マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

古川祭を観る

2014年04月28日 | 

 古川祭は“天下の奇祭”と語られている。400年以上の伝統がある気多若宮神社の例祭。起し太鼓も、屋台曳行も氏神様の神幸を祝い、迎えるためのもの。古川人がこの地に生きる上での心のよりどころ。毎年4月19日・20日の二日間に限り行われる。

 昨年春に飛騨古川を訪れた際、古川祭の中心は屋台曳行と思い込んでしまったようで、夜にも屋台の曳行があると勘違いしていた。19日の夜に行われるのは「起し太鼓」。これこそ、古川祭のハイライトであった。(写真:翌日の地元紙朝刊より)






 夕食後、宿の仕立てたマイクロバスは18時45分には会場に着いた。既に大勢の見物客で会場は賑わっている。私たちは"
まつり広場"の中心へとの足を進めた。ときは、出立祭りの直前で、そこではさらし姿の若者が付け太鼓を使い度胸を試し合っていた。右の写真のように、太鼓を付けた棒を夜空に向けて立て、その先端まで駆け上り、腹を基点の”宇宙遊泳”をするのだ。まだ祭りの前座に過ぎないが、演じるほうも観るほうも、もう興奮状態になってくる。後で考えれば、祭りの一部であったが、ここに祭のエッセンスがあったようにも思う。
 神事が執り行われたのちに、数百人のさらし姿の裸男たちが担ぐ櫓が町中を練り始めた。帰りのバス時刻の時刻が迫り、今夜の見物はこれまで。実は、ここからがいよいよ本番で、町の辻々では、「付け太鼓」と呼ばれる小太鼓を持った裸男達が、町内の威信をかけて、我先に櫓に付けようと次々に突っ込み、激しい攻防戦を繰り広げ、迫力ある攻防が深夜まで続くのだそうだ。(写真:見事な遊泳)
 その辺の事情は宿に帰ってきたから読んだ資料で知るわけだが、”無知なるかは幸いなるかな”、その時は悔しい思いを抱くことなく、帰りのバスに乗った。後の祭りとはこのこと。




         (櫓先頭)
 
 明けて、4月20日は、からくり人形と屋台の回転と獅子舞を見た。屋台の上に若い衆が5人ほど乗り人形を操作する。屋台の回転は、屋台真下に膝を屈めてその仕組みを覗いた。もの作り日本の、伝統ある技術。私たちの国の、最良の部分の一つを眺められ満足。それを最後に飛騨古川を後にして帰路についた。(写真:からくり人形)
 

 


 

 


  (屋台は回転するときに車の一部は宙に浮く)