A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

塚口サンサン劇場「劇場版少女歌劇レヴュースタァライト 」×2、「花火サラウンド 塚口流で愉しむ日本屈指の花火大会」見てきました!

2021-08-13 23:43:49 | 映画感想

 はい、今日も塚口です。
 というわけで今回見てきたのは「劇場版少女歌劇レヴュースタァライト 」と今年もやってくれました「花火サラウンド 塚口流で愉しむ日本屈指の花火大会」の計3本。
 なぜ3本かと言うと、「劇場版少女歌劇レヴュースタァライト 」は特別映像が2種類あるとのことだったので、それならということで2本連続で見ることにしたからです。
 じゃあ本作がそんなに好きなのかというと実は前情報は例によってほぼゼロ。
 タイトル以外で知ってることと言えば、「なぜかキリンが出るらしい」「舞台歌劇が題材」「主人公の名前が華恋」「以前TVアニメでやってた」くらい。
 映像面については予告のトレーラー以上のものは一切見てませんでした。
 じゃあなんで興味を持ったのかと言うと、本作はどうやら「ワイドスクリーン・バロック」に分類される作品だということを知ったからです。
 「ワイドスクリーン・バロック」とは、wikiの記述によると「ブライアン・オールディスが提唱したSFのサブジャンル」で、「時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛びまわる。機知に富み、深遠であると同時に軽薄」とのこと。
 個人的にはワイドスクリーン・バロックというと未読ではありますがアルフレッド・ベスターの「虎よ、虎よ!」がそのジャンルに該当すると知っていました。「フィネガンズ・ウェイク」は違ったか? あとこれまた小説版は未読ですが「銀河ヒッチハイク・ガイド」もこのジャンルに該当するかな。「パプリカ」もか?
 また個人的なこのジャンルの解釈としては、「爆発的かつ無制限に広がる荒唐無稽なイメージ」「現実と虚構が曖昧になっていく、もしくは最初から渾然一体として描かれている」って感じですかね。
 そういうわけで、心の妖怪アンテナに引っかかるものがあったので見てきたわけですよ。
 さて恒例の待合室ですが……

 

