マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

石神井川と谷田川に触れて・・・(その1)

2011年02月24日 | 江戸の川・東京の川

 石神井川の現状は、小平市の小金井ゴルフ場近辺を水源として、途中で富士見池・三宝寺池・石神井池等の涌水池の水を合わせ、練馬区の中央を東西に流れ、板橋区南部を経て、滝野川地区に入ります。王子付近では音無川と呼ばれ、王子駅の真下を潜り抜け隅田川に注ぐ、全長25.2Kmの石神井川。


 一方、谷田川は、江戸時代の地図を見ると、現在の染井霊園付近からの涌水などを水源として、上野台地と本郷台地の間の谷あいを流れ、途中藍染川と呼ばれ、不忍池に注いでいます。現在は全て暗渠になっていますが、その谷田川と石神井川はその昔一本の川で繋がっていた、との話を聞いた事がありました。(谷田川水源付近:江戸重ね地図による。水色の細い線が川






 右の図は、上の図と同じ位置の現在の地図で、「染井霊園」と「中央卸売市場」の間をかっては川が流れていました。







 昔の石神井川は、王子付近の急勾配を下る直前に東南の方向に進路を変えて流れていたとも聞きました。現在の流れと過去の流れが異なるならば、その瀬替えを示す痕跡があるはずと考え、飛鳥山から西ヶ原4丁目付近を探索したこともありました。10数年前のことです。しかし、素人がその様なものを発見できるはずも無く、あえなく、いとも簡単に撤退したのでした。
 今又、家人の友人の地理の先生が、現石神井川の一部(王子駅より上流)と谷田川は、昔は一本の川で結ばれていた(旧石神井川」と呼ぶそうです)と語っていると家人から聞きました。10数年前と現在の大きな違いはインターネット環境です。ネット上「石神井川」で検索して調べると、両川は一本の川であったことは定説のようで、問題は何時、どの様な原因・理由で、現在の様な流れに変えられたかにあるようでした。検索内容には幾つかの説とその文献等が紹介されていました。
 その1 縄文海進最盛期より後の自然現象との推定説。飛鳥山博物館に展示されている。
 その2 中世以降の人為掘削説  鈴木理生著「江戸の川・東京の川」(NHK放送ライブラリー)
 その3 江戸時代初期に江戸湊の洪水を防ぐために瀬替えしたとの説。鈴木理生著「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」(柏書房)

 その2の「江戸の川・東京の川」は時間を掛けて読みたかったので、古書店でオンライン購入しました。その3の「図説・・・・」は高額な本なので、文京区・豊島区・北区の図書館にオンライン予約を試みましたが、殆ど全て「帯禁
」。辛うじて北区図書館の一冊のみ貸し出し可で、借りてきて読み始めました。その3の飛鳥山博物館へは昨日出掛けて来ました。明日以降順次レポートします。