※先に書いておきますが、ネタバレ部分は反転しています。
また、タイトルに「その1」とあるように、モノがものだけに1回で感想全部書いてしまうのは難しいので、これから数日に分けて感想を書いていこうと思います。
シンエヴァの公開初日にコミケ延期の報が届くとかどうなってんだ。それこそサードインパクト級の衝撃だわ。
2021年3月8日は伝説の日として記憶されるであろう。
というわけで、ついにこの日が現実のものとなりました。
2021年どころか今世紀どころかアニメ史上に残るであろう色んな意味での話題作「シン・エヴァンゲリオン劇場版」、公開初日。
終わる終わる詐欺の筆頭格にして延期を重ね続けた本作、本当に今回上映されました。
数日前にチケットを先に発行してたんですが、チケットを手にしていても妙に現実感がなく、今ふっと目を覚ましたら自宅の布団の中にいても「ああ、やっぱりエヴァ完結なんて夢だったか」って納得してしまいそう。
ともあれ、いちオタクとしては人生の中で昨日と今日の間に決定的なラインが引かれた感じですね。歴史的な日です。
さて感想の前置きとして、上映前の様子をいくつか。
絶対手に入れたかったパンフレットですが、上映開始時間より1時間くらい前に物販に行ったところ特に並ばずに買えました。
また、その時間帯だと人もまだまばらだった感じです。
しかし上映時間30分くらい前になるとエレベーターから大量の人が出てきて館内がギュウギュウ詰めになり、物販やカウンターには当然ですが長蛇の列が。もちろん入場の際も長蛇の列が出来ており、コミケがずっとおやすみだったせいで随分見てなかった最後尾札を久しぶりに見かけた気がします。
いよいよ入場時間となり入場列に並んでいる段階でもうすでに動悸がしてました。映画見るのにこれだけ緊張したことって初めてだぞ……。
予約したシートに背を預ける段階になってもまだ現実感がわきません。あと十数分後にエヴァの最終章の幕が上がるとは……。
上映時間。えもうすっかり見慣れた映画泥棒や注意喚起のアナウンスが流れ、ついにその扉が開かれます。
↓CAUTION!!ここから先は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の内容について記述しているので、ネタバレ反転しています。未見の方はご注意下さい。↓
感想と言っても初回ですし、なにより情報をきちんと整理できるほど落ち着けてないしな……。
なので映画の流れに沿う形でつらつらとその時の感情や驚き、そして今思ったことや考えたことを思いつくまま書いていこうと思います。
・冒頭。東宝のロゴとともにマリの歌「真実一路のマーチ」。
・メインタイトル前までのパリ旧市街のシーンは、以前イベントで公開されてたものと同じ。なのでこの辺までは比較的落ち着いて見ることが出来ました。
・メインタイトル。もうエヴァファンなら網膜に焼き付いている黒バックに白明朝体の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のタイトル。ここからは完全に未体験ゾーン。
・メインタイトル後からいきなりはあああああああ!?!?!?!!!!? ととととととトウジが生きてるゥ!? しかも大人になってる!? さらに委員長と結婚して子供もいる!? さらにはケンスケも!?
・いきなりの衝撃でしたが、かつてシンジくんのクラスメイトであった3人が立派に成長して大人になっているこのシーン、もちろん見てるこっちはみんな生きててよかったって安心しましたが、当のシンジくんはこの段階でもまだ自分を失ったまま。
・さっき「見てるこっちは安心した」と書いたばかりですが、このシーンで同時に「置いていかれた感」を強く強く感じました。同窓会とかで久しぶりに会ったクラスメイトがみんな立派に親や社会人になってるのに自分だけが……というアレ。ある意味ひどく残酷なシーンだったと思います。
・この「順当に人生を重ねてきたかつての友人」と「当時のまま成長できていない自分」との埋められない溝・空白は、おそらく14歳のままのシンジくんとそこから14年の時間を重ねて成長してきたトウジたちという形でわかりやすく表現された「自分と他人との埋められない溝・空白」なんじゃないでしょうか。
・そもそもエヴァ、特に旧劇版は「人と人とが完全に分かり合うことは出来ない」というメッセージを発してきました。「人と人とが完全に分かり合った世界」はあの有様なわけですし。
・しかし「人と人とが完全に分かり合うことは出来ない」ことも「人と人とが完全に分かり合うことは出来ないことに折り合いをつけて生きていく」ことも、実は世界を書き換えるようなとんでもない能力や世界が滅ぶような犠牲を払わなくても受け入れられることなんですよね。それを象徴しているのが前半パートで未曾有の危機にさらされながらもたくましく生きるトウジたちの姿だと思いました。
・「立派な大人」として成長しているトウジたちは、Qから引き続き自閉しているシンジくんや得体の知れない存在であるはずの黒波を快く受け入れます。貴重な食事や寝床はもちろんのこと、シンジくんや黒波を一人の人間として尊重し、思いやり、適切な距離で接してくれます。これは今まで彼らの周囲の人間……というか、本来ならそうするべきであるはずのゲンドウをはじめとする大人たち、そして特にQで大きな批判を生んだミサトさんをはじめとするヴィレの大人たちが決して彼にしれくれなかったこと、そしてシンジくんが何より望んでたことなんですよね。
・しかし、旧劇版で「僕に優しくしてよ!」と言っていた彼が、いざ自分が何よりも望んでいた、求めていたはずの他者からの受容や理解、そしてつながりを与えられた今回、今度は「どうしてみんな僕に優しくするんだよ!」となってしまっているこの対置構造があまりにも悲しい。求めていたはずのものが手の届くところにあっても、自閉した彼はそれに手を伸ばすことができない。あまりにも悲しい断絶です。
