都高教退職者会の今年の東京歴史散歩は「『殿様の散歩道』を歩く」と題して、江戸時代の道を歩くことが既に決まっていていて、『都高退教ニュース』にも案内文を載せた。
殿様とは、柳沢吉保の孫にして大和郡山二代目藩主柳沢信鴻(のぶとき)で、彼は藩主引退後、六義園の別荘で悠々自適の、趣味人的隠居生活を送った。その様子が『宴遊日記』に書かれていて、ある日の日記には、徒歩で六義園から諏方神社に至り、途中三島神社に詣でた様子が書かれている。今年はその江戸時代の道を歩く企画で、私が道案内をさせて貰う予定。
この歴史散歩は会終了後は必ず懇親会を開催している。今年もその予定だが場所をまだ決めていなかった。そこで9月17日(土)、下谷方面へ出かけ、金杉にある三島神社の宮司さんにもお会いして来た。
自転車で「谷中分室」図書館まで行き、そこからは当日歩く予定の道を歩いた。懇親会々場としては「金杉通り」にある台湾料理「品味軒」を考えていた。「下谷おさんぽマップ」に登場していたお店で、昼食がてら店内の様子を眺めると、落ち着いた雰囲気のお店で、20人以上の宴会が可能な広さ。ランチも美味しかったので、早速このお店を予約した。
三島神社は懇親会場と同じく金杉通り沿いにある。距離にして400mくらい離れているだろうか。15時頃お参りしますと、予め宮司さんに電話を入れておいた。2016/7/21のブログにも書いたように、馬場紘二さんと宮司さんは俳句を通しての知り合いで、以前電話の折にその旨を告げると、携帯電話の番号を教えてくれて、その情報が早速役に立った。
15時丁度、社務所に顔を出すと、「お上がり下さい。お茶でも飲んで行って下さい」と言われた。上がる前に絵馬を購入し、お茶とお菓子を頂いた。気さくなうえ話上手な方で、二人の間で話が弾んだ。私からは10月29日に10名ほどでこちらの神社にお参りしたいと話し、快諾を頂いた。彼女はこの神社の歴史や謂れについて語ってくれた。最近知った知識に加えて新しい事柄を教えて頂いた。(写真:雷さんの登場する絵馬)
雑誌『歴史研究』に彼女が「河野氏と三島神社」と題する一文の寄稿している。その中に、鎌倉時代に伊予の豪族であった河野氏の館がなぜ遠く離れた武蔵国にあったかという謎を明らかにするもので”・・・河野通有の妻が、かって上野山中も統治下にあった江戸氏の娘でありました。・・・その関係から河野家の氏神を祀るため三島神社を勧請したと考えられております」と結んでいる。
彼女は20代で三島神社の宮司となった。諸般の事情があって、台東区で初めての女性宮司となった。以来28年の歳月が流れていた。「いろいろありました。地鎮祭に出かけていくと女宮司ではダメだと拒否されたこともありました。今では女宮司も増え、そんなことは無くなりました。周りはマンションが増え、神社に対する意識の変化が感じられます。神社にも貧富の格差が生まれつつあります」と語ってもくれた。話を聞いて、地域に対して受け身ではなく、積極的に係わっていこうとする意欲が強く感じられた。
この神社には「雷井戸」がある。時たまたま神社境内に雷が落ちたので神主がこの雷を井戸に閉じ込めた処「井戸から出してくれ」と頼むので「二度と此地に落ちるな」と許してやったそうな。爾来此地に雷が落ちないと言われる所以の井戸で、不落守の絵馬が分けて頂ける。受験生のみならず芸能人や金運向上を願う人の参拝も多いと聞いた。私は山から落ちないをお願いし上の絵馬を購入して来た。(写真:伝説上の雷井戸)
1時間ほどお邪魔して帰る段になり、妻へのお菓子と暦も頂いた。当日も暖かく迎えて頂けそうで、主催する者としては心晴れ晴れと、神社を後にすることが出来た。
(写真:頂いた干菓子)
三島神社のHPのURLは http://mishimajinjya.or.jp/
(付記:一昨夜は向丘高校OBの日本史教員Mさんから電話があり、歴史散歩に参加したいとのこと。この辺は全て歩いているので資料もお送りしますとの有り難い話もあった。私は道先案内人に徹し、M先生に歴史的な事柄を説明して貰うのも良いなと思い始めている)