ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

春の恵み ノビル編1

2014年03月21日 21時53分34秒 | 自然

春になるといろいろと山菜が出てくる。

フキノトウ、ウド、ワラビなんかは
季節を味わう絶好の食材になる。
しかしこれらを手に入れようと思えば、
どうしても山や山里に行かないと採集できないが、
街中でも田んぼのあぜ道なんかを探せば
簡単に手に入る食材もある。

それが「ノビル」だ。

漢字で書くと「野蒜」となる。
ネギ属の多年草で、
こんな花が咲き、



茶色いむかごがつく。



多分春の野原やあぜ道なんかで見かけたこともあるでしょう。
子供の頃にいたずらで
このむかごで友達と頭を
コツンとやりあったりした思い出がある。

今の時期はまだ花茎も伸びていないので、
雑草に紛れてわかりにくいが、



慣れれば比較的簡単に見分けがつく。

摘むのはそんな花茎が出る前の今の時期がいい。



この植物は古い時代に作物と一緒に
日本に入ってきた史前帰化植物といわれている。

古事記でも応神天皇の歌として

「いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに」

との記載があるし、
万葉集にも登場する植物だ。

ネギ属ということもあって、
非常にネギ独特の香りが強い。

摘んでいると手ににおいがついて
なかなか取れなかったりする。

doironが採集するのは、根ごとだ。

意外に根が深いので、
やわなスコップだと曲がってしまう。
それに人里だからあぜ道でもたもたしてたら
不審がられるので、
こういう山菜採り専門のスコップ(根掘り)があれば
素早く採集出来て最適だろう。



不審がられるのならまだいい。
近所に人に見られると

「あそこのお家は、退職して
親も四人も抱えて生活苦しいんやできっと」

なんてうわさになるかもしれない。

まあ、それはそれで、
色々と野菜のおすそ分けとかあれば
ありがたいっちゃありがたいのじゃが・・・。

その自慢の根掘りはもう30年以上使っている。
すこし反ってきているのと
部分的にさびが来ているが
さして支障はない。
昔の道具はどれも頑丈にできているなあ
とつくづく感心する。

採取するときは先の写真のように
雑草に紛れているが、
根ごと掘るのであとで簡単に選別できる。
根を採るのは、この根も美味だからである。

名古屋で買ってきたこれが役に立つ。



掘った根っこを軽く水で晒してこの味噌をつけ
コリッとかじると、お酒のつまみにぴったりなのだ。



根を掘るのが大変な人は、
まず葉っぱ部分だけブチブチッとちぎってきてもいい。

細い葉っぱでも驚くべき香りを放つ。



根は先のようにして食べ、
葉っぱはいろいろと料理に使う。
どんな風に使うかというと、

それは明日に続きます。

ノビルだけに伸ばします。


一人でもエイ

2014年03月20日 21時45分16秒 | 最近の出来事

今日は木曜日。
首Dさんが病気で入院をしたので
今日のエイは一人だと思っていたけど
木曜夜は身体が覚えているので
やっぱり行くことにしていた。

そりゃそうだ、人生の3分の一以上の木曜日の夜は
エイで過ごしているのだ。
すっぱりやめられるはずもない。

20年以上前に
大人数で通い始めたエイも
退職や家庭の事情で
一人こなくなり、二人来なくなり
ついに今夜、期間限定とはいえ
一人でエイを過ごす夜を
迎えるに至った。

これまで1000回以上行ってるから
時間でいうと1500時間以上
ここで過ごしている。
下世話ではありますが、お金でいうと
一回2500円として250万円。
車が一台買えるお金をここに費やしてきた。
とはいえ、金額の問題ではない。
木曜日夜のひとときはプライスレス。
お金に換算できないくらい
大切な時間を大切な友達と過ごしてきたんだ。
そうして育んだ絆は何よりも固い。

雨の中、傘を差しつつもぼとぼとになってチャリで
店に行くと、仁Oさん夫妻がいた。
近頃はこのお二人に
とてもありがたくしてもらっている。
今日も一人で過ごす時間を
楽しい時間にしていただいた。
やっぱり持つべきものは友達やねえ。

僕自身も身体のことで
エイに行けなくなる危機を乗り越えてきたけど
仁Oさんも僕よりもはるかに
困難を乗り越えて今に至っているお人だから
人の痛みをよく知る人でもあり
話していても心が安まるというものだ。

エイで過ごした20年以上は
doironの人生でも特筆ものの
貴重な時間でもある。
フルマラソンでサブスリーを目指しているときも
ウルトラでサブ10を目指しているときも
初のロングトライアスロンに挑むときも
250キロという超ロングウルトラマラソンに挑むときも
木曜夜だけは
練習を控えたものだ。
doironのアルコール原点は
間違いなくここにある。

