マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「若冲展」を観る

2016年05月19日 | 映画・美術・芝居・落語
 5月11日(水)、義妹のマコちゃんと東京都美術館で開催中の「若冲展」を観て来た。展示期間が4月22日~5月24日なので、65歳以上が無料となる第3水曜の5月18日に出掛けようかと考えていた。しかし漏れ伝わって来る情報では凄い人出で、長蛇の列が出来ているとのこと。妻が展示替え前の5月6日に出掛けた時は入館までに70分待ち。入館後も館内は大混雑のため観終わるのにそこから2時間10分を要し、退館時19時20分に列を眺めるとまだ長い列があったとのこと。
 この話を聞いて、18日は断念した方が賢明と判断した。前もって入場券を購入して出掛けようと考えを変えた。ところが、その数日後に妻は、11日の行動も原因のひとつだろうが、脚がつって歩行が困難になってしまい、代わりに私に行ってほしいとのこと。こういう無料もあるものだと、喜んで私は妻の代役として、義妹と出向くこととあいなった。
 8時に上野駅で待ち合わせ、美術館の前には8時10分には到着したが既に200人くらいの列。時間の経過とともに列はどんどんと伸びていった。9時半が開館なのだが、待つこと1時間強の9時20分に入館が始まった。入館後、最初のうちはそれほどの混雑ではなかったが、時間の経過とともに混雑を極めてきたが、それでも私は最初から最後まで展示作品を前列でしっかり観ることが出来た。
 
 この数年、若冲を観る機会が何度かあった。昨年はサントリー美術館での「若冲と蕪村」展を3回鑑賞した。2012年には「新潟市歴史博物館」での「若冲・応挙」展に出掛けた。2009年は「皇室の名宝」展で、狩野永徳・岩佐又兵衛などの作品と並んで若冲の『動植彩絵』を鑑賞した。何れも若冲の”一人舞台”ではなく、他の画家との並列展であった。若冲のみの展示は私は初めてだった。
 今回一番鑑賞したかったのは再度の『動植彩絵』。又あの動植物に巡り合いたかった。一階の楕円形に設えられた会場の正面に『釈迦三蔵像』が掲げられ、それを取り巻くように30枚の『動植彩絵』がぐるりと配置されていた。若冲が40歳から10年を掛けて完成させた極彩色の世界の精密画。
 最近は若冲の研究が進み、電子技術で絵を分析することも可能で、その成果によると、彼の絵には輪郭線が描かれいないで、しかもミスがなく、書き直しの痕跡も見られないとの事。天才の技で描かれた超精密画を鑑賞出来るのだ。
 彼は自分の絵を「千載 具眼の徒を待つ」と書いたそうだが、千年のときを待つことなく、生誕300年(没後216年)にして、若冲を世に知らしめた”具眼の徒”にしてMIHO MUSEUM館長辻惟雄氏のお蔭で、私達は若冲の美の世界を観ることが可能となった。
  私達が日常に見ることの出来る、動物・植物・小禽類・魚・花・鶏・昆虫などが生き生きと配置され登場する世界を観て回るだけで、私は楽しかった。再度の鑑賞は図録を楽しみたい。
 会場を後にするときチケット販売所には「200分待」の掲示が貼り出されていた。
 5月18日には最大で5時間20分の長蛇の列となったとか。この日を避けて良かった!

 

山小屋解体の準備作業終わる

2016年05月17日 | 信濃紀行
 いよいよ山小屋解体のときが迫って来た。
 それ以前にやっておかなくてはならないことがあり、5月13日(金)~15日(日)まで蓼科に行って来た。この間、小屋ではなくてハーヴェストクラブ蓼科アネックス宿泊してきた。主な仕事は多くの家具や本の仕分けにあった。それらを(1)家に持ち帰るもの (2)人に差し上げるもの (3)「Book ・Off」に出すもの (4)ゴミとして捨てるもの、4つに仕分けるのだ。その手伝いに、初日・2日目は石野さんが、2日目・3日目は妹夫婦と甥の秀治君が手伝いに来てくれた。(写真:山小屋内部)

 石野さんはパソコン解体と本の整理に大汗をかいてくれた。蓼科リゾートのスポーツセンターに大量の本を移動し寄付をした。片付けものをしている最中に、昔私が子供と楽しんだ大量の”Nゲージ”を発見。彼のお孫さんが大喜びするモノをお土産に持ち帰ってくれた。
 「Book・Off」に出す本は段ボール9箱になった。「Book・Off」に出す方法は妻が見つけて来た。段ボール詰めした本箱を宅配業者が引き取りに来て、それを「Book・Off」に運び込む。販売価値ありと見たものは通常価格の10%増しで査定され、その合計金額は指定の口座に振り込まれる。価値なしとなったものは処分される、というシステム。
 私は大量の数学書を捨てる側に回した。愛着はあったのだが、再販の価値は殆どないと妻に”査定”されてしまった。息子が愛読した300冊以上の漫画シリーズ、例えば『こちら葛飾区亀有公園前派出所』などは価値が高いのではと再販側に。これは喜劇か悲劇か。
 
