マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

不忍池の移り変わり

2017年07月19日 | 江戸の川・東京の川

 数日前、台東区中央図書館谷中分室の一室「谷中散歩基地」で右の地図を見た。それは、旧石器、縄文、弥生時代の、谷中図書館周辺の遺跡分布図だが、そこに登場している「旧石神井川」の流路を見て、思い出したことがあった。2011/2/24と2011/2/27のブログに、「石神井川と谷田川に触れて」と題して書いたことだが、旧石神井川と谷田川は1本の流路で繋がっていた。
 時を経て、断崖浸食による”河川争奪”が起こり、王子付近で直接に隅田川へと流れを変えたのだが、それ以前の流路。言い換えれば、旧石神井川は根津谷へと流れていたのだ。書物では読んだことだが、図で見るのは初めてのこと。海進時代、海面は上昇し、根津谷や不忍池は海中に隠れていたが。

 716日に不忍池に出掛けた折に見た掲示板には以下の様に書かれていた。
 「先史時代の不忍池は、武蔵野台地の東端に位置し、上野台と本郷台に囲まれた挟まれた入江でした。その後海岸線の後退とともに取り残されて池となったと考えられています。江戸時代以前は、不忍池あたりは沼地で、藍染川が流れ込み、不忍池のあたりから先は忍川となって隅田川に流れていました」とある。
 何時頃からかは分からないが、江戸時代には、不忍池は巣鴨薬草園の湧水をも水源とし、
谷田川→藍染川→根津谷→不忍池→忍川と流れ、隅田川へと注いでいたことになる。 



 
 不忍池に拘るのはこの池に思い入れが深いからだ。今から35年前の向丘高校時代、私は
熊倉さんと学校を起点として不忍池までのランニング。不忍池を何周かして学校へ戻って来たが、不忍池の風景は疲れた身体に心地よかった。最近では秋田蘭画と小田野直武に興味を持ち、偶然にも「不忍池図」に出合えた。(写真:不忍池図。再掲)
 ただ、不忍池の水が忍川を経由して隅田川に注いでいたことは知らなかった。当然、忍川は全て暗渠化しているだろうが、早くそこを歩いてみたい。

 
     (不忍池図の一部の拡大図。弁天堂)