葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

家族葬の日々

2008-10-20 17:31:23 | 道順庵の徒然草
皆様の非日常の葬儀が、日常の私達の日々

人生の重みを感じたり、家族の想いを垣間見たり

葬儀には「真実」を見るためのシチエーションが多々あります

それでも、その方の全てなどわかるはずはありません

何も言わず、お別れのときに柩のふちに手をそえながら、涙を

こらえながら震わす肩は、誰にもわからない

「言いようの無い悲しみ」の極みなのです

葬儀社は小さな存在です

声一つかけられず、もしもかけた声が届いても、慰めという

「他人」の言葉なのです

個人と故人は

大きな絆があればこそ

言葉はむなしくなります


 流れ行く

   涙にこその

     愛情は

      消ゆることなし

よい葬儀とは、わたしたちをも 涙にさそう・・・



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歩き始め

2008-10-20 17:12:52 | 道順庵の徒然草
立ち止まると体重が一点に集中するせいか

腰痛持ちの私は、常にふらふらと動いていた方が

負担が少ないようです


社会は日々変化の兆し、平穏な暮らしと会社の安泰の約束手形は

誰も振り出してはくれないことは全ての業種に当てはまるとおもいます、


17日の日経夕刊にも出ておりましたが、いわゆる直送というカタチの

極少人数での火葬だけの葬儀が増えているということが書いてありました、

葬儀社さんとお寺様の安定した環境は変わりつつあります、

仏教離れや、葬儀離れがやがてはこころの拠り所の喪失と

ならないように

私共もいろんな機会を通じて、「私達こそ」

宗教や葬儀の必要とする価値を「本当」に持つことが

大事なように思うのです

これからでも、仏教や宗教のこと

葬儀や、死についてのケア、勉強しなければならないことが

山ほどあります、

先ずは一歩から・・・

前に進みましょうか

手には本を持ち、観光先には寺院を選ぶ・・・

何百年の重みと自信が存在する所には

答えが隠されているかもしれませんから・・・






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