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マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

教え子同士の再会に一役

2015年03月03日 | 学び舎

 2月の最終日、大泉高校定時制の教え子のトシコさんとヨツエちゃん、そこに大竹君を交えて、私たち4名は「彬」の2階で再会を祝して乾杯の盃を交わした。「彬」での席は6日前の菊之丞独演会後の宴席と奇しくも同じだった。
 トシコさんとヨツエちゃんは高校生時代は同じ佐藤姓だったので、名前で呼んでいたが、その両佐藤さん(と今日だけ記す)とは、妻が講師の「伊勢物語」で2ヶ月に一度は顔を合わせている。大竹君とは昨年の12月に再会し、両佐藤さんとは、「伊勢物語」で2ヶ月に一度は会っているとの話をすると、是非会いたいとのこと。3日前の、「伊勢物語」終了後の再会を私がセットした。

 再会地点付近の地域活動センターから、谷中夜店通りにある「彬」まで、見どころが多い。この近辺へは初登場の大竹君の為にも、その何ヶ所かへ足を運んだ。天祖神社境内を抜け、旧安田楠雄邸へ。ここではこの日から「ひなまつり」展が始まっていたが、時間に余裕がなく、そこは素通りし「須藤公園」へ。本郷台地の縁を利用したこの公園で両佐藤さんは感嘆の声をあげた。二人ともここは初めて。さほど有名ではないが、都心のオアシスの趣のある公園。池でゆったりと泳ぐ二匹の鯉。私にも新鮮だった。
 不忍通りを越えると夜店通り。晴れた土曜日とあって多くの観光客で賑わっていた。(写真:須藤公園の池を見下ろす。以下撮影は3月3日)



 「彬」では今回は、ランチの三昧定食(1400円)を注文。話は過去に遡った。4人が参加した9年前の同期会・級友の消息・東北への修学旅行等々。今後のことでは、ハイキングに行きましょうとの話にもなったような気がする。可愛いお孫さんの写真を見せてくれたヨツエちゃんには、表銀座を案内すると約束していたことも明らかになった。何時かはそうしようとは思っていたが今年だったらしい。来年にして貰うかも知れない。
 話しながら、私はこの3人の共通点に思い当たった。色々とあるだろうが、15か16の頃、親・きょうだいと別れ、故郷(青森や福島や新潟)を後にし、最初に到着したのが、間もなく”玄関口”の役割を終える上野駅。井沢八郎が歌った「あゝ上野駅」のフレーズではないが、”上野は私の心の駅”なのだろうと思った。それから46年、営々と働き続けて来た、
3人のもう一つの共通点は勤勉。陰日向なく働くこと、と元担任は見た。15・6歳の身でたった一人働き始めた東京での生活。現在まで、真面目に働き続けて来たその結果、今がある。教える身で良かったなとしみじみ思えた時間帯だった。

 帰路は谷中銀座を抜け、西日暮里に回った。ここ諏訪台通りにトシコさんの家の寺「浄光寺」がある。彼女に案内されるまま墓に詣でると、そこは上野台地の崖っぷちだった。江戸時代から「雪見寺」と呼ばれ、雪の日にはそこから一面の雪が見渡せただろう。今は崖下を山手線や京浜東北線が走り、3月14日からは北陸新幹線も見渡せるはず。スポーツクラブ「NAS」西日暮里の建物も間近に望めた。(写真:新幹線MAX号)


   (直ぐ下を走る京浜東北線)


 (スポーツクラブ「NAS」)


『てらまっち』で教える

2014年12月07日 | 学び舎

 昨年10月5日のグログに登場させた「こまじいのうち」は、日曜日を除き、毎日色々な催しを実施している。土曜日の午後は“てらまっち”と称する学習支援の場となる。意欲がありながら、家庭の経済的事情(ひとり親・生活保護・被災者など)により学習塾に通えない生徒に対して、数名のボランティア教員が学習の手助けする。対象は小学5年生から中学3年生。
 文京区社会福祉協議会の浦田さんから、私に講師の依頼があったのは10月のこと。私は算数と数学の指導ということでお引き受けし、昨日の12月6日(土)、初めてそこで教えてきた。その様子は以後のブログで綴るとして・・・。


