マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

渋沢史料館へ

2021年01月22日 | 歴史

 1月14日(木)、予約しておいた渋沢史料館へ行って来た。飛鳥山公園内にある史料館は昨年の11月19日にリニューアルオープンし、その入館はオンライン申込による完全予約制となっていた。そこで11月下旬に予約ページにアクセスするも、12月の予約は全て埋まっていた。止む無く12月1日になってから1月14日の予約をしたのだった。(写真:渋沢史料館入口)



 1月7日に東京都にも緊急事態宣言が発出され、我が家の周りの庭園などはみな休園状態となった。六義園然り、旧古河庭園また然り、都立ではない小石川植物園も続いてしまった。渋沢史料館もこれに倣うのか心配していると、前日の13日に「リマインドメール」とかが届き、一安心したのだった。(小石川植物園は13日より再開)
 全体感想から書いておこう。感染リスクを極力減らそうとする史料館の強い決意が感じられ、実に多数のスタッフが丁寧で親切な対応をしてくれた。入口でのアルコール消毒などではスタッフがスプレーを掛けてくれた。入館料300円で、史料館のみならず青淵文庫と晩香蘆も見学することが可能で、少し離れた建物まで係員が付き添いで案内をしてくれたりしたのだった。常設展示は2階で開催されていた。(写真:会場図)


 展示は3つのテーマで解説されていた。
 ◎栄一の思いにふれる・・・映像・回想・関連資料から栄一の「日常」や「思い」に触れてもらおうというコーナーで「曖依村荘(あいいそんそう)」の額などが展示されていた。
 ◎渋沢栄一をたどる・・・91年の生涯が年齢ごとにユニットで展示されていた。実に多数のユニットには説明が書かれ、写真が添えられていた。ここが常設展の中心部分。
 
◎幅広い活動を知る・・・栄一が携わった様々な事業や活動などの内容を更に掘り下げるコーナーで、ここは随時展示替えを行うそうだ。

 “人生をたどる”コーナーが本展示の中心だった。
 例えば
 1840年 武蔵国榛沢郡血洗島(ちあらいじま)村で生まれる・・・
 1863年 尊王攘夷思想を抱いた栄一は高崎城夜襲計画に参加するもこの計画は中止。幕府の取り締まりを逃れるため京都へ逃亡。・・・
 1864年 一橋家家臣となる・・・
 1866年 幕臣となる・・・  などなど
 ここまでが僅か11枚のパネルで紹介されていた。実は「渋沢栄一クイズラリー」に参加すると並行して『雄気堂々上下』(著:城山三郎)を読んでいた。尊王攘夷思想を抱いた栄一が幕臣となるまでの心理的葛藤が多数のページにわたって丁寧に描かれていて、大変興味深く読んでいた。史料館の展示としては、ここから直ぐにその後の商業活動などに重点を移していた。ここから60数枚ほどのパネルは
 1868年 商法会所を設立し初代頭取となる・・・
 からスタートし
 1931年 91歳で死亡。
 までの60年余りにわたる膨大な活動が展示されていた。“日本の近代経済社会の基礎を築いた”と言われる渋沢栄一は、私からは見上げるような巨人で、遠くにある人だった。5年前、深谷で彼の生家を見学し、昨年クイズラリーに参加して少し身近に感じ始めだしていた。
 初めて知る活動が多く、この説明を全部読んで噛みしめるのは大変な時間と労力がいると思え、自宅でじっくり読もうと写真に撮って読み始めている。今日のブログは史料館の様子に絞り、栄一の活動や思想については、今後折に触れて綴りたい。(写真:リフレッシュルーム)
 史料館を後にし青淵文庫と晩香蘆へ。こちらは今回は写真展示のみに留める。(写真:下左青淵文庫、右晩香蘆内部)





 

  
 

 


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