A Day in The Life

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塚口サンサン劇場「ロブスター」見てきました!

2024-04-08 23:23:37 | 映画感想
 本日は生憎の雨となりましたが塚口の上映スケジュールについていくには天気なんか気にしてる場合ではありません。
 というわけで今日見てきたのはこれ!
 
 
 本作も前情報ゼロで塚口のポスターを見て興味を持った作品。
 後から知ったんですが本作、「哀れなるものたち」と同じヨルゴス・ランティモス監督作品だそうですね。
 本作の舞台となるのはあるホテル。ここには独身の男女が集められており、45日以内に配偶者を見つけられなかったら動物にされてしまうというルールがありました。そのホテルに連れてこられた主人公・デヴィッドは、事前面接で配偶者を見つけられなかった場合になりたい動物を聞かれて「ロブスター」と答えます。
 しかしデヴィッドはパートナーを見つけることができません。彼はホテルの外にある森に逃げ込むのですが……。
 本作は正直なところ世界観と設定が独特すぎてまだ十分に咀嚼できてない感じです。というかシンプルに「ワケわかんね―」といった感じ。しかし公式サイトで調べてみたところ、舞台は近未来のディストピア世界で、件のホテルは「独身は罪」という理由で独身となった男女を矯正するための施設という設定のよう。このへんはあんまり明示的に説明されてなかったんですが、それが分かると本作の輪郭が見えてくる気がします。
 ホテル内でパートナーを探すために行われるパーティやセミナーは、「理想的な男女関係」のカリカチュアなんじゃないかと思います。特に男女の独身の場合とパートナーがいる場合とを比較するセミナーの内容は滑稽かつグロテスク。前述の通り本作の監督が「哀れなるものたち」と同じ人だということを念頭に置くと、両作品に通底する共通点が「理想的とされる社会規範を皮肉った作品」であることがわかります。
 本作のホテル内では「配偶者を持つこと」が最上かつ正常な社会規範であることが示されています。しかし主人公であるデヴィッドはそのホテルのルール=社会規範を満たすことができず脱走。彼が逃げ込んだ森では、ホテルとは逆に独身者ばかりが集まっているコミュニティがありました。そこではこれまでとは逆に「独身でいること」が社会規範となっていて、コミュニティ内での恋愛は禁止。しかしデヴィッドはここでも社会規範を満たすことができずにメンバーの女性と恋に落ちてしまいます。
 この一連の展開は、「社会規範というものはその内容によらず、なんらかのコミュニティに属している限り常につきまとってくる」ということなんじゃないですかね。デヴィッドはそうした社会規範に反抗していると言うよりはその中に圧し包まれながらかろうじてもがいているに過ぎないという。社会規範はホテルや森という「環境」として存在しており、ある社会規範から逃げ出してもその先にあるのは別の社会規範でしかない……。
 作中では見事配偶者を見つけてカップルとなったメンバーも登場するんですが、そうしたカップルも完全に安定した理想的な生活をしているかと言うとそうでもない。カップル成立後もホテル側から常に監視されている状態で、特に子供に関しては明言されませんが明らかにホテルから与えられているような感じでしたし。
 そこら辺を鑑みると本作は初見ではわかりにくいものの、すべてを管理・監視されている典型的なディストピア的世界観なんですよね。公式サイトによれば一種のコメディですらある。
 たしかに本作、グロ描写などはないものの全編にわたって不穏な雰囲気が続く作品ではあるんですが、「哀れなるものたち」と同じようにどこか滑稽なんですよね。それは前述のような「理想的な男女パートナー」にせよ「恋愛禁止のコミュニティで当然のごとく恋に落ちてしまう展開」にせよ、大仰にデフォルメされているからだと思います。
 デヴィッドは最終的に独身者コミュニティ内で恋に落ちた女性と森からも脱出します。しかしその女性は脱出前にコミュニティのリーダーによって近視の治療と偽って視力を奪われていました。デヴィッドはそんな女性を献身的に導きながら森から脱出します。この「視力を奪われた女性」もまた、キャラクターというよりは「人為的に弱い立場に置かれた人間」という記号なんじゃないですかね。これまで状況に対してあまり能動的な行動ができていなかったデヴィッドも、そうした自分より弱い女性がそばにいることで行動の主導権を握れる立場になり自信を取り戻したのか行動的になります。そして最終的に自ら目をえぐって女性と同じように盲目になろう=女性に対する愛を証明しようとレストランのトイレに行って……というところで突然のエンド。
 ここは最初に見たときはポカーンでしたが、たぶんデヴィッドは女性を置き去りにしたまま逃げちゃったんだろうなと思います。ホテルでも森でもコミュニティという形の檻から逃れられなかったデヴィッドですが、さらに逃げた先の街のレストランでも、コミュニティの最小単位のひとつである「男女のカップル」という檻からは逃げられなかったという。
 そしてデヴィッドがそれらの檻からほんとうの意味で逃れる方法はただひとつ、「一人になること」だけだったんじゃないでしょうか。あるいはもっとメタ的な視点で考えると、「映画のフレーム外に退出すること」だったのかも。
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