マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

弘前にて(その3 弘前城・津軽富士)

2017年07月06日 | 

 (6)弘前城と(8)岩木山
 津軽氏の居城として260年、藩政の中心をなした弘前城の本丸は移転(?!)していた。その土台たる石垣が外側に膨らむ「はらみ」が見られ、天守真下から石垣を修理することになった。移動工事は2015年に完了し、現在は石垣の修理が進行していた。本丸を約70mほど北西へ移動したとか。私はこの事を東内門を抜けて初めて知った。どうやって移動したのだろうかと好奇心を抱きながら本丸へ。本丸脇には「曳家展望デッキ」が残されていて、城全体が見やすくなっているので、早速に登った。弘前城は思ったほど大きくはなかった。そこからは本丸のみならず岩木山が望めた。この時点では残念ながら岩木山はまだ山頂を見せてはくれない。
 
城の内部は3階建で、1階では本丸移動工事のビデオが流されていた。工事の具体的行程がよくわかり面白かった。(写真:今現在の本丸)

  
 
               (工事説明板)                              (移動前の本丸)                  

 まずは内濠を埋立て、次いで弘前城の曳屋(ひきや)が行われたのだ。本丸の真下に油圧式ジャッキ27基を入れて本丸を持ち上げ、本丸下に「レンドロラー」を取り付け、敷地側には”線路”を敷いた。線路の上を「レンドロラー」に取り付けられた本丸を移動する。言わば、線路の上の電車(=本丸)を移動したと理解した。その移動に「曳家ウイーク」と称し、市民がロープを引いて移動作業に参加出来る日を設けた辺りが心憎い。(写真:レンドローラー)
   


        (曳家ウイーク)

 
そう理解して3階に上がると岩木山は遂にその全貌を見せてくれた。絶景である。本丸のある台地の西側は断崖絶壁。遠くには岩木川が流れ、遥か彼方に岩木山。敵からの攻撃を防ぐべく城は台地上に建築された。それ故にここからは一段と見晴らしがよい。ここ津軽の人々にとって“ふるさとのお山は津軽富士”が心にストンと落ちた。(写真:津軽富士)
 
弘前さくらまつりは来年100周年を迎えるとか。城と桜と岩木山。高遠に比肩する風景だろうなと想像した。
 
           (外濠)

 
       (下乗橋からの弘前城と桜)

(7)弘前城植物園
  植物
園は弘前公園の一角にあった。面積は76,500平方メートルというから六義園を少し小ぶりにした広さ。バラ園やボタン園、湿性植物園など23ものゾーンに1500種24000本の樹木、草木が植えられているそうな。6月のこの時期、杜若やバラが咲いている程度だったが、白神山地生態園が珍しく、私達はブナ林の中での森林浴。この日も暑かったが木陰の散策は涼しかった。



  
     (ブナの木)                     (杜若)