ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

七坂、こんな坂 序

2014年03月25日 21時45分01秒 | ウォーキング

大阪市内を南北に走る「上町台地」。
大阪市の大半ははるか昔、
今の大阪湾よりずっと奥深くまで海が入り組んだ
河内湾という海の底にありました。

上町台地はその海に突き出た
半島だったといわれています。

それが寒冷化などで海が退行し、
陸地となって今の大阪になっていったそうです。

なので、上町台地の西側は、
最後まで海に覆われていたため
湿地や荒地が多く残っていました。

先日上町台地を歩きに行こうと、
鉄道の路線図を見ている時に
ふと気がついたのですが、
その地形の名残が
JR環状線の西半分の駅名と
東半分の駅名によく現れています。

例えば、天王寺から外回りで梅田に向かうと、
途中の駅名が「芦原橋」、「弁天町」など
水を感じさせる名前になっています。
調べたら「西九条」も
荒れ地の九条島が治水工事で分断されて
その西側部分ということでつけられた名前であるし、
「福島」も元は淀川の土砂が堆積してできた
島だったことに由来しているそうです。

ちなみに大阪ミナミの玄関口
「難波」も水に関する名前ですね。

一方、天王寺から内回りで梅田に向かうと、
上町台地の東側には「桃谷」、「森ノ宮」、「桜ノ宮」
など緑を感じさせる名前が見られます。

そのあたりを南北に貫く道路も
「谷町筋」といった名前になっています。
これらはとりもなおさず
上町台地の西と東で地勢が大きく異なっていると
言うことに気がつきました。

その中心に南北に横たわる上町台地上には、
非常に多くの寺社仏閣が集まっています。

一説によると、その密度は日本一だろうということです。

上町台地には
大阪城の南西の警護の役割を持たせた
とか言われていますが、
低地に住む庶民も東にそびえる台地の上を
日々信仰心と憧れを持って見上げていたことでしょう。

で、台地があるということは、
坂道もあります。

数々のお寺や神社を縫うようにつけられた坂の中で、
特に風情のある坂には名前が付けられ、
最近は「天王寺七坂巡り」と称して、
散歩マニアには絶好のコースとなっています。

以前、熊野街道歩きで四天王寺を通過するときに
「口縄坂」に立ち寄ったことがあります。
あの「夫婦善哉」で有名な織田作の
小説にも出てくる坂です。

その熊野街道も
天満から南下してきて
榎大明神のところでカクンと東に折れ曲がって
上町台地の上を通っているのは、
荒れ地を避けたコース設定だったんだろう
と書いたことありました。

先日生國魂神社に行ったときにも、
真言坂、源聖寺坂に立ち寄りましたが、
まだ歩いていない坂を歩いてみようと
先日出かけていきました。

歩きに行くときにはまず地図をコピーし、
そこにコースを書き込みます。
そしてそのコース上の見所を順番に
一覧表にしておき、
ひとつずつつぶしていくという歩き方をしています。

そういう予習は街道歩きの時には
大変役に立ちますし、
山歩きの時もビュースポットを見逃さないためにも有効なんです。

すると、あらかじめの学習通りに、
電柱の陰に道標がポツンと立っていたり、
地蔵の顔がうわさ通りだったりして、
歩きが一層楽しくなるし、
そういう目で見ていると
思わぬ発見があったりもするのなんです。

今回使用した地図は、
てんのうじ観光ボランティアガイド協議会が作った
スタンプラリーの地図を元に資料を作成しました。





あとはネットに出ている情報を
それに盛り込んでいきます。

七坂を歩いたのは、しらけた大阪市長選の投票日。
花粉が飛び交い、
インフルエンザ菌がはびこる中を、
マスクをして歩いてみました。
しかしなんですね、マスクをして歩くと
息でマスクが膨らんだり萎んだりと面白いもんですね。

今回の見どころも
なんだ坂こんな坂と上ったり下ったりした七坂をはじめ
他にもいろいろあります。
大阪市内で唯一の自然の滝、
タイガースファンが詣でる神社、
大阪にもあった清水の舞台、
優れた軍師であったばっかりに、
自らの策で終焉を迎えた真田幸村の話等々。

それらを盛り込んだ「七坂、こんな坂」シリーズ、
明日から始まり始まりです。