 うーんまさに塚口。なんだよこのハイクオリティなキリンは。
 などと少なからず困惑しながら本編を見に行ったんですが……。

 いやーわたくし人形使いも今までいろんな映画を見て感想を書いてきましたが、本作は久しぶりに来たひっじょーーーーに感想を書くのが難しいタイプの作品でした。
 前述の通り前情報はほぼゼロで2連続で見たわけですが、うーーーーーんとても困る。感じたことはもちろん色々あるんですがなんとも言語化しにくい。
 まず率直に言ってしまうと、ここまでトンでるとは思わなかった。
 いきなりデコトラ対決が始まったときは笑っていいのかいけないのかどうすりゃいいんだこれはとポルナレフ状態でした。
 なんというか、突拍子もない展開が当たり前のように出てきてこっちが困惑してる間にエンドロールが始まってしまった感じです。
 いわゆる「考えるな感じろ」系の作品ではあるんですが、なんかもうそれも通り越してシュールレアリスムの世界にイッてるじゃなかろうかこの作品。
 正統派アイドルアニメみたいなガワから繰り出される百鬼夜行のオンパレードで、そのギャップでわたくしめまいがしてきました。
 いや、基本骨子はライバルとの葛藤あり、子供の頃の約束あり、成長と卒業ありと正統派アイドルアニメなんですよね。
 全編まるまるトンデモ展開というわけでは決してなく、作中にはキャラクターが立脚している現実はちゃんとあります。
 事実、主人公である華恋をはじめとする9人の少女たちはそれぞれ自らの進路を選び取り、それぞれの道に進んでいきます。
 しかしながらその現実と彼女たちにとっての「もう一つの現実」とも言える「舞台」がシームレスに繋がって展開されているので、なんというか見ててこれパンズ・ラビリンスとかテリー・ギリアム作品の仲間だよなこれ……と思ってました。
 心象風景などを超現実的な世界として描写する手法は当然ありますが、それにしたって本作はあまりにも現実と地続きとして描かれているのがインパクトがありました。
 しかし、そう思えるのは客席から見ているこちら側の視点と感想であり、文字通り「舞台」を舞台として鮮烈に生きている彼女たちにとっては、こうした超現実的描写もまたあくまで現実、あるいは「拡張・誇張された現実」であるということなんじゃないでしょうかね。
 というかそもそも本作そのものというか本作の総体こそが「舞台」なのか?
 さらに考えると、「この作品を劇場で見る」というシチュエーションにおいては、必然的に「舞台」と「観客」という枠組みが設定されるわけで、本作はその枠組みそれ自体を作品のギミックとして使用しているのではあるまいか……イヤイヤ……(ドグラ・マグラ)
 そういう風に考えると、本作はなんというか「舞台(スクリーン)と客席がある映画館という環境で見ることを前提としている、映画館というシチュエーション(設備やロケーションではなく)で最大の威力を発揮する作品」というものである気がします。
 各キャラクターの関係性や競争、そしてその決着は前述の通り超現実的な描写でもって展開されていくわけですが、そうした描写も一貫して「舞台の上で演じられている」という姿勢をとっています。そうした意味でも本作は映画館というシチュエーションで最大の威力を発揮する作品だと思いますし、きらびやかに鮮烈に残酷に苛烈に舞台の上を舞う9人の少女たちは、言ってしまえば人間である前に歌劇少女という舞台の一部であり、だからこそどれだけ荒唐無稽な展開や描写があったとしても一貫して彼女らがいる場所は「舞台」であるということなんじゃないでしょうかね。
 また、本作で特異だなと思ったのはやはりあの例のキリンです。
 いったいどんなシチュエーションで、どんなキャラクターとして登場するのかと思っていたんですが、あのキリンは明らかに「観客という概念」として描写されてますよね。いちキャラクターとしての観客ではなく、観客という概念。さらに言うなら観客席から見た観客ではなく舞台から見た観客。なんでキリンの姿をしてるのかはよくわかりませんが、適者生存のメタファーなのかな……。
 また言及しておきたいのが、作中で繰り返し繰り返し登場する「駅」と「電車」。
 ブラックジャックの暫定的最終回である「人生という名のSL」を思い出しました。あともちろんエヴァ。
 人生のメタファーはそれこそさまざまですが、一度乗ったら自分の意志では止めることができない、自分の意思とは関係なしに終点がある、しかしどの駅で降りるかは自分で決められるという点で駅と電車というのは本作のテーマの一つであろう「卒業とその先」を描くうえでピッタリのモチーフだったと思います。
 あとはあのT字。最初はなにかと思ってましたが、ステージ上の立ち位置を決めるいわゆるバミりなんですね。
 そして本作ではスタートライン、センターポジション、作中では「ポジションゼロ」と呼称されているT字のサインは、駅や電車と同じくらい要所要所で登場します。
 特にラストシーン、真っ二つに折れた東京タワーから大量のT字が吹き出てくるシーン、あれはどれだけ舞台で演じても演じても無数にスタートラインは存在する=演じるべき舞台は存在し続けるってことなんでしょうかね。
 実際本作のラストシーンもまたオーディションというスタートラインで幕を閉じてますし。
 ……とまあこんな感じで思いつくまま考察を書いてきましたがいかがでしたでしょうか。先日見た「映画大好きポンポさん」とセットで考えるとまたいろいろ考察できそうです。

 次、去年に引き続き雨天決行の花火大会である「花火サラウンド 塚口流で愉しむ日本屈指の花火大会」。
 映像自体は去年と同じだったかな?
 天気が崩れてたのと平日だったということで観客の入りは控えめでしたが、それでもやはりこの状況下、この天気でラムネ飲みながら花火を楽しめる場所があるというのは素晴らしい。
 花火はもちろんその美しさを楽しむものではありますが、やはり塚口なら音を楽しまねば。
 もうしばらく花火大会には行ってませんが、スピーカーから直接響く爆発音は、花火大会の花火とはまた違った味わいを楽しめました。
 また今回、機材トラブルで映像が止まってしまうというアクシデントもありましたが、上映終了の際には客席から拍手が起こるあたりとっても塚口。

 これからもだいぶクレイジーなラインナップが続いててもう仕事なんかしてる場合じゃありません。
 さしあたってキンザザは絶対見に行きます。

コメント
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