マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

飛騨高山で

2014年04月25日 | 

 春の高山は初めてだった。45年ほど前の高山は日教組全国教研集会の真冬。昨年は真夏に訪れた町並み。どちらも、そぞろ歩きには向かない季節の訪れだった。その反動だろう、今回は、訪れた当日の午後、翌日の早朝と午前中と、三度も市街を散策した。分けても19日(土)の早朝散歩は寒かったが、スキットした気分でのそぞろ歩きだった。

 18日(金)、弘法山古墳を12時10分発の車は14時20分には宿泊ホテル「アルピナ飛騨高山」に到着。まずは市内見物に出かけた。高山駅を背にして真っ直ぐに進むと宮川に出あう。高山の中心部分をゆったりと流れ、鯉が泳ぐ清流。そこに架かる中橋付近での桜は満開。佳きときに訪れたことを実感していると、物凄い数の、それも外国人の一向に出会った。街中で聞かれる声は母国語よりも外国語の方が多い。人も“満開“なのだ。そぞろ歩きには程遠い雰囲気なので、散歩は早めに切り上げ、夕食の食材を求めてスーパーへ回った。(写真:宮川に架かる中橋)







 夕食は、妹が自宅で調理してきたおでんと、買い求めた刺身での部屋食。このホテルの部屋は広く、9階の展望風呂は温泉で、高山市街が一望のもと。設備も整っていて真新しい。このホテルが気に入って、ここの会員になってしまったほど。

 明けて4月19日(土)、私ひとり、早朝5時50分に宿を抜け出し、宮川の朝市へ。朝市のスタートは朝6時からなので、まだお店はちらほらだが、朝食のオカズにと、赤かぶとラッキョの漬物を購入。その後、宮川の支流江名子川へ。こちらは川沿いに、見事な桜が、細い流れを覆っていて、風情が増す。行き交う人との朝の挨拶も軽やか。


 高山は天領だった。中心市街地には江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されており、その景観から「飛騨の小京都」と呼ばれ、商都市として発展・興隆して来た。その面影の残る古き町並みを眺めながら、1時間半ほどで宿に戻った。
 朝食も買い込んでおいたパンで済ませ、10時に再度街中へ。宮川朝市は大きな賑わいを見せていた。実演販売の店が多々ある。私たちは駄菓子”げんこつ”を買った。昔食べた懐かしい味。屋台会館付近では、妻へのお土産に“渋草焼き‘のコーヒーカップを大枚4000円を叩いて購入。この旅直前に患い、無念の降板をした妻への細やかな慰め。
 昼食は有名な高山ラーメン。40数年前に、ここのラーメンを感激しながら味わったと
いう友人の話ほどの味ではなかった。かくして、幾ばくかの散財をした飛騨高山を後に、一路神岡城を目指して北上を開始した。





         (江古名川の流れ)




        (早朝の、古き町並み)