おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

vs 横浜F・マリノス〔J.League Division1 2ndステージ第11節

2015年09月19日 | FC TOKYO
9月19日『横浜F・マリノスvsFC東京〔J.League Division1 2ndステージ第11節〕』
シルバーウィーク初日の日産スタジアムは、開けて悔しき玉手箱。


  “言葉なき歌”        中原中也

  あれはとおいい処にあるのだけれど
  おれは此処で待っていなくてはならない
  此処は空気もかすかで蒼く 葱の根のように仄かに淡い

  決して急いではならない  
  此処で十分待っていなければならない
  処女の眼のように遥を見遣ってはならない 
  たしかに此処で待っていればよい

  それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
  号笛の音のように太くて繊弱だったけれどもその方へ駆け出してはならない
  たしかに此処で待っていなければならない

  そうすればそのうち喘ぎも平静に復し たしかにあすこまでゆけるに違いない
  しかしあれは煙突の煙のように とおくとおく いつまでも茜の空にたなびいていた










前田遼一 祝!J1リーグ戦通算350試合出場!(自らのゴールで飾れれば・・・)






次節も頼むぜよ




千慮の一失 

















vs ヴィッセル神戸〔J.League Division1 2ndステージ第10節

2015年09月12日 | FC TOKYO
9月12日『FC東京vsヴィッセル神戸〔J.League Division1 2ndステージ第10節〕』
W杯代表組の森重、丸山、バーンズが戻り、GKには来日初先発のブラダ・アブラモフがスタメン入りとなったFC東京。対するは、渡邉千真を擁し、ここのところ攻撃陣が絶好調のヴィッセル神戸。ゲームは、青赤に染まった前田遼一のハットトリック、守っては完封の「3≠O」の久しぶりの快勝。ナビスコ杯敗退のあとだけに、スカっとしたゲームに気分は上々、ホームでのFC東京J1通算200勝!サメ[ター冥利に尽きます。
ただ、この日は、もろ手をあげて喜ぶことに若干の違和感を感じての観戦でした。実は、9月10日から11日にかけて、勤務先の管轄エリア、茨城県常総市において、鬼怒川堤防決壊し未曽有の災害が発生。昨日、常総市のご懇意賜るお取引先にお見舞いに伺いましたが、まだ、水が引かず被災地には入れませんでした。着の身着のままの避難。途方に暮れる被災地の皆さんにお会いし、かける言葉もありません。マスコミの報道以上に被災地の状況は深刻。日ごろから大変お世話になっている多くの皆さんが、いまだ悲しみと苦しみの中にいる中で、サッカー観戦などしていてよいのかと罪悪感を感じての味スタだったのです。そんな中にあってFC東京「台風18号災害義援金募金」が実施されましたが、味スタ来場のファンサメ[ターの善意が少しなりとも役に立つことを祈るばかりです。 がんばっぺ常総! バモストーキョー!









前半38分 秀人のパスに、前田の狙いすました先制ゴール!








後半24分 東のパスに、前田が飛び込んで2ゴール目!





後半33分 東のパスに、前田、移籍後、初もハットトリック!

















JAPAN DEBUT! GK No.46 VLADA AVRAMOV(ブラダ アブラモフ)







台風18号災害義援金募金





vs 鹿島アントラーズ〔J.League YAMAZKINABISCO CUP準々決勝〕 

2015年09月07日 | FC TOKYO
9月6日『鹿島アントラーズvsFC東京〔J.League YAMAZAKINABISCO CUP 準々