3月10日(火)、東博で「みちのくの仏像」展を観て来た。
京都・奈良の美術館での展覧会や、かって観た東博の仏像展とは明らかに違ったものが感じられた。それは、展示されたものが”みちのく”の仏像であったことに由来するのだろうが、ここを訪れていた人々が醸し出す雰囲気にもそれは感じられた。
私が仏像を観る時には、仏様にお参りするという気持ちより、その美しさや荘厳さを直に感じたいという、平たく言えば鑑賞したいという気持ちの方が強い。今回は、仏像の前で、お祈りをしているように見受けられる人々の姿を拝見した。それは”おらが村”の仏像が展示されたことを喜んで、お参りのつもりでここまで足を運んだ方だったかも知れない。定時制での教え子に東北出身者が多かったが、その昔聞いたお国ことばを耳にもした。
東北地方を”みちのく”という。それは、京から見て東北は”道の奥”にあったからそう呼ばれた(mitinooku)のだが、私には”未知の国”との見識から来ている言葉使いの様に思われてならない。過去から現在に至るまで、この国や、時の権力者はこの地方の言わば犠牲の上に立って事を進めてきたように私には思える。(『冬を待つ城』で書く予定)
仏像は全て、初めて観るものばかりだった。みちのくにあったからだろうか、これは国宝でもおかしくないと思える仏像もあった。
最初に展示されてあったのは「鉈彫」の像5体。右写真の、天台寺・聖観音菩薩立像に観る如く、一見それは未完成作の様に見えるが、実は鉈で荒く削ったように見せる為の意図的な表現と、現在では考えられているとのことだ。
(双林寺薬師如来坐像)
今回の展示は東北6県を代表する20数点の仏像が展示されていたが、とりわけ「東北の三大薬師」と称される、黒石寺(岩手県)・双林寺(宮城県)・勝常寺(福島県)の薬師如来像を美しく優雅なお姿と感じた。勝常寺の薬師如来像のみ国宝で、他のふたつの如来様は重要文化財である。勝常寺の如来様でも1996年の指定である。
今回の展示では、東北の仏像には、力強く、それでいて優しい表情の仏像が多いことに気づかされた。その点は次回ブログで。(写真:勝常寺の薬師如来坐像)
(黒石寺薬師如来像)