だから木曜日夜のTVドラマは見たことがないし
金曜日の朝はいつも顔がむくんでいた。
なので、今さら一人であるからといって
おいそれと、じゃ明日から行かないでおこう
というわけにはいかないのである。
こりかたまったリズムを崩すのは
体調を崩すのにもつながっていくような気もするしね。

来週もきっと行くだろう。

そのときは、プレートを作っていこうと思っている。

エイのママさんにも、もし来られたら
仁Oさんにもそれを持ってもらって
写真を撮ろうと思っている。
プレートにかく言葉は

「首Dさん、エイで待ってるよ~」だ。

そしてその写真を首Dさんに
届けてお見舞いにしようと思っているのだ。
入院期間は1ヵ月半。
今年は花見は出来ないけれど
退院してきたら
思いっきり楽しい時間を過ごしましょうね~


運転免許更新余話

2014年03月19日 21時58分25秒 | 最近の出来事

免許の更新時の話をもう少し。

手続きにあたっての力のいれどころは2場面あった。

ひとつは視力検査。

すでに眼鏡等の条件が付いている人はいいとして、
これまで一度もそういうことを言われたことのないdoironなどは、
年齢を重ねるに連れ
視力の衰えは致し方なく、
いつ眼鏡等の条件が付いても不思議ではないところである。
人によっては年と共に眼球も小さくなっていったりするそうだし、
飛蚊症もいくらかあるうえに、
乱視にいたっては目が疲れていると
月が3つくらい見えたりするから、
この更新が近づくにつれ
ドキドキしていたのだ。

以前の職場では、
毎年の健診で視力1.0以上を確保していたのだが、
最近はかなり自信を無くしている。

仕事でパソコンに向かっている時や
絵を描いている時などは
眼鏡をかけたりしているものの、
まだ運転時にはさほど不自由は感じておらず、
逆に眼鏡等の条件が付いた方が
不自由だったりするかもしれないと思うからだ。

ランドルト環の視力検査は、
やる気である程度カバーできる。

定期健診などどうでもいいわ
と思っていると、
ちょっとあやふやだと
「わかりましぇ~ん」で済ますけど、
こんな時にはあやふやでも
グググッと目に力と気合を込めると
不思議と見えてくるものである。

今回も見事に乗り切った時には、
小さくガッツポーズをしてしまいました。

58歳ですが、目だけはいいのです。

次に力を入れたのが写真撮影。

よく、捕まった犯人の顔写真なんかが
ニュースに流れると

「あ~なるほど。悪そうな顔をしてるな」

とお茶の間で話題になったりする。
きっと5千万人はそう思っただろう、
なんて思ったりしてね。
そんな場合、
たまに免許証の写真らしい画像が
出てきたりしているんじゃないかと思うのだ。

警察はこの免許証で入手した顔写真データは
きっと犯罪捜査にも使っていると思う。

現に、doironが以前の職場で
ある事件の証人として
2日間警察の本部に通い詰めたことがあるが、
その時に、犯人を特定するために、
20人くらいの顔写真を並べられて、
あなたが知ってる犯人はどれですか?
と聞かれたことがある。

いわゆる運転免許証の写真による首実検であった。

そんな形で活用をしていたりするのだろう。
ずいぶん前やから今は知らんけどね。

でもやはり、顔と名前が一致する免許証のデータは
重要な資料なんだろうと思う。

そういうことを考えていると、
顔写真撮影が近づくにつれ
だんだん緊張してきたりする。

普通の警察署で更新手続きをするときは、
自分で写真を選んで持って行ったりするから、
かっこよくとまでは無理な注文だが
普通に写っているのを持っていけばいい。
しかし、試験場での更新手続きとなると
機械の前に座って一発勝負なのである。

部屋に入ると女性は髪を整えたり、
コンパクトを見ながら顔のチェックをしたりしている。
おっさんとしては、
鏡など持っているはずもなく、
窓ガラスにうす~く写っている
自分の姿で確認するくらいしか手がない。
スマホでチェックもできるのだろうが、
それもおっさんのすることではない。

ちゃんと分はわきまえているっしょ。

結局、自分の年よりは
老けて写らなければそれでいいや、
と開き直る他はないのである。

撮影した写真の顔は、
講習が終わって新しい免許証をみるまで確認しようがない。

公布された時には真っ先に写真を見てしまいました。

よしよし、まあそんなに悪人には見えないし、
若ぶって着ていったボーダーのシャツで
2歳は稼いでいたかな。

とにかくこれから5年間付き合う免許証だし、
何かで顔写真が報道されるとも限らないから、
めんどくさくないように、
そしてみっともなくないように、
視力検査、写真撮影の2点に
頑張って力を注いだ免許更新の半日でした。


