江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

2014-07-03 00:02:42 | 日記
昨年も同じような時期に、
同じような記事を書いた記憶がある。

今年も本の整理。
若い頃読んで気に入った本を残しておいたが、
もう読まないと判断し、捨てることにした。
ところがいざ捨てる段になると、
これがなかなか捨てる決断が付かない。
思い出なんかすっぱり切り捨てたはずなのにである。
古本屋に譲るにしても、古すぎる。
それでも先輩が大学を卒業する時にくれたものの全く目を通していないものは、
思い切って捨ててしまった。
もったいないから目を通してからと思うのだが、
読書時間を捻出するのがますます難しくなってきた、
これらはきっと、一生目を通さないだろうと思った。

新聞の書評を見てほしくなり購入したものの
未読のまま何年か経ってしまうと、今では何の興味も湧いてこないものもある。
きっとこの後も湧いてこないだろう。

芝居関係もこれまで随分整理したのだが、
決意して今年も整理することにした。
それでもきっとすっきりしない。

整理とは時間のかかるものである。
だから物は増やさないことに限る。

と思うのだが・・・
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鎮魂

2014-07-02 00:44:24 | 日記
どうしてこんなことが起こり得るのだろうか。
これは暴力である。
党是を捨ててまでも与党であろうとする、その先にあるものは・・・
権力と金力、その魔力であろうか。
大人数であっても一人一人の顔の全く見えない烏合の衆と化した与党。
以前は魅力的な人がいっぱいいた。
男が見ても色気を感じる人もいた。

「法の下の正義と平等」
これは民主主義の基本だ。
それが法の上に内閣ができてしまった。
自民党は味を占めたであろう。
何せ内閣で勝手に解釈を変えればよいのだから。
いずれ党の改憲案を取り下げるであろう。
仮に改憲しても、
時の内閣が勝手に解釈を変更できるならば、改憲する意味がないのだ。
そして次に手を付けるのは、
基本的人権、表現の自由、言論の自由、思想信条の自由、
集会結社の自由になるだろう。
私はその恐怖感に捉われている。

それにしても野党は何をしているのか。
離合集散に現を抜かしている場合だろうか。

今日は日本の民主主義が崩壊した日、
100年ほど前、こうしてファシズムに流れて行ったのであろう。
これまで必死になって民主主義を守ってきた党派を超えての多くの人々に
鎮魂を捧げる。

平和を守るということは、不断の努力が必要だが、
暴力に対しては斯くも無力なのだ。
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