 2日目、妹夫婦が御代田から、その息子の秀治君は自宅大田区からいずれも車でやって来た。妹達には丸テーブルと本箱を持ち帰って貰った。秀治君は段ボール6個を我が家まで運んでくれた。
 大方の仕事が終わり、2日目の夜はハーベストで宴会。ここは調理が出来る様な造りになっている。そこで「角上」で刺身などを購入し、持ち込んだ電気釜でご飯を炊いて手巻き寿司。それを肴に、妹達からの差し入れの吟醸酒1枡瓶や私達が持参した「上善如水」などを楽しんだ。秀治君一人が加わると私達4人での宴とは違う雰囲気となった。それも又楽しかった。
 
 3日目午後に東急リゾートの担当者と最終打ち合わせ。費用は180万円+消費税。解体の時期は3ヶ月延長し9月と決まった。解体後の借地権抹消交渉をしてくれるそうで、9月迄建物があった方が交渉に有利に働くとのこと。
 担当者が去り、私達も去るときがきた。再びこの地を見るときは”廃墟”となっていることだろう。購入後21年が流れていた。山小屋購入は私の我儘から出発したが、私達が元気なうちにしっかりとした形で処分で出来そうなことと、ここを利用して良く遊んだなの感慨を交えながら山小屋と別れた。(写真:定年後2年間くらいは毎週ここで過ごした快適空間)

又、働き始める

2016年05月15日 | 身辺雑記

 3月7日のブログに「荒川5中最後の日」と題して「もうこの辺でお役御免として仕事を辞め、少しはじっくりと江戸時代の和算の書を紐解き・・・」と書いた。その舌の根も乾かないうちに「又、働き始める」とは恥ずかしい話だとは思うが・・・。
 文京シルバーセンターというシニア向け仕事斡旋機関がある。私もここの会員となっていて、時折仕事の紹介が来て、主としてパソコンを用いての仕事に従事する機会が何度かあった。荒川5中勤務のようなボランティア教員の仕事は辞めたが、シルバーセンターの登録はそのままにしてあった。たまの勤務は小遣い稼ぎにもなるなと考えていた。

 3月下旬にシルバーセンターから仕事の紹介があった。「大学での週二度ほどの夜間勤務。仕事は、教授などが来る前にプロジェクターをセットし、パソコンを立ち上げることが主な仕事。パソコンが好きな貴方には向いていると思います」との話で、その気になった。勤務時間が17時~22時がネックであるが、妻からは私は大丈夫だからと言われ、もう暫くは働いて見ようかという気になった。シルバーセンターから、それなりに見込まれているらしい話しぶりに後押しされたことも事実。
 4月6日に簡単な面接があり、7日から本格勤務。働き始めてから1ヶ月以上経過した。仕事内容は授業終了後の後片付けと、出席簿の本部へのFAX送信もある。更には私がこの建物の最終退出者となるので”戸締り”の仕事もある。
 仕事にも大分慣れてきた。勤務場所まで自転車で20分程度と近距離にあるのが有難い。授業が始まってしまうと、教授や大学院生は受付には殆ど顔を出さないので私一人だけの時間が訪れる。約3時間ほど本を読んだり、ブログ原稿を書いたりして時を過ごすことも可能。まだまだ遊び心の強い私にはその資金の源ともなっていて、今後も続けていけそうな心境になっている。


駒込図書館リニュアルオープン

2016年05月13日 | 読書

 駒込駅至近の、豊島区立「駒込図書館」が4月23日(土)、リニュアルオープンした。この時の来るのを心待ちしていた。それまでの利用は圧倒的に文京区千石図書館と台東区谷中図書館が多った。駒込図書館が一時休館するまではここを良く利用していた。自宅から自転車で7分くらいの距離にあるからだ。特に通勤していた頃は駒込駅下車が多く、エキチカの駒込図書館は非常に便利だった。その駒込図書館が約1年で復活したのだ。
 この図書館は利便性が高く、最近はここで午前中を過ごすことが多くなっている。