運転免許を更新した

2014年03月18日 21時01分04秒 | 最近の出来事

先日無事58歳を迎えることができた。
そしてこの誕生日といえば
運転免許証の更新の時期なのである。

これまでは職場の近くの警察署に行って
手続きをしていたが、
今は平日でも簡単に都合がつくので、
K明池の運転試験場に行くことにした。

そこだと、即日交付をしてもらえるし、
今まで行ったことがなかったので、
どれどれどんなとこじゃろと
探検をしてみようと思ったからだ。

それに何かの折に行かねばならないことも
あるかもしれないし、
予定のない下見ということでもある。
またフリーライターとしても
経験をしておく必要があるとも思ったから
自分なりに試験場しかなかったわけだ。

受付は8時30分から
ということであったが、
家を出たのが8時30分だった。
家から試験場までは車で約15分。
途中、一日1000円という民間駐車場があったが、
人に聞いたら
試験場の駐車場が立体になっててスペースも多いし、
一般講習だけだったら500円くらいでいけるはずやで
とアドバイスをもらっていたから
迷わず試験場に入っていった。

さすがに朝イチは人が多いよ
とも聞いていた通り、
1階のスペースは満車だったけど
2階はこんな風にガラガラだったので余裕であった。



車をとめて
正面入り口から入っていくとビックリ。
どの窓口も長蛇の列だった。

きょろきょろと見回してみたものの、
まずどこに並ぶのか見当もつかない。

と、フロアで案内をしているおねえさんが
「免許更新ガイド 更新手続きの流れ」
と題したチラシを配布していたのでそれを入手した。



ふむふむ、まずは暗証番号の設定か。

これは初めてである。
免許証のICチップ化に伴い、
4ケタの数字2組を設定しないといけないらしい。

一番よく使っている番号を二つ入力し、
プリントアウトしておいた。

ここでひとつアドバイス。

その暗証番号の紙であるとか、
駐車券や更新手続きのはがきであるとか、
以後窓口で配られる書類やメモも
いくつかあるので、
更新時にはクリアホルダーを持参するといいだろう。
カバンの中やポケットを色々探るよりはスマートだ。


そして次に並ぶのが、
写真や住所など旧免許証の情報が記載された
申請書を発行してくれるコピーコーナーの列だ。

そうやな、概ね100人くらいが並んでいたが、
やはり毎日大量の処理をしているだけあって
たった2人の職員での応対でも、
意外にスムーズに列は進んだ。

さぞや立派なシステムを使用しているんだろうて。

その申請書を持って次に並ぶのが、

証紙売り場。

こちらは3列で並ぶ。
そうそう、ここにいた案内のおっさんの、
口のきき方がなっていなかった。

警察上がりかなんかしらないが
高飛車で、機嫌の悪い人なら
腹が立つだろうというもの言いだったのには、
もと公務員としてはがっかりだ。

証紙を購入したらいよいよ視力検査だ。

いよいよ、というのも
ここんとこパソコンに向かうことが多く、
目に疲れを感じていたので、
ひょっとしたら「眼鏡等」の条件が付くかも
と心配していたからだ。
一応昔に作った眼鏡をカバンに忍ばせておいた。

順番が来て大きな機械の前に座りさあ検査開始だ。

検査は、円のうち一部が開いているその方向を言う
ランドルト環形式で、
片眼でそれぞれ2回、両目で2回行われる。

臨む前からどういう目にしたら
一番よく見えるか試してあった。

眉間にしわを寄せ、目力を集中させる顔ね。

左目が不安であったが
何とかクリアした時はうれしかったね。

土日に目を休ませた甲斐があった。

そして手続きの最後は写真撮影だ。

5年に一度の撮影だから、
髪の毛を逆立ててみるとか
面白い写真にしたいなあと
ミセスに言ったら、

「ヅラつけていったらええねん」

といわれた。(持ってないけど)

でもね、この写真撮影時にヅラをつけてたら
「取ってください」て言われるんだろうか。
それに条件に「ヅラ等」とか書かれるんだろうか
と妄想を膨らませてしまったわい。
ヒゲもどこまで許されるんでしょうかね。

