わたくし人形使いはいわゆるライブへの現地参加はもちろんのこと、ライブチケットを買うことすらしたことがない人生を歩んでまいりました。2023年12月、「にじさんじ 5th Anniversary LIVE『SYMPHONIA』」が開催されるまでは。
やっちゃいましたね。人生初のライブチケット購入。
人生初のライブチケット購入に踏み切った理由はもちろんのこと、我らが壱百満点のお嬢様こと壱百満天原サロメ嬢が出演するから。
今までもそれなりにVtuber文化には触れてきましたが、初配信から今まで自分でも驚くほど好きになってしまいました。その言葉を選んだ品性を失わないトーク力、ゲーム配信における没入力と物語読解力(ものがたりどっかいぢから)、おもろいIQ、あまりにもユニークなワードセンス、やたらきれいな悲鳴などなどで現在も楽しませてもらってます。
そして2025年、ついに念願のファーストおライブがついに開催!
現地への参加は難しいですが、ネットでなら!ということで迷うことなくネットチケットを購入。そして本日、サロメ嬢の晴れ舞台を見届けてきましたのでせっかくだから俺はこのライブの感想を書くぜ!
2025年2月21日金曜日午後16時過ぎ。
郵便局で荷物を出そうとしたら伝票がクロネコヤマトのだったので引き返してファミマに行ったり読み込み不良のドリキャスのピックアップレンズを調整したりしてたらあっという間に開演1時間切ってたので、慌てて配信ページへ。
コメント欄はすでに多くのサロメイトで賑わっており、配信でおなじみのお嬢様言葉が飛び交っています。
いつ配信が始まってもいいようにモニタの前で正座待機。刻一刻と開演時間が迫るなか、なんか見てるだけなのに緊張してきたぞ……?
明らかに日常生活では出てこない種類の汗が全身から吹き出してきて大変なことに。コメ欄でも「胃が痛くなってきた」だの「頭痛がする」だのと苦痛を訴えるサロメイトが続出しててワシもじゃ ワシもじゃみんなッッッ 全選手入場ッッッ と思わず徳川光成になってしまいました。
そして時間は過ぎていき、ついに画面にライブ会場が映し出されます。
その美しさたるや!
今回のライブ前にはいろいろとトラブルがあり、暗い気持ちになってしまったサロメイトも多かったと思います。しかし、この開演直前の、サロメ嬢を象徴するパープルのキンブレの光が会場を埋め尽くす光景の前にはそんな気持ちも吹き飛んでしまうようでした。
ライブ直前の準備配信のときに見たサロメイトの皆様の衣装やアクセサリーなどにも圧倒されていましたが、この画面越しにも熱気が伝わってくるかのようなサロメイトたちの姿はまさに圧巻の一言!
そしていよいよ開演時間まで3分を切ったところで会場に鳴り響くサロメ嬢のアナウンス! サロメ嬢の注意喚起に画面の向こうのサロメイトと画面のこっち側のサロメイトが仲良く「はーーーーーーい!!」とお返事。この結束力よ。
あとこれも言及しておきたいんですが、待機中に「コメントの透過率を上げておくと見やすい」というアドバイスをくれたサロメイト、実にナイスアドバイス。サロメ嬢はもちろんのこと、サロメイトのこういうところ好き。
そして時間を見るとすでに開演まで1分切って……そしていよいよ舞台の幕が上がります!
