マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

野火止用水行(その2)

2022年05月13日 | 江戸の川・東京の川

 5月7日(土)、石川さん、菅原さんと私の3人で、西武拝島線玉川上水駅から西武新宿線久米川駅まで野火止用水を歩いて来た。(写真:野火止用水の一風景)
 天気予報によれば7日は7時頃までは雨、それ以降は曇りで、8日は概ね晴れとのことだった。どちらの日にしようか迷ったが、7日にしましょうとお二人には電話連絡した。早く歩き始めたい気持ちが勝ったのだ。朝5時頃からヤキモキしながら雨空を見上げていたが、予報通り7時には雨は上がり、歩く途中では日差しも見えてきた。結果オーライだったが、このような場合、8日(日)に順延しておいた方が選択としては良かったのではと少し反省。玉川上水駅へは前回は多摩都市モノレール線を利用したが、今回は高田馬場駅から拝島駅行き準急を利用した。直通で39分で行けて、このルートの方がより便利だった。
 さてこの日は次の様に進んだ。
 玉川上水駅→小平監視所→野火止用水分岐点→松の木通り→東大和市駅→青梅橋跡→清流復活の碑→九道の辻→台湾料理「秀味軒」→久米川駅
 スタートが9時15分頃でゴールが12時過ぎ。歩数にして13000歩。
 野火止用水は玉川上水と比べると“小川”と呼ぶのが相応しい細い流れの清流で、鯉も小魚も鴨も生息していた。子供が川遊び出来るような場所もあった。人との関係が身近に感じられる川で、その様になるには“清流の復活”があったことを知った。今回は主として清流の復活について綴る。
 ①小平監視所
 小平監視所の役割を誤解していた。ここは羽村から流れてきた玉川用水にゴミ除去などの浄化をして再度玉川上水に流しているものと思っていた。それは間違いだった。浄化後、東村山浄水場に送られ、水道水となるのだった。
 実は多摩川の流れは羽村の下流、昭島市に造られた「多摩川上流水再生センター」で砂ろ過とオゾン処理され、オゾン処理することにより脱臭・脱色・殺菌された水が導水経路でここ小平監視所に送られ来る。1986(昭和61)年から小平監視所の下流の玉川上水に導流されるようになり、清流が復活したのだった。導水経路を経て送られて来たオゾン処理された水は、野火止用水側では青梅橋跡の先で姿を現し、用水の出発点となっている。(上図参照)
 実は野火止用水の清流復活は1984(昭和59)年で、玉川上水より2年早いのが面白い。
 ②松の木通り
 分岐点からは拝島線に沿って東大和市駅先まで緑道が伸びている。気持ちの良い散歩道だが、実は暗渠とは言い切れないように思う。既にかっての野火止用水は完全に埋められてしまい、地中に設置された導水経路からの流水が青梅橋の先から野火止用水として流されているのだ。







 ③青梅橋跡
 青梅街道が渡っていた橋で、東大和市駅は昭和54年3月までは青梅橋駅だった。木の根元に庚申塔の祠と青梅橋の親柱がある。(写真右は青梅橋先の野火止用水。下は野火止用水と交差する拝島線)


 

 ④ホタル生息中
 野火止緑地と呼ばれる辺りでは野火止用水は小川だ。その小川は蛍が生息するように2本のより細い水路に分けられ、一方には金網が被せられていた。この辺りに住む方々の上水への愛情が案じられた。







 ⑤ふれあい橋
 この近辺の橋は平成に入り作り替えられた。小振りな橋も多く見られた。



 ⑥九道の辻
 かつて、江戸道、引股道、宮寺道、秩父道、御窪道、清戸道、奥州街道、大山街道、鎌倉街道などの9つの街道の分岐点となっていたので九道の辻と呼ばれている。旧鎌倉街道の中間地点に位置し、ここから鎌倉や前橋までが、ちょうど72Kmであったそうな
 ここを過ぎた頃3人とも空腹を感じ始め、久米川駅近辺で昼食出来そうなお店を探し始めた。


 ⑦台湾料理店「秀味軒」
 
 飛び込みで入ったお店だが、ネットを見ると地元の評判の高いお店。私は好みの焼きそばを注文したが、初めて食する台湾焼きそば、予想以上に美味だった。3人で生ビールで乾杯。本日の散策はここまでで終了した。