今回はとりあえず、普通の顔で、
目だけをギョロッと見開いてやろう
と頑張ってみたんだけど、出来上がりは・・・

変わりませんでした。グスン

その後、少し前に違反をしているので
一般講習を一時間受けて、
ようやく免許を受け取った。

前の免許と変わっているのが、
ICチップになっていることと、
裏面に臓器提供の意思確認欄ができていることだった。

心臓以外なら今のところ
doironの臓器は提供してあげてもいい
と思っている。

かくして、無事免許更新を滞りなく終え、
駐車場もアドバイス通りの500円を支払って
試験場を11時20分くらいに退去。

更新時講習のおかげか、
帰りはとっても安全運転の
doironなのであった。


高野を目指して 堺中心部後編

2014年03月17日 21時37分46秒 | ウォーキング

開口神社の境内は
もっと広いと思っていたが意外に狭い。
と言っても開いた口がふさがらないほどでもない。

その中に所狭しと小社や石碑が建っている。

これは堺の名門高校「三国ヶ丘高校発祥地」の碑。



そしてこれが与謝野晶子が卒業したという
「泉陽高校発祥地」の碑。



堺市の幼稚園教育発祥の碑もある。



じゃ、小中学校はどうなってるんやと
まあ、別にひがむほどの事ではない。

神仏に関しての石としては
これが「影向(ようごう)石」。



「影向」とは神または仏が姿を見せずに現れること。
どういう状態かよくわからないが
開口大神が影向して座ったといわれる石だそうだ。

こういう腰かけ石も
紀州街道の船待神社や


菅公腰掛石

熊野街道の伯太など


照手姫腰掛石

各地にあったことを思い出す。

正面の鳥居の方に回ると、
おおっとここの狛犬は面白い。



阿の狛犬の足には子どもの
狛犬がしがみついている。

そうそう今は大相撲も大阪場所。
この近くに部屋を構えている関取の姿もあった。



最後に本殿にお参りをし、





この神社をあとにした。

再び大小路からの街道に戻り、
東に行くと高速道路の手前で
土居川公園に出た。



環濠を埋めて作られた公園で、
細長いけど約4ヘクタールもあるとのこと。
名前もどことなく親近感の湧く名前だ。



その公園内を北に歩き、
大小路橋の交差点に出ると、
そこはこんなお店もあるところで、



立派な歩道橋もある。
エレベータも設置されていて
その出入り口の上には
防犯カメラが首を振りながら
撮影をしていた。

カメラを持ってウロウロしている姿が
不審人物と見間違えられないかなあ、
と心配しつつキョロキョロしていたdoironである。

その歩道橋に下に残されている、
昔の大小路橋の橋柱がこれ。



植込みの中に隠れるように置かれてあった。
「おほせうじばし」の標記がそれっぽい。
案内板など何もない中で
よくぞ見つけたものです。

そこから官庁街を抜けて



堺東の駅前の交差点に出ると、
歩道橋の下に立派な石碑を見つけた。



これは天皇御陵を案内する石碑で、
昨年歩いた「古墳に興奮」シリーズと記憶がつながって面白い。
こうしてブログを続けていると
いろんなところで過去がつながっていくなあと
今回は様々なシーンで実感した。

堺東の駅は賑やかなところである。



そこを過ぎて30号線を少し歩くと
街道は斜めにつながっていき、
街道らしい道となっていく。



これはそんな街道の入り口近くにある地蔵堂。



クネクネと住宅街を歩いていると、
左に立派な「榎宝篋印塔」がそびえていた。



フェンスの入り口が開いていたので、
中に入って写真をパチリ。



本来の宝篋印塔の趣旨を超えて、
街道をゆく旅人たちの
安全を願う信仰を集めたと由緒書に書いてあった。

その先にあったのが「永徳地蔵」。



七体の地蔵が安置されたお堂の横に、
今回ぜひとも見たかった
高野山女人堂までの距離を表す里程石が建っていた。



これは十三里石。

側面には黒い塗料で汚れているが
「南無大師遍照金剛」と刻まれている。



大師も遍照金剛もここでは
弘法大師すなわち空海のことを表し、
高野まで続く13本のこの里程石に出会うたびに、
遠路はるばる高野に向かう人々の信仰心を
一層駆り立てたことだろう。