今回のライブを一言で現すと、「壱百満天原サロメ大解剖図鑑withゆかいな仲間たち」でしょうか。
そもそも作品というのは、多かれ少なかれ作り手の内面が出るものですし、作品を作る理由には「自分の内面を見てもらいたい」という欲求があるでしょう。
しかるに今回のライブは、サロメ嬢自身がたびたび言及していたように、演出や選曲などすべてをサロメ嬢自身が仕立てたものであり、その内容がいわゆる音楽ライブとはまた趣を異にする「サロメ劇場」であるという発言もありました。
今回のライブを見た人はわかると思いますが、まさにサロメ劇場でしたよね。壱百満天原サロメという人物の内面をミュージカル仕立てにして表現するという。
サロメ嬢が好きな理由の一つとして、「言語化能力が非常に高い」という点があります。ゲーム配信でストーリーやキャラクターについての自分の解釈や考察をしっかりとそして素早く言葉に出せる能力は、視聴者の没入感を高めるとともにサロメ嬢自身の考え方や感性を視聴者に伝える効果があるといえるでしょう。実際コメ欄を見ても、サロメ嬢の解釈や考察に感銘を受けたサロメイトのコメントが散見されます。最近の配信を例に取ると、「DRAGON BALL KAKAROT」におけるベジータの内面の考察ではベジータがその本心を吐露するシーンの前にその本心を完璧に言い当てていてびっくりしました。
翻って今回のライブですが、こちらは逆に「非言語的能力による自己表現」と言えるでしょう。
前述のとおり、今回のライブはサロメ嬢がすべての演出や選曲を行ったもの。言い換えれば、今回のライブで行われた演出、選曲、そしてストーリーはすべて「壱百満天原サロメ」という人物の内面であると言えると思うんですよね。
「自分の内面を表現する」という行為は、技術的な意味でも躊躇という意味でもハードルが高いものだと思います。それをこうして大衆の目の前で、第三者が理解可能な形で、エンターテイメントとして表現するというのは並大抵のことではないですよいやほんと。
今回のライブの内容を貫く一貫したストーリーとして「壱百満天原サロメというひとりの人間の人生」があったと思います。
「人生」なんて言葉を持ち出すといかにも大げさ、大仰な感じがしますが、今回のライブの内容は本当にサロメ嬢の人生を凝縮したものだと感じました。
今回のお話は招待状を受け取って舞踏会へ向かうというスタートで始まり、魔女の魔法で豪華なお城、楽しいケーキ作り、たくさんのゲストという夢のような時間を過ごします。しかし――。
こうしたライブは楽しくおめでたいもの。しかし今回のライブでは、この楽しい夢のような時間が突如終わりを告げてしまうというネガティブな展開が待っていました。もちろんこのことはサロメ嬢以外誰も知りません。もうここ、画面の向こうからも会場に集ったサロメイトの驚きが伝わってきましたからね。
サロメ嬢は、1stライブというこの記念すべき日だからこそあえてこのネガティブな展開を出したんじゃないでしょうかね。いや、ややもするとこのもうひとりの闇を背負ったサロメ嬢が登場するこの展開こそが今回のライブのキモ、サロメ嬢が本当に表現したかったことだったのでは?
配信者が視聴者を楽しませるエンターテイナーであることや配信上のマナーやルールを差し置いても、サロメ嬢は配信上ではネガティブなことをほとんど口にしません。冗談めかして重い女アピールをしたりスナックサロメでかなり突っ込んだシリアスな話をしたりはしても、ここまで自分自身のネガティブな側面を見せたことはおそらく一度もないはず。
思うに今回のライブは、これまでサロメ嬢が関わってきた配信・動画・企画・ライブなどなどすべての活動の中でもっともサロメ嬢のエゴが出てたんじゃないでしょうか。「自分にはこういうネガティブな側面もある、でもそれも紛れもない自分の姿。だからこそそれも含めて自分を見てほしい!」と言っているように思えました。
また、あのもうひとりのサロメ嬢はもちろんのこと、サロメ嬢を陥れたあの魔女もサロメ嬢の一部、サロメ嬢の中の自分自身に対するネガティブな言葉だったんじゃなかろうか。あるいは、人間なら誰でも持つであろう自分の将来への不安、不完全性への不満の擬人化そのものだったのでは。だからこそあの魔女の姿だけがいかにも戯画化された姿だったのにも頷けるような気がするようなしないような。オタクの深読みは無限にできる。
そしてあのラスト。魔女の陰謀によって燃え落ちた舞踏会場を仲間たちと一緒に建て直してハッピーエンド……のあとの、幕が下りる直前の、あのラストシーン。
「ネガティブに陥ってはいけない。でも、自分の中のネガティブな側面も受け入れてあげて」というメッセージであるとともに、まずそれを自分で率先してやって見せてくれた、そう感じました。
いやーもう素晴らしいライブだった。ライブと言うよりも、ストーリーのしっかりした1本の映画を見終えた、1冊の小説を見終えた気分です。そしてなによりも、壱百満天原サロメというひとりの人間の人生と内面を見ることができた、人間は自分の内面をこんな形で表現できるのかということを思い知らされたライブでした。
改めましてサロメ嬢、イベントスタッフの皆さん、そして現地・モニターの前のサロメイトの皆様方、おつサロメですわーーーーーーーー!!!!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます