草津亭を探そうと駒込神明町を何度か歩いのだが、最終的に辿り着いたのは駒込蓬莱町だった。駒込蓬莱町は1966年の住居表示変更後は向丘2丁目となった。目指す場所に行く前に区立図書館のHPに「駒込蓬莱町」で検索すると『蓬莱町だより』がヒットし、借りてきて読んだ。
この冊子は文京区の町会のひとつ「蓬莱町会」が発行している『蓬莱町だより』を町名創始百周年記念事業の一環として一冊の小冊子にまとめたものだった。年に2回の発行で、創刊号から第85号(平成26年7月)までが載っていた。町会各部の活動報告のみならず、蓬莱町を通った市電や肴町あたりの様子など蓬莱町界隈の様々が書かれていて、読んでいて興味が尽きなかった。19号では「温泉まわり」が書かれ、第22号には「六番地の草津温泉のこと」が登場していた。
そこには前回のブログに書いた事柄以外で以下のようなことも書かれていた。
「現在は向丘2丁目16番地となっている角地から北方向にかけて広大な地域に、六番地の草津湯があった。藤谷彦一郎の経営する銭湯というより市内の温泉場で、同時に宿泊も出来た旅館をも兼ねた温泉旅館があった。現在改築中の浅草寺裏の草津亭という料亭も藤谷という姪の人が経営していたから同系列であったということは間違いないだろう」と。
又混浴についても記述がある。「明治ご一新以来、東京府における湯屋の取り締まりをみても、何度も混浴禁止令が出ている。男女を隔日に分けて入浴させる様にしろとか、湯槽の中央に仕切り版を設けるなどとお触れがでている」
さて、そんな知識を仕入れ、『ヒポクラテス』に登場する「郁文館の前、駒込蓬莱町6番地の記述を頼り出掛けていった。その位置は私が勤務していた向丘高校の、本郷通りを挟んで斜め前辺り。本郷通りを日医大に向かった左折する一歩手前にもう一本左折する道がある。その道の正面が郁文館だ。(上の写真で、赤で囲ったところが郁文館。水色囲いが蓬莱町6番地)
最初に訪れた時は郁文館の裏手に回った。そこには「夏目漱石旧居跡」で、猫の像が2匹鎮座していた。その横にあった、蓬莱町の地図には郁文館と六番地が書かれていた。この地図を頼りに郁文館の前辺りを探索したが、明治の頃の建物の痕跡は殆ど残っていなかったが、古びた門構の中を除くと右と下の写真の様な景色が見られた。まあこの辺に草津温泉場はあったのだろうと一応の満足をして帰って来たのだった。
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