安政4年(1857年)の建立だそうだ。



西高野街道をゆくということは、
この里程石を辿る旅でもあるわけです。

その先で街道は見事に左右に分かれていく。

その分岐点がこれ。



左は大和の国と難波(なにわ)を
東西につなぐ最古の官道 竹内街道。



いわゆる本来の国道1号だ。
この竹内街道は太子信仰の道であり、
伊勢参り、西国巡礼の道として
重要な街道とされてきた。

西高野街道はその分岐を右に進む。



中央環状線を榎歩道橋で渡ると





仁徳天皇陵にでる。



すでに古墳シリーズで歩いた道だ。
310号線の道しるべを見ながら



その頃から再び振り出したみぞれの中を
足早に三国ヶ丘の駅に向かったのでありました。



距離は5.5km、所要時間1時間30分の



あっという間の割に
中身の濃かった
「高野を目指して 堺中心部編」終わり~。


高野を目指して 堺中心部前編

2014年03月16日 22時17分57秒 | ウォーキング

その昔、環濠の中の街は常に平和で、
諸人は互いに仲睦まじく暮らし、
他人に害を加えるという者はない
といわれた堺の街。

環濠には橋が架かり門があって、
中と外を厳格に区別していたそうだ。

思えばこの栄橋も



名前からして多くの往来があった場所なんだろう。

さあ、ここから高野に向かうぞと、
踏み出した一歩には、
様々な思いと覚悟と勇気が込められていたんやろね。

doironも思いをこめて一歩を踏み出した。

碁盤の目になっている街の中を
堺らしい刃物屋さんなどを眺めながら



てくてく歩いていくと大道筋に出る。



チンチン電車の走る堺の南北の主要道路やね。

ここでいきなり街道をそれて
少し南に行くと、
最近は交通標語にも使われている

「君死にたまふことなかれ」

と題した反戦歌を作った
与謝野晶子の生家の跡がある。





堺市内にはこの晶子ゆかりの地がたくさんあり、
歌碑も市内に20か所以上あるとか。

これは大道筋にある彼女のうまれた街
「甲斐町」の石碑。



そこからさらに南下すると、
このブログでもたびたび登場する
「御旅所」を意味する「宿院」という場所に出る。



この交差点を少し西に行った
ビルとビルの間にひっそりとあったのが

「千利休屋敷跡」





建物は全くないが、
隅っこに井戸が残っており
「椿の井」といわれている。

利休が産湯に使った井戸だそうである。

doironが行った時も何人かが訪れていた。
時の権力と絡み合い
我が道を行った利休には
今もファンが多いという。

写真を撮って宿院の交差点に戻ると、
フェニックス通りとの角の植え込み部分に
大きな燈籠が2基置かれているのが見えた。



ま、今で言う広告看板やね。

それを眺めながら元来た道を戻っていった。

堺のこの中心部には、
2本の西高野街道がある。

ひとつはこの日歩き始めた栄橋から続く道と、
それともうひとつは一本北側にあって
大小路交差点を起点とするルートだ。



赤丸が大小路交差点で
青丸が栄橋

で、ここがその大小路交差点。



南東の角には紀州街道の石標が建てられている。
これ。



そして北東の角には、こんな石碑も。



その昔安倍晴明がこの辻で占いをし、
たいそう当たると評判だったらしい。
そんな占いを埋めたのが
このあたりということで
「晴明辻(せいめいつじ)」とも
「占辻(うらのつじ)」とも呼ばれている。

当時、占いというのは宗教的な色合いが濃く、
人智を超えた占いをしたためた占書を埋めるという行為は、
経典を埋葬する経塚とよく似た意味合いがあったのだろう。

そういえば阿倍野にある晴明神社の近くには
経塚がいくつかあったということが思い出される。

その辻から西高野街道を東に少し行くと、
山之口商店街の入り口近くに



道標が建っている。



刻まれているのは「右 大鳥 父鬼 伯太 牛瀧」。

今の鳳大社を経て、
堺市鳳南から始まる昔鬼が住んでいたという
父鬼へ向かう父鬼街道と
熊野街道から和泉市の信太の森近くの伯太を経て
岸和田市小松里から
牛瀧へ向かう牛滝街道へと
続く道であることを示している。

また正面といわれる側には



「左 福田 長野 富田林 高野」と刻まれ、
高野へ向かう道であることを示している道標だ。

「福田」の地名は和泉にもあるが
ジダンのガラケー検索によると
堺市中区にも福田の地名のあることが判明。
多分そちらでしょう。

そしてこの石碑が
明治35年に建てられていることが
他の面からわかる。



明治35年。その頃はすでに南海高野線が
大小路から狭山まで開通していた(4年前)が、
依然として街道を歩いて
高野を目指す人の多かったことが伺える。

その道標を右折して、
山之口商店街に入っていき、





もう一本の西高野街道に出たところにあるのが

「開口(あぐち)神社」



地域の氏子の人達からは
「大寺さん」といわれて
親しまれているそうだ。

西高野街道に面した明神鳥居から
境内に入っていくと、
ここに合祀されている多くの小社が目についた。

境内には22もの神社が合祀されている。



熊野街道を歩いている時に数多く見てきた
熊野神社が合祀されているのは
下の写真の向って右側の社。



この神社の境内には他にも多くの石碑も
立てられているとのことなので、
境内をうろうろと15分ほど探索をした。
後編に続く


高野を目指して 出発編

2014年03月15日 21時34分19秒 | ウォーキング

初めてサロマ湖100kmマラソンを完走したのは
もう今から20年以上前。

その時に一緒に行った職場の大先輩、
マラソンの大先輩であり
人生の大先輩でもある“のんさん”は、
もうとっくに定年退職をされ、
今は孫守りに忙しい日々を送られている。