・しかし、そんな彼に唯一、彼の意思なんかお構いなしに強引に近づいてくる存在がありました。アスカです。
・エヴァの呪縛によって容姿こそ14歳のままですが、彼女もまたシンジくんにとっては空白の14年間を経て大人になった存在。しかし彼女は、大人になってしまったかつての友人たちとは違い、彼に容赦なく詰め寄って来てくれます。物理的にも精神的にも。ここまで彼に対して距離を詰めてくる存在は、マリとカヲルくんくらいのものでしょう。
・Qで彼に対して拳をふるおうとしたのも、ヴィレのメンバーが一貫して彼を拒絶・隔離しようとする中で唯一「殴る」という物理的接触を試みたものだと思ってます。
・新劇場版は言うに及ばず、TVシリーズや旧劇場版でも、表現方法はともかくとしてアスカはシンジくんに対して明確に好意を寄せていたというのはエヴァファンなら納得するところでしょう。しかし、その好意を向けられている対象であるシンジくんはそれを受け止めることが出来ない。
・にもかかわらず、アスカは未だにシンジくんに対して強引に接触を試みるわけです。Qのラストシーンで彼の手を引いていくシーンは印象的でした。
・ただ、アスカは前述の通り姿こそ変わっていないものの、シンジくんとの間には絶対に埋められない14年の隔たりがあります。やはり彼女も、もう14年前のシンジくんが知っているままの彼女ではない。それを端的に示しているのがケンスケとの関係でしょう。
・アスカの口からは明言されはしないものの、ケンスケを「ケンケン」という親しげなあだ名で呼んでいること、心神喪失状態のシンジくんはともかくケンスケも裸同然のアスカの姿に特に反応していないこと、そして何よりラスト付近のあのシーンから、両者が現在どのような関係にあるかははっきりしてるでしょう。
・第三村でのシンジくんやアスカと対象的なのが黒波でしょう。決して埋められない14年の空白を抱えたシンジくんや決して消すことが出来ない14年の年月を積み重ねているアスカとはまた異なり、黒波は記憶の面も情緒の面も文字通りリセットされた存在です。
・リセットされた存在ということはつまり、Qでシンジくんが連呼していた「やり直し」ができる/できた存在であるという意味なんじゃないでしょうか。
・実際彼女は自分を受け入れようとしてくれているかつてのクラスメイトや第三村の人々、そしてアスカに対して閉じこもったままのシンジくんとは異なり、無垢に周囲に興味を持ち、学び、当たり前の人の営みに加わっていきます。
・というか第三村パートの黒波の可憐さは度を越しすぎ。死人が出るわあんなの。見てるこっちはフォースインパクトを待たずしてLCL化しそうになったわ。アニメ史上に残るインパクトで絶大な人気を誇るキャラである綾波レイですが、今回のでまたファンを増やしたでしょう。
・第三村のシーンは、「これ本当にエヴァか?」と思うくらい平和で、特に旧劇場版のアレを見てきたエヴァオタとしては幻覚を疑うレベルでした。ああいうコミュニティだと外部から来たものは阻害されるのがお約束ですが、シンジくんはともかく明らかに風体が怪しく正体不明の黒波に対しても、優しく接してくれます。特におばちゃんたちがもう完全に田舎に遊びに来た若い娘さんをかわいがってあげてる親戚そのものって感じで大変微笑ましい。
・そして何より、人為的に生み出された存在である黒波が「田植え」という行為を行うあのシーンの尊さたるや。田んぼですっ転んだ黒波の姿はもはや宗教画ですよ。
・こうして黒波は情緒を育てていくわけなんですが、普通だとこの役目ってシンジくんのはずなんですよね構成を考えると。アスカの言うようにアヤナミシリーズはシンジくんに好意をもつようになっているので、必然的に彼との関わりから情緒を育てていくという構成に普通はなるはず。
・しかし本編ではそうはなっていない。シンジくんがあの状態だったからというのは当然として、もう一つの理由としてあのパートは「黒波とシンジくんとの2者間の関係性構築のパート」ではなく「黒波の世界の外側の世界との関係性構築のパート」だったからではないかと思います。
・というか2者間に限定された関係性構築だと本作のテーマ的には失敗パターンなんじゃないでしょうか。その失敗パターンが旧劇場版の「シンジくんとアスカしかいないラストシーン」だと思います。特定単数の人間との関わりではなく、不特定多数の人間=世界との関わりを構築するパートだったと思います。
・そして、そこで育てられた情緒をもって、そこから黒波はシンジくんに接していく。
・最終的に黒波は、かつての綾波がそうであったように彼の目の前から消えていきます。しかし、シンジくんは今回そこで立ち止まることなく、ようやく、ここにきてようやく立ち直ることが出来ました。黒波は自分が育てた苗を、シンジくんの畑に植えることに成功したわけです。
・そしてシンジくんは、かつて「男の戰い」にて自らネルフ本部へ戻ってきたときのように、明確な自分の意志でもってヴィレに戻ります。そこには、14歳の頃から少し成長した彼の姿がありました。Qのラストシーンでアスカに手を引かれてようやく歩いていった彼の姿と明らかに対置構造となっている素晴らしいシーンでした。
・というかですね、この第三村のシーンが本当にエヴァらしからぬ平和さだったので、わたくし見てて「怖い!!! この平和が怖い!!! 絶対上げて落とすパターンだろこれ!!! 知ってるんだぞ庵野!!!」と内心ガクブルでした。いやTVシリーズから見てた人間からすると異様なほど平和なシーンなんだよここ……。怖いよママン!!!
↑ネタバレ反転ゾーン終了↑
と、パンフレットによればここまでがようやくAパートなんですが……まあこんなん1回で書ききれるわけないですよね……。
というわけで明日以降もしばらくシンエヴァネタバレ感想が続きます。