   
 かって“るるぶ”という言葉が流行り、そのような名前の雑誌も出版されていたが、これは見る・食べる・遊ぶ、の末尾を繋ぎあわせた造語。それに倣って、私は“ぶぶく”で自分の行動を分類している。遊ぶ・学ぶ・働く、の末尾を繋げた言葉で、好きな順に並べるとこうなる。
 このブログの“愛読者”にお会いすると、「よく遊んでいますね~」と言われる。特に否定はしないが、実はあちこちで働いてもいる。今日は仕事の話となったのをきっかけに、言い訳がましいが、遊びだけではなく働いている面も記しておきたい(強調しておきたい!)。
 学んできた数学を活しての仕事は、荒川5中での数学教員補助としての勤務と、最近依頼されて始めた家庭教師。それにこの“てらまっち”でのボランティア。
 数学とは、全く関係なく、自ら進んで、あるいは依頼されて務めている役柄、これが意外に多い。町内会では広報と会計監査、冨士前福寿会では会計、都高教退職者会の幹事、日本教職員退職者会のニュースの編集子、マンション管理組合の理事長、中学時代のクラス会の幹事。それに、山行の呼びかけ人。文京区の区民課から統計の仕事が舞い込むこともあるが、行政書士の仕事は数年前に廃業していて、この仕事はない。
 これらの仕事が順調にいっていると、気分爽快でもあるのだが、この年齢になると何かとミスが多々あり、それらが重なってストレスが溜まると、何もかも嫌になり、全てから逃げ出したくなることがある。年に一度くらい起こる。もう歳だから、少し戦線を縮小しなければとも思う。




憲法学習会「澤地講演」を終えて

2014年10月06日 | 学び舎

 10月5日(日)は、台風18号の接近により雨脚が強くなり、講演会へ影響を心配したが、80名以上の方の参加を得て無事、盛会のうちに終了した。澤地さんへは前日に電話をし、雨の場合はタクシーでお出で下さいと伝えると、「いえ、電車で参ります」とのお返事だったが、当日は予想を超えて強雨の為、止む無くタクシーを利用されたそうな。残念ながら和服姿は拝見できず、洋装でのご登場だった。
 都高教委員長の挨拶、私からの講師紹介の後に講演開始。

 
13時45分から1時間の講演をお願いしていたが、実に1時間40分に及ぶ講演となった。語り出しから最後まで、途切れることなく飛び出す言葉に、この方が84歳かと驚かされる語りだった。語りたいことが沢山おありになったのだ。
 話は、脱原発・憲法・安倍総理のことなど、エピソードを交えながら多岐に渡ったが、常に戦争の悲惨さに戻って来た。戦地に赴かされた男たちのみならず、”銃後を守らねばならない”女たちも、多大な困難を引き受けさせられた。戦争は築き上げて来た平穏な生活を一気に破壊する。その戦争への足音が聞こえ始めた現在。

 最後に彼女は、元上智大名誉教授の鶴見和子さんの次の言葉を引用し、間接形で、私たちの奮起を促したのだ。
 『権力者への民衆の寛容という美徳は、民衆自身の不幸の始まりだ』と。この酷い政治情勢に沈黙を守り、怒りの声を上げない民衆。現状改革の第一歩となるべき選挙へ足を運ばず、低下を続ける投票率。澤地さんはここを強く嘆いた。
 第99条で「・・・公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とされる憲法を擁護し、”第9条を守れ”と叫べば”非国民”と言われかねない現在日本の状況、澤地さんは”非国民”と云われることを恐れない。私たちにもそう云われることを恐れないで、だめなものはダメとの声を上げようと語った。
 「日本を戦争する国にさせないために」は、今現在の私たちの行動こそが肝要なのだと、語ったのだ。

 会終了後、1次会は”向丘同窓会”へ。2次会は”幹事ご苦労様会”へ。美味しい二献だった。

 


『伊勢物語』始まる

2014年03月30日 | 学び舎

 3月29日(土)より、妻が講師を務める『伊勢物語』が始まった。2ヶ月に一度の割合で、原則として偶数月に開催(第1回は2月を3月に)で、使用本は角川ソフィア文庫『伊勢物語』(石田穣二訳注)。併せて写本も使用する。私も最初から受講するが、『平家物語』のときとは違って、3つのことを新たに始めた。
 ICレコーダを使用しての録音と、ハンディカメラでの録画撮り。更に、必要に応じてはパソコンソフト「Power Point」で作成したスライドを液晶プロジェクターで拡大表示すること。
 今までも、記録に残しておけば良いと気が付きながら、実行してこなかったことばかりだが、今回はこの数か月間、準備を進めて来た。ICレコーダーはオリンパス製のものを購入。以前は1万円以上したと思うが、現品限りのものが5000円以下で購入出来た。ハンディカメラも安いものを1万5千円程度で仕入た。問題は「Power Point」でのスライド集の作成だった。1月に文京アカデミーの講習会に参加し、そこで使用したテキストを何度か繰り返し学んで、何とか作品を完成した。今回の作品題名は「花見の宴」。この会の参加メンバーとは過去に2度、花見の宴を張ったので、その時の写真を取り入れ、更には、小石川植物園までに点在する坂・寺・台地を組み込んで、道案内を作成しておいた。
 問題は、地域センターの液晶プロジェクターとパソコンの接続だった。24日には”XP”がインストールされているパソコンを地域センターに持ち込んで、試して見たが失敗。この時点で、諦めかけた。
 26日に私が通うパソコンスクール「ばんゆう」に出かけたときに、昨年購入したパソコン「Surface」と液晶プロジェクターは接続端子があれば接続可能なことを知り、27日にその端子を購入し、28日(金)の輪投げ練習の後にも接続を試みたが完全成功には至らなかった、
 会の当日、録音・録画以外に、液晶プロジェクターとも正常に接続出来、スライド作品を大型スクリーンの画面で見ることができた。過去の写真を眺められて会員の皆さんは満足の様子。
 
