6月3日(水)、「南めぐりん」の、④新御徒町駅から⑫鳥越神社前を経由して⑯大江戸線蔵前駅までを歩いた。下の路線図の緑線が「南めぐりん」である。④を出発したのが5時35分頃で、ゴールが7時少し前。1時間20分程度の散歩だった。このルートは台東区の南側を走っていて、今回歩いたところは春日通りと総武線の間にある。
初めて気が付いたことを記しておきたい。 このルートの途中に「年中無休ラジオ体操」会場が2つもあった。出発して直ぐの「竹町公園」には右看板が立て掛けられていた。6時前で公園には誰の姿もみえなかった。「鳥越神社」でもラジオ体操が行われているようで、5・6人の方が、ラジオ体操姿の方を交えて立ち話をしていた。ラジオ体操開始にはまだ時間があり、私は神社にお参りをして先を急いだ。
今まで見て来たバス停よりも立派な停留所が3つあった。2月に白内障の手術で入院する予定だったが、発熱の為キャンセルした三井記念病院前の停留場は右写真の如く屋根付きだった。「鳥越神社前」も「大江戸線蔵前駅」も同様で、文京区や北区のコミュニティバス停にはこんな立派な駅は作られていない。
東西めぐりんを歩いたときにも今回も気になる名前の通りを横切った。その名は「左衛門橋通り」。橋名に個人名が付けられ、それが通り名にもなっている。東西に走る比較的広い通りである。
帰宅して調べた。神田川に架かる「左衛門橋」を通ることから名付けられたそうな。そこで江戸古地図で調べると江戸時代にはそこに橋は架かっていない。明治時代に入ってから橋は架けられたらしい。江戸東京重ね地図には現在の橋の傍に「出羽鶴岡藩酒井左衛門尉忠発」とあった。神田川が大川に注ぐ付近の右岸は有名な“柳原土手”があったが、その対岸の左岸には“左衛門河岸”の文字が読める。そこで明治時代につくられた橋名に“左衛門”が付けられ、通り名前が「左衛門橋通り」となったのかなと推測している。(地図は天地を逆にしたもの)
大江戸線は新御徒町駅で筑波エキスプレスと接続していた。この駅の次が終点秋葉原だが、利用価値の高い情報を知らなかった。この近辺を何度か歩くうちに点と点が結ばれ線となるような感覚で、少しづつ台東区の様子を知ることとなる。それが又楽しい。(下が神田川に架かる左衛門橋)