マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

桜の競演

2016年04月03日 | 身辺雑記

 日本列島は西から東にかけて桜満開のときを迎えている。北の地にもそう遠くない日に本格的な春が巡ってくるだろう。今年の開花宣言は早かったが、その後冷え冷えとした日が続き、見頃となる日々が3月下旬から4月上旬にずれ込んだ。
 私達は毎日のように朝・夜に六義園に出掛け、枝垂れの“咲始め”から“見頃”までを観桜してきた。見頃となっていた330日、朝9時開門予定が、845分には門が開き、係員の「9時までは桜に近づかないで下さい」との注意を皆が守って、枝垂れ全容の写真が撮影出来た。(8時50分頃撮影)









 41日(金)~2日(土)に掛けては花見の宴のハシゴが続いた。
 1日の早朝、前日に敷いたシートの様子が気になり飛鳥山に出掛けると、桜は絢爛と咲き誇り、花びらの間から下弦の月が顔を出していた。この絶好のチャンスにパチリ。









 午前中は「退職者会」の花見。都退教協の皆さんが5名、都高退教の参加者が7名。四谷駅赤坂口を振り出しにして、外堀を飯田橋まで散策。この時期にここを歩くのは初めてだったが、土手上と対岸には見事な桜が咲き、あちこちで宴が開かれていた。午後の花見の準備があって、神保町の蕎麦屋での懇親会には参加せず、私は早々と帰宅。



 午後5時からは飛鳥山での「元向丘高校」の花見の宴。今年で15年目となった。寒波襲来を思わせる寒さの中での1次会には7名、「豫園飯店」での2次会には、飛び入りの方も含めて19名の参加。例によって参加者には一言ずつ近況を語って頂いた。前日の331日に定年退職を迎えられた野村さんと草野さんへは花束贈呈。最後に思いのタケを語ってもらった。



         (早朝の飛鳥山にて)

 私は耳に難点があり聞き取り辛かった部分もあるが、野村さんは、着任早々の頃、59歳の先生の泳ぎを見る機会があり、均整のとれた体つきと敏捷な動きに驚くとともに感動し、自分も定年までその様にありたいと心に決めたとの思い出が語られた。この会には初めて参加の彼の、昔と変わらぬ若々しさに驚きの声が上がった。彼とは私は向丘高校着任では同期。今から37年前のことである。
 草野さんは1978年、新任として向丘に着任。その当時、多くの新任教員の採用で、学校が活気に溢れていた様子が語られた。私とは同じ学年を組んだ“戦友”。分会活動や組合活動での“共闘”は多々。特に主任制廃止闘争に端を発した“箱根の涙”や人事委員会審理で共に代理人を務めたことなど思い出は尽きない。山にもスキーにも何度もご一緒した。その人柄と手腕を乞われ、泣く泣く教職を離れ、大きな組織の執行委員となり、激務で苦労の多い役職を漸く終えられた。長い間のお勤めご苦労様でした。既に、第二の人生でやりたい事は定まっているとのことだが、暫らくはのんびりして下さい。
 又来年の再会を約して会はお開きに。最後の〆はその日、副校長となったKさん。

 2日は「源氏の会」の花見。こちらも私が席取りの役目。昨年と同じく、東大医学部そばの「健康と医学の博物館」脇に席を確保しておいた。参加者は11名。シートの上に茣蓙4枚を敷いての和風の宴。お酒の効果か、日頃のやや硬い雰囲気は和気藹々なものに一変。皆さん満足そうだった。(この木の下で花見)
 今日3日は、朝に江戸川橋そばの「関口パン店」へ。帰路、橋から神田川を眺めると、桜が川に覆いかぶさるように咲いていた。六義園・外堀・飛鳥山・東大構内・神田川などのサクラを愛でたのでありました。





  
 (こちらは鉢形城跡付近のエドヒガンザクラ:再掲)          (六義園の枝垂れ夜桜)