 私を含めて写本を読むのが初めてという人が5人ほどいた。妻曰く「物語が終了するまでには皆すらすら読めるようになります」とのこと。それなりの努力をしてそうなりたいものだ。

 会終了後、小石川植物園へ。桜は7分咲き程度だったが、暖かい土曜日、入場券を購入する列が出来るほどの賑わいで、あちこちでシートを敷いての宴。私たちも総勢11名が桜の下で宴を楽しんだ。用意したものは、おつな寿司のお弁当・とり多津のから揚げ・うさぎやのどら焼き・吟醸酒「染井櫻」・ワインなど。終了後私を除く10名は播磨坂の桜をも愛でたそううな。


以下「Power Point」のスライドの一部


  (この様なスライドが簡単に作成できる)


    (3年前に撮影の写真を取り込む)


  (道沿いにある掲示板を撮影した後に加工)


憲法学習会で『伊藤 真』講演を聞く

2013年10月14日 | 学び舎

 一昨日、都高教退職者会主催で、憲法学習会を「全水道会館」で開催し、伊藤真氏の講演を聞いた。伊藤氏は伊藤塾塾長として、多くの司法試験合格者を生みだした名教師として名高い。私は司法試験とは係わりを持たなかったが、行政書士受験で一時、ここの塾生となり、オンライン受講生だったことがある。「夢をかなえる勉強法」という彼の著作を読んだこともある。今や彼は「1票の格差絶滅」を訴える弁護士としても有名。興味津々として今日の講義を待っていた。

 開講20分前、事件発生。持参した方のパソコンには「Power Point」がインストールされていないことがわかり、緊急対策として、私がタクシーでパソコンを取りに自宅へ向かう。パソコンは、全水道会館からほど近い本部に戻り、そこのパソコンを借りて事なきを得ていたので、私が用意したパソコンは不要となり、メデタシメデタシとなったが、私が舞い戻った時には講義は既に開始されていて、是非聴きたかった「自己紹介」の部分は既に終わっていた。残念!
 伊藤氏も”パワ・ポイ”を利用しての講義。事前に配られたプリントには次の様に印刷されていた。
 『 自己紹介
   ●伊藤塾の塾長として→法律家・公務員の育成を30年
   ●憲法の伝道師として→全国で講演
   ●弁護士として→1人1票実現運動  』
 各方面で大活躍の彼が特に力を入れているのが、1人1票運動。話の前半部分はここに割かれた。
 参議院議員選挙1人あたりの有権者が24万人の鳥取県選挙区と、120万人の神奈川県選挙区では、議員1人あたりの有権者に5倍の格差がある。鳥取県の人を1票すると、今夏行われた参議院議員選挙では 東京の私は0.224 票 神奈川県の人は0.262票 埼玉県の人は0.246票  千葉県の人は0.286票しかない。住所差別は撤廃しなければならない。1票の不平等は、個人の尊重・尊厳の問題であると、3弁護士が中心となり、この運動に長い事取り組んできた成果か、この数年の高裁判決では、現在の国政選挙状態を「違憲違法」との判決が相次ぐ様になってきている事も紹介された。
 しかし伊藤氏の論法は鋭い。「違憲ではあるが無効では無いという判決が殆ど。その判決自体が違憲」と論断。更に「1人1票運動は、その格差是正を目指すのではなく、格差絶滅を目指す運動です」と。
 「P
ower point」のフレームは44にも上った。この内容を90分で全て語ろうとするのだから、早口にならざるを得ない。多分受験講師としての彼の講義は、もっと膨らみや脱線のあるものであったろう。そのような話も聴きたかったが、今は多くの場に出向き、護憲の為の活動に超多忙の彼、望むは酷か。この日も、次の講演が控えているという。

 現憲法の理念・根幹と対比しながらの自民党改憲草案への鋭い批判。特に「戦争が出来る国」へと流れて行きそうな現状に対し、最後に「皆さんへの期待」として「1・明日の自分は今日の自分が創る。2・今を生きる者としての責任を果たす。3・Festina Lente (ゆっくりいそげ)」 と締めくくって講義を終えた。分かりやすい、熱の籠った講義だった。