そののんさんと先日メールのやり取りをし、
高野街道を歩きませんかとお誘いしたら、

「積もる話もあるし是非」

と返事をいただいたので、
近々まずは作戦会議をする予定でいる。

で、その作戦会議に先立ち
doironなりに事前にいろいろと検討をしてみた。

「高野街道」はご存じのように、
真言宗の聖地・高野山への参詣のために、
人々が歩いた道のことをいう。

ひとくちに高野街道といっても、
実は東高野街道、西高野街道、
中高野街道、下高野街道の4本がある。

中でも東高野街道は最も長く
京の都から洞ヶ峠を越え
河内長野にいたる街道で
最も古くから開けた街道である。

次いで西高野街道は
京都から船で下ってきて、
堺の港から高野にいたる街道で、
河内長野までにすべての高野街道は
この西高野街道に合流し、
高野山にいたっている。

中高野街道は大阪市内の杭全神社から
大和川を高野大橋で越えて
大阪狭山にいたる街道で、

下高野街道は四天王寺から
同じく大和川の下高野橋を越えて
大阪狭山で西高野街道に合流する街道だ。

その四本についていろいろと検討してみた結果、
今回はもっとも西を通るルートの
西高野街道を歩くことにした。

西高野街道には里石も整備されているし、
高野にいたる一本道であることに
激しくそそられたからだ。

そもそもこの高野街道は「参詣道」なのだ。

熊野街道のように
複数の聖地を巡りながら
最終的に目的の聖地を目指す
「巡礼道」とは少々趣が異なる。

そのため熊野街道はクネクネと聖地を巡っているのに対し、
高野街道は高野山にお参りするために
ひたすら高野を目指す
直線的な街道として残っている。

そんな高野街道をのんさんと歩くためには
のんさんが生息している藤井寺を
基本に考えることになるので、
まず歩きはじめの駅として、
藤井寺からできるだけ来ていただきやすい所を
スタート地点に選ぶことにした。

終点からは歩行後に一杯やれる藤井寺に近い方が
いいだろうということで、
三国ヶ丘から歩き
近鉄南大阪線の駅を目指せる
西高野街道を選ぶことにした。

その西高野街道は南海堺駅前が起点なので、
まずあらかじめ堺から三国ヶ丘まで歩いておくことにした。

歩いたのは、少し前からかかっていた
企画提案原稿が、思いのほか順調に校了した
先週金曜日の午後だった。

熊野街道もこれからますます佳境に入ってくるが、
これからはこちらも並行して歩くことになるだろう。

ポカポカ陽気の中、
泉O津を電車で出発。

ところが堺駅に降り立つと、



な、な、なんと外はあられ交じりの雨。

傘も持っていなかったので
一瞬躊躇したが、すぐにやんできたので、
携帯のナビをセットし、歩き始めることにした。

時刻は12時37分。

堅川にかかる勇橋を渡って、



環濠都市堺の名残、土居川の



栄橋の西詰に立つと



そこが新たな参詣の始まりの地点
西高野街道の起点であった。

では高野に向けていざ出発。


還暦まであと2年

2014年03月14日 22時10分53秒 | 生活

パソコンに向かって原稿を打っていると、
ついつい夢中になってしまい、
気がついたら目がヘロヘロに
なっていることがよくあります。

仕事中はメガネをかけているんですが、
やはりパソコン仕様のレンズにしないと
いけないんでしょうかね。

来週に免許証の更新に行くのですが、
このままだと人生初の
「眼鏡等」の条件が付いてしまいそうです。

なのでこの土日は
パソコンはブログだけにして、
しっかり目を休めようと思っています。

でも本当にこのままだと悪くなる一方で、
しゃれにならんなと、友達に相談したら、
パソコンに向かうときは、
机の上にタイマーアラームを
置いておくといいよと教えてくれたので、
さっそく実践することにしました。

