1ヶ月ほど前の東京新聞に江戸城外堀跡に関する記事が載り、希望者にはそのガイドマップが千代田区立日比谷図書館などで配布されるとも記されていた。早速、私は日比谷公園へと出掛け、その地図を手にした。B2サイズの用紙の裏表に、外堀跡全体の地図や歴史的な事実がびっしり書かれたものだった。外堀跡周辺の史跡めぐりマップも記載されていて、一目見て、外堀を歩きたくなった。
外堀は比較的身近にあり、何度も目にしているが、その全体像などを把握するのが難しそうに思えていたが、絶好の案内書を手にしたこの機会に集中的にここを訪れようと思い、まずは5月20日(金)に出かけたのだった。(野火止用水散策は1月半ごとに1度位を考えていて、その合間に外堀跡へのつもり)
その時の様子は次回に綴ることにして、今回は江戸城外堀跡に関すること事柄を概観しよう。
千代田区、港区、新宿区は、国史跡江戸城跡を歴史遺産として保存継承するために「史跡江戸城外堀跡保存管理計画策定委員会」を組織し、2007(平成19)年度に「計画書」をまとめた。その計画を多くの都民に知ってもらおうと、ガイドマップを作製したのだった。
江戸城では、1636(寛永13.将軍は家光)年に雉子橋から時計回りに虎ノ門、溜池、赤坂・牛込門、神田川までの延長約14kmに及ぶ長大な外堀が築かれた。近世最大の城郭だった。(下記地図参照。紫色の線で囲まれた部分が外堀跡)
牛込門から赤坂門までの江戸城西方の台地の堀は45の東国大名に、雉子橋から虎ノ門までの石垣を主体として低地の堀が60家の西国大名に割り当てられた。合計で105家の大名を動員した天下普請だった。私は低地に築かれた外堀跡から歩こうとして、雉子橋を目指したのだった。