(6)弘前城と(8)岩木山
津軽氏の居城として260年、藩政の中心をなした弘前城の本丸は移転(?!)していた。その土台たる石垣が外側に膨らむ「はらみ」が見られ、天守真下から石垣を修理することになった。移動工事は2015年に完了し、現在は石垣の修理が進行していた。本丸を約70mほど北西へ移動したとか。私はこの事を東内門を抜けて初めて知った。どうやって移動したのだろうかと好奇心を抱きながら本丸へ。本丸脇には「曳家展望デッキ」が残されていて、城全体が見やすくなっているので、早速に登った。弘前城は思ったほど大きくはなかった。そこからは本丸のみならず岩木山が望めた。この時点では残念ながら岩木山はまだ山頂を見せてはくれない。
城の内部は3階建で、1階では本丸移動工事のビデオが流されていた。工事の具体的行程がよくわかり面白かった。(写真:今現在の本丸)
(工事説明板) (移動前の本丸)
まずは内濠を埋立て、次いで弘前城の曳屋(ひきや)が行われたのだ。本丸の真下に油圧式ジャッキ27基を入れて本丸を持ち上げ、本丸下に「レンドロラー」を取り付け、敷地側には”線路”を敷いた。線路の上を「レンドロラー」に取り付けられた本丸を移動する。言わば、線路の上の電車(=本丸)を移動したと理解した。その移動に「曳家ウイーク」と称し、市民がロープを引いて移動作業に参加出来る日を設けた辺りが心憎い。(写真:レンドローラー)
(曳家ウイーク)
そう理解して3階に上がると岩木山は遂にその全貌を見せてくれた。絶景である。本丸のある台地の西側は断崖絶壁。遠くには岩木川が流れ、遥か彼方に岩木山。敵からの攻撃を防ぐべく城は台地上に建築された。それ故にここからは一段と見晴らしがよい。ここ津軽の人々にとって“ふるさとのお山は津軽富士”が心にストンと落ちた。(写真:津軽富士)
弘前さくらまつりは来年100周年を迎えるとか。城と桜と岩木山。高遠に比肩する風景だろうなと想像した。
(外濠)
(下乗橋からの弘前城と桜)
(7)弘前城植物園
植物園は弘前公園の一角にあった。面積は76,500平方メートルというから六義園を少し小ぶりにした広さ。バラ園やボタン園、湿性植物園など23ものゾーンに1500種24000本の樹木、草木が植えられているそうな。6月のこの時期、杜若やバラが咲いている程度だったが、白神山地生態園が珍しく、私達はブナ林の中での森林浴。この日も暑かったが木陰の散策は涼しかった。
(ブナの木) (杜若)