マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

カサブランカの花咲く(その2)

2021年06月25日 | 草木・花

 カサブランカの花が咲いていた文京区の「駒込備蓄倉庫」敷地。以前そこには文京区の出張所があった。1983(昭和58)年に今の所に引っ越してきた私たちはここへ転入届を出しに行った。古色蒼然としていて、戦後を引きずるかの様な建物だった。(富士神社側から撮影の写真。建物左が「駒込備蓄倉庫」)





 13年ほど前に初めて富士神社でのラジオ体操に参加した時にもその建物はあったが、出張所ではなく消防団の分団が使用していた。その建物が解体され、敷地を囲む様に幕が張られたのは7・8年前の事だったか。「埋蔵物発掘調査」の様な掲示が貼られていた。1年ほどで調査は終わり、その後、神社社務所寄りに「駒込備蓄倉庫」が、道路に面して「本郷消防団第6分団本部」(右写真)の建物が建設され現在に至っている。

 
 後で知ることになったが、この発掘には次のような経過があった。
 1928(昭和3)年に駒込神明町にある水谷邸を水谷鉄也氏が発掘し貝塚を発見。『文京区史』巻一には、次のような事柄が書かれているそうな。
 「神明町貝塚は、動坂遺跡と隣接する縄文時代の遺跡であることが大正年間より知られており、そのことが、水谷邸の発掘により決定付けられた」と。
 その後1996(平成8)年から翌年にかけてこの地の発掘が行われ、冊子『神明町貝塚』も発行された。
 現在では「神明町貝塚」は文京区内遺跡一覧では27番に指定され、右写真がその範囲を示している。富士神社の60%程度がそのエリア内だ。そのエリアでの建設で遺跡などが発見されれば、発掘調査をしなければならないと思われるが、出張所の跡地は区所有のものであったから、区並びに教育委員会は、計画的に備蓄倉庫建築前に発掘調査を開始したと思われる。

 調査結果は57ページに及ぶ報告書『駒込神明町貝塚 第3地点』として作成されている。それによれば調査は2014(平成26)年4月~12月に行われ、総数89基の遺跡が発見され、近世に帰属するものが29基、近代以降に帰属するものが60基だった。中世以前の遺跡は検出されなかったが、遺物は6点出土していた。縄文土器の深掘胴部破片や須恵器瓶類破片などが出土したと書かれている。(下の写真は深堀胴部破片)

  

 私たちが毎日ラジオ体操をしているこの地ではかって縄文人が暮らし、弥生人が農耕などしていたかもしれないと想像することは楽しい。その様な地に初めてカサブランカの花が咲いたということになる。


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