ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野街道 和歌山に参上 1

2014年03月04日 21時25分23秒 | ウォーキング

昨夜から今日にかけてこってりと休みましたので、
少しの発熱くらいで風邪は何とか軽く済んだようです。
やれやれ

ということで病気も癒えたので
さっそく先日歩いてきた、
熊野街道の新シリーズを書きはじめることにしましょう。

前回、とうとう踏破シリーズで
大阪府内を全て歩いたことを書きましたが、
それは府内の全ての王子を訪ねたという意味でした。
ところが街道そのものはほんのわずか未踏の部分が残っていました。

今回はそのわずかな残り部分を歩くとともに、
いよいよ和歌山県に突入してまいります。

熊野街道 和歌山に参上シリーズ始まり始まりです。



時折寒~い日はあるものの、
花粉も飛び始め
どことなく春めいた季節になってきました。

街道歩きのシーズン突入です。

家の状況を眺めながら、
お出かけが可能と思われる日に
お弁当を持って出かけました。

JRに揺られて、今回のスタート地点である
「山中渓」の駅に着いたのは午前10時過ぎ。



このあたりは、深い川と険しい山に挟まれた地域になっています。
それだけに和泉と紀州を行き来する要衝となっていました。

熊野詣が盛んな頃は「熊野街道」として、
そして参勤交代が盛んな頃は「紀州街道」として
大勢の人々の旅の要所でもありました。

またそれより以前も「南海道」と呼ばれ
人々の往来が絶えない場所でもあったそうです。

山越えの急峻な道の前に、
あるいは逆コースであれば
急峻な山を越えて一息つくところとして
旅人にはありがたい所だったのでしょう。

街道を進んでいく前に、
駅から府道64号線を逆行して少し戻り、
あとひと月で満開になるであろう
桜並木をてくてく歩き、



線路の下に造られた、これは水路用に
掘られたトンネルでしょう。



そんなものを眺めながら
山中宿跡地の地域を整備した
街道の入り口に出ました。

ここには本陣があったことから、整備され
「れきしのみち 紀州街道」という石碑が建てられてありました。



実はこの道は昨秋ラン仲間たちと
走って通ったことはあったのですが、
その時ももう一度今度はじっくりと歩いてみよう
と思っていたのです。

そこを入ってすぐにこんな諸国霊場巡礼碑
と刻まれた石が建っていました。



これはどういうものなのか、謎です。

各地を巡って建てられているような石ですが、
ここまでの街道では初めて見る石です。

国の補助を受けて整備された石畳の道を



キョロキョロしながら歩いていきます。

おや?これは立派なお屋敷
と思い近づくと、立札がありました。



庄屋屋敷だそうです。

築250年というから驚き。
昔の立派な家は、
太くていい材木を使って建てられているからこそですね。

さぞかし地震にも強いんでしょう。
台風など数々の災害を乗り越えて
健在なんですからね。

その近くにはステンドグラスを用いた
いにしえと現代と東洋と西洋が混在した
アーティスティックな家がありました。



山中渓の駅でトイレを借りた時に、
トイレの窓にもステンドグラスがはまっていて、
そこに書かれていた寄贈者の名前が、
この家と同じ姓でした。

ちょっと調べたら、この家の人は
ここでギャラリーやコンサートを定期的に行っているそうです。
街の芸術家なんでしょうねえ。

そして、その家の屋根を見上げると・・・
おお~ここにもいらっしゃったのが

「鍾馗さん」



街道沿いで何体も見かけたお姿ですねえ。

軒下にはこんなネズミ取りもありました。



う~ん、昭和の時代を感じるねえ。
そんな景色を眺めながら少し歩くと
その先には山中神社への道案内がありました。



名前からしてこの地の氏神さんなんでしょう。
いってみますと、
立派な石の明神鳥居と
少し小高いところに小さな祠が
二つあるだけの神社でした。



そのうちひとつは、「馬目王子社」。



これが以前に見た府道沿いの
小さな馬目王子跡の正体だったわけですね。

そういえば、たしかこの馬目王子は
「足神さん」といわれていましたね。

早速今日の歩行の安全を祈願しておきました。

この山中宿周辺のお話は、もう少し続きます。