一時間ごとにお目々クルクル体操と
キョロキョロ運動
それと窓から外を見る遠望ストレッチを
やっています。
そして三回に一回は軽いお散歩です。

そんな一時間を教えてくれるようにと
置いたのはこれ。



IKEYAで買ってきたもので、
実に優れものなんです。
ただ横に90度ずつ倒すだけで、

時刻



タイマー



アラーム



温度計



に早変わり。

値段も500円でおつりがくるというお手軽さ。

少し前から台所で時計代わりにしか使っていなかったのを
仕事場に持ってきました。

さっそくお目め疲れ防止タイマーのほか、
昼寝タイマー、
暖房管理温度計等々
仕事にも結構活用しています。

原稿締切タイマーなんかはいらないけどね

しかし、まあなんですな。
目も疲れやすくなって当然だよね~。

doironは、本日58歳の誕生日を迎えました。

目や腰などいろんなところにガタがきていますが、
なんとか概ね元気に楽しくおっさんしています。

さてさてこの58という歳は
どんな歳になるのでしょうかね。

暦が一回りする
還暦まであと2年。

とにかく拾った命を有効に消費したいと
しみじみ思った
doironなのでした。


名古屋ウィメンズ 街角編 

2014年03月13日 21時09分42秒 | 最近の出来事

熱田神宮は三種の神器のひとつ
「草薙剱」を御神体とする式内社。

鳥居は一番上の「鳥木」と
その下の「貫」が角型で
「貫」は柱を貫通せずくさびがはいった、
典型的な「伊勢鳥居」です。



カニカニツアーのおかげで
鳥居は少し勉強しましたから
こうして見るときちんと古式に則っているのがよくわかります。

ちなみにdoironの横に
写っているのは知らない人です。

境内の由緒書によりますと。
この神社は中国で古くから不老不死の仙薬がある
「蓬莱」と呼ばれるところであると伝えられているそうです。

ひつまぶしをいただいたお店の名前も
きっとそこからきているのに違いありません。



境内には巨大な石燈籠がありました。



写真では伝わりにくいのですが、
見上げるほど巨大で、
日本三大燈籠のひとつ
「佐久間燈籠」といわれているそうです。

「三大」といわれる割には、
大阪の住吉さん、
南禅寺の石灯籠、
春日大社、日光東照宮など
何か所かで「三大燈籠」が鎮座しているそうです。

熱田神宮の中には案内ボランティアもおられるようなので、
聞けば答えてくれそうですが、
そんな時間はありませんでした。

境内が広いだけに見所はいっぱいありそうです。

熱田神宮はこれくらいにして、
応援や移動の途中で
道しるべもいくつか見つけました。

これは、doironが歩いている街道の親玉、
元祖街道ともいうべき

「東海道」

の道しるべ。



ひつまぶしの時間待ちの時に、
店の前に近くに立っているのを見つけました。
江戸まで続く街道のなんですねえ。

そしてこれが、
これまで見てきた大阪市、岸和田市、
奈良市などにもあったのと同じ、
名古屋市の「道路元標」。



旧道路法では道路元標の設置が
各市町村に義務付けられており、
その旧道路法にのっとって
大正9年に名古屋市が設置したのがこの元標だそうです。
その後新道路法では
単なる道路の附属物という位置づけになり、
多くが取り壊されています。

たまたまレース会場に向かうため
歩道を歩いている時に発見したものです。

路上にあったのがこのマンホールの蓋。



何やら虫の絵が描かれてあるような
あ、どうやらミズスマシのようです。
「水澄まし」ということで
下水のマンホール蓋なんでしょう。

次に、これ。



選手が走っている向こうに
なにやらでっかい球体が見えます。

調べてみたら名古屋市科学館でした。
市内にポスターが貼られていましたが、
色々と楽しそうな感じでした。

これは理論物理学者であり
ノーベル賞受賞者でもある
益川敏英博士の手形レリーフ。



今日の産経新聞にこの博士のことが
書かれてあったので驚いています。

名古屋大学の出身だったんですねえ。
クオークの研究をされていたそうです。
なぜ手形なのかよくわかりません。

にしても、手の小さいdoironと
あまり変わらない大きさの手。
意外に手の小さい人だったんですね~。

この栄の通りには、
芸術作品や歴史関係の案内板が
結構配置されていました。
ゆっくりと見れなかったのが少し残念です。

これは、最近はやりの
歩道橋のネーミングライツ。



マラソン中継の録画を見ていたら
コース上にいくつかこんな歩道橋が映ってました。

あれ?「ごまたまご」って
東京土産じゃなかったっけ?