 この図書館が入っている建物は2階が入口兼桜情報展示コーナー、3階が駒込図書館、4階が駒込地域文化創造館。2階は図書館への入口でもあり”ヨメイヨシノアーカイブ”と名付けられ、染井吉野の情報発信の場となっている。豊島区のウリの一つがソメイヨシノ。その謂れなどが展示され、入口全体の基調もピンク色。(写真:図書館への入口。展示室でもある)

 図書館内の印象は以前と比較して大分広くなった感じで、利用できる椅子席も20席と増えた。パソコンが利用できる席も10席。
 それ以外にも利便性に配慮した点が多い。その特色を5つほど挙げておくと
(1)資料の返却や予約本の受け取りは朝8時から可能。
(2)桜コーナーの常設・・・「ソメイヨシノ・ライブラリーコーナー」と名付け、桜にまつわる各種書籍が取り揃えられている。
(3)充実の児童コーナー・・・一般書籍並みの蔵書数があり、子供専用スペースが充実している。
(4)電子図書館・・・豊島区では電子図書の貸し出しを開始。その受付館が上池袋図書館とここ駒込図書館。豊島区在住・在勤・在校に限られている点が悔しい。
(5)Wi-Fiが完備・・・この点が一番有難い
。開放感のある広々とした閲覧室で、無料でWi-Fiを利用してネット上を彷徨い、時にブログ原稿を書き、時にYouTubeで演歌を聴いたり、将棋棋譜を見ていると時はあっという間に過ぎて行く。
 毎日の様にここへ通えればいいなと思える図書館となって再登場した駒込図書館を活用している。


伊勢ノ海部屋の朝稽古を見る

2016年05月11日 | スポーツ

 5月7日(土)、前回のブログに書いた様な経過を辿り、伊勢ノ海部屋の朝稽古を見物して来た。
 生まれて初めて見る稽古模様だった。既に稽古は始まっていて、土俵上で四つに組む二人の力士以外に土俵周りには8名の力士が立っていた。
頭と頭でぶつかる”ぶつがり稽古”は凄い迫力だ。それが何番も何番も続く。ぶつかり合う寸前はこちらが眼を瞑ってしまった。放り投げられ砂まみれになる力士もいた。
 暫くすると”
伊勢ノ海部屋成績表”なるものが配られた。それを見るとこの部屋の力士は総勢で11名。新入幕を果たした前頭14枚目の錦木は雰囲気で直ぐに分かった。新関脇にして私がファンの勢の姿が見当たらない。隣の女性に聞くと、「今日は国技館の方へ行っています」との事。後で知るのだが、何とこの方は伊勢ノ海親方(現役名北勝鬨)の義母さんだった。十両以上は錦木と勢のみであとは皆三段目以下というのが伊勢ノ海部屋の現状。勢の人気が加速するにつれて部屋の勢いも増しているようだ。番付発表時は”ダブル昇進”と盛り上がっていた。

 
         (新入幕の錦木)    
   
 稽古が熱を帯びて来た頃、太鼓の音が聞こえてきた。初日の前日に、呼出しが数組に分かれ太鼓を打ちながら町に出て、興行が始まることと初日の顔合わせを触れ歩く、触れ太鼓だ。江戸時代は宣伝機関がなかった為、相撲興行があることを知らせるために、朝から夕方まで触れ太鼓で町を流した名残である。
 稽古は一時中止され、土俵の4隅に立った呼出しが相撲甚句を謡った。初日の取組表が配られ、取組を一番一番披露していった。中入り3番目の取組み「錦木には~~青狼~~ドスコン」と呼び上げられると、そこにいる全員から大きな拍手が起こった。部屋の関取が読み上げられたのだ。
 終わりから3番目「日馬富士には~~勢~~ドスコン」でも大きな拍手。一行が去ると稽古は再開された。(触れ太鼓の行進。外国人らしき人もいた)


      (取組みを読み上げる呼出し)
    
 柏戸・勢・錦木や部屋の由来は今後このブログに登場するだろうからここでは、11名の力士のなかで最古参藤嵐に触れておきたい。私は最初親方がマワシを締めて土俵に上がっているのかと思ったがそうではなかった。藤嵐が土俵に登場すると、隣の件の義母さんが「彼は古株なのよ」と語りかけてきたので一覧表をみると1977年生まれの38歳。角界でも相当の高年齢だそうで、現在は序二段15枚目。最高位は三段目。彼は頭で当たり合うのではなく、胸を出し若手の当たりを受け止めていた。初めは押されるが土俵際でぐっと堪えて押し返してゆくこともあった。どんな思いで、力士であり続け、胸を貸し続けているのだろうか?凄いなの思いに駆られながら土俵を見続けた。(写真:右側が胸を貸す藤嵐)