配の種である。
こんなときにこそ野党第1党たる自民党の協力が必要だが自民党は自民党で解散総選挙しか眼中にないようだ。
落選議員からの圧力は分からないでもないが今に自民党にかっての政権担当能力があるのか甚だ疑問だ。
「反対、反対ばかりで全くビジョンが見えてこない」との地方組織の声(=国民の声)に執行部がどれほど真摯に受け止めているのか。
今仮に総選挙となればあの民主党ほど落差はないから消去法的な理由でそこそこ議席を増やすだろうが勝利の実感は乏しいと見るのが順当かもしれない(国民新党代表もどこかで似たような話をしていた・・・)。
自民党も解散総選挙などは当面封印して党派を超えた行動をとるべきだ。
国民はキチンと見ていると思う。

「エンディングノート」考

2012年01月22日 | 日記
大学生にとって「シューカツ」といえば「就活」が意味するが熟年世代の「シューカツ」といえば「終活」となる。
その「終活」の一つである「エンディングノート」づくりが今少しづつ浸透していっているようだ。
たしかに「遺言」というと堅苦しく二の足を踏んでしまうが「エンディングノート」なら意外に気楽に自身の思い・メッセージを家族や知人に伝えられそうだ。
「そもそも絆が緊密であれば『エンディングノート』など要らないはず」という意見もあるが逆に「エンディングノート」をしたため、それを元に周囲とコミュニケーションを図っていけばそれがまた絆を強くする効用もあろう。
東日本大地震・津波災害によって「エンディングノート」が一躍注目されるようになったが今後確実に普及していくのではないかと思う。
それにしても我が身には遺せる財産もなければ形見になるようなものも見当たらない。(トホホ)
書けることはせいぜい「延命治療は不要」ぐらいか。