これはコースの2キロ地点近くにある
名古屋のルネサンスの応援ブース。
ユルキャラが3体出ていました。



大阪のルネRCなら
間違いなく1体は私が被ることになるでしょうな。

そうそうユルキャラで思い出しましたが、
今年のランナーの紛争で圧倒的に多かったキャラクターは
何だったと思います?
それは・・・

やっぱり


フナッシーだったなっし~。



おっと、電話ボックスの上にはコアラも・・・



東山動物園バージョンでしょうか。

そして最後にこれが、
今回のゴール地点となったナゴヤドームの内部。



「あれっ?意外に小さいなあ」という印象でした。
「これならdoironでもホームランが打てそうや」って
そればっかり言ってひんしゅくをかいました。

野球の時には観客席の一部がなくなるんでしょうか。
プロ野球がシーズンインになったら
テレビで確認してみましょう。

とまあそんな具合に、
前後左右斜め上下と
どえりゃあキョロキョロしていた
doironの名古屋旅行でした。


名古屋ウィメンズ ご馳走編 

2014年03月12日 20時35分39秒 | 最近の出来事

ウイメンズの「ウイ」はういろうの「ウイ」、
ウイメンズの「メン」はきしめんの「メン」。

などというベタなギャグを飛ばすのは、
名古屋名物といえば「ういろう」と「きしめん」しか知らなかった
doiron世代の親父族です。

最近では、様々な名古屋名物が増えています。
順を追って説明しましょう。

*ただいまダイエット中の方は
刺激的な映像が入ってますのでご注意ください。

まず最初は「ひつまぶし」。

そりゃあ、たしかに名古屋くんだりまで
応援で出かけるのだから、
退職世代にとっては「ひまつぶし」でしょうよ。

などとまたまた親父ギャグも飛び交わしながら、
車でちょうど3時間かけて名古屋入り後、
即、その店に向かいました。



今回参加のうち二人が
名古屋そのものが未踏の地だったらしく、
「初めて名古屋に着いたときはどこに行った?お城?」
とか聞かれたら、
「一直線にひつまぶし」と
答えなくてはならない状況を作ってしまいました。

前回連れて行ってもらった時に
あらかじめの予約はできないことを学習していたので、
まずはお店に行って順番をとらなくてはなりません。



結局待ち時間1時間で、
正午に順番が取れましたので
その間に熱田神宮に完走祈願に行くことができました。

そして戻ってみると、
時間待ちボードは2時間になっておりました。



ラッキーでした。

そして参拝後店の前にきて
少し待ってるうちに正午になり、
いよいよひつまぶしとご対面です。

昔からウナギ苦手のdoironにとっては、
生涯で3度目の鰻となります。
これ。



おひつからお茶碗に移し、
一杯目はそのままで、2杯目は薬味を入れ、
最後にだしをかけて
場所が熱田神宮のそばだけに
三種の神器ならぬ
三種類の味を楽しむのだそうです。

普段ウナギはほとんど食べませんが、
ここのは香ばしく、
とくに薬味のワサビがおいしかったです。

量的にも十分あって、
全員大満足の昼食となりました。

そのあと、ドームで翌日のレースの受付を済ませて、
少し観光して名古屋一の繁華街である
栄(さかえ)のビジネスホテルにチェックイン。

次に向かったのが、手羽先でおなじみのお店でした。



とりあえずdoironの音頭で
翌日の完走を祈念して、乾杯。

三種類の手羽先をいただきました。

これが標準品。



そして手前がトウガラシ仕様の赤手羽先、
奥がソース仕様の黒手羽先です。



ビールの進むこと、進むこと。

翌日にレースを控えているため、
飲まなかった選手がかわいそうでしたわい。

早々に切り上げて、
選手以外は一室に集まって
プチ二次会をし、夜は更けていったのでありました。

翌日は手分けしてドームに向かう組と
栄応援組に分かれ、
栄応援組は、小倉トーストモーニングに向かいました。



残念ながらdoironはドーム組だったので、
やむなくここはスルーしましたが、
テイクアウトしてくれた小倉トーストと
エビフリャーの入ったエビカツサンドを
レース後にいただきました。





応援時、途中で全員合流したときに、
ここで予定していた昼食の味噌煮込みうどんは
残念ながら時間の都合でいただくことができませんでした。


店の前だけ通りました。

これは食べ物に関して今回の唯一の誤算でした。

レースが終わり選手も合流し、
スーパー銭湯でさっぱりした後に、
味噌カツに向かいました。



車で前を通りかかると、
まだ夕方5時ころだというのに、
店の前にはすでに行列ができていました。

列に並ぶ一人を信号待ちの間に
すばやく店の前で降ろして、
車は駐車場へ。

店に行くと長蛇の列の先頭で待ってくれていました。

ナイス判断です。
30分ほど待って、席につくことができました。

昼飯を抜いている人もいたので、
テーブルの上は味噌カツや



焼き豚でみるみるいっぱいになりました。



完走した選手もここでは心置きなく
ビールが飲めて、嬉しそうでした。

一方、残念ながら運転のあるdoironはノンアルコールでした。

とまあ、ともかく応援、
ごちそう両面で名古屋を堪能した一行は
無事帰阪の途についたわけですが、
実はその合間にもdoironは様々なシーンをチェックしています。

なにせ、介護をすべてミセスに任せての
遊び三昧ですから、
人の三倍は活動して元を取らねばなりません。

その辺の残りを次に書きます。