春の高山は初めてだった。45年ほど前の高山は日教組全国教研集会の真冬。昨年は真夏に訪れた町並み。どちらも、そぞろ歩きには向かない季節の訪れだった。その反動だろう、今回は、訪れた当日の午後、翌日の早朝と午前中と、三度も市街を散策した。分けても19日(土)の早朝散歩は寒かったが、スキットした気分でのそぞろ歩きだった。
18日(金)、弘法山古墳を12時10分発の車は14時20分には宿泊ホテル「アルピナ飛騨高山」に到着。まずは市内見物に出かけた。高山駅を背にして真っ直ぐに進むと宮川に出あう。高山の中心部分をゆったりと流れ、鯉が泳ぐ清流。そこに架かる中橋付近での桜は満開。佳きときに訪れたことを実感していると、物凄い数の、それも外国人の一向に出会った。街中で聞かれる声は母国語よりも外国語の方が多い。人も“満開“なのだ。そぞろ歩きには程遠い雰囲気なので、散歩は早めに切り上げ、夕食の食材を求めてスーパーへ回った。(写真:宮川に架かる中橋)
夕食は、妹が自宅で調理してきたおでんと、買い求めた刺身での部屋食。このホテルの部屋は広く、9階の展望風呂は温泉で、高山市街が一望のもと。設備も整っていて真新しい。このホテルが気に入って、ここの会員になってしまったほど。
明けて4月19日(土)、私ひとり、早朝5時50分に宿を抜け出し、宮川の朝市へ。朝市のスタートは朝6時からなので、まだお店はちらほらだが、朝食のオカズにと、赤かぶとラッキョの漬物を購入。その後、宮川の支流江名子川へ。こちらは川沿いに、見事な桜が、細い流れを覆っていて、風情が増す。行き交う人との朝の挨拶も軽やか。
高山は天領だった。中心市街地には江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されており、その景観から「飛騨の小京都」と呼ばれ、商都市として発展・興隆して来た。その面影の残る古き町並みを眺めながら、1時間半ほどで宿に戻った。
朝食も買い込んでおいたパンで済ませ、10時に再度街中へ。宮川朝市は大きな賑わいを見せていた。実演販売の店が多々ある。私たちは駄菓子”げんこつ”を買った。昔食べた懐かしい味。屋台会館付近では、妻へのお土産に“渋草焼き‘のコーヒーカップを大枚4000円を叩いて購入。この旅直前に患い、無念の降板をした妻への細やかな慰め。
昼食は有名な高山ラーメン。40数年前に、ここのラーメンを感激しながら味わったという友人の話ほどの味ではなかった。かくして、幾ばくかの散財をした飛騨高山を後に、一路神岡城を目指して北上を開始した。
(江古名川の流れ)
(早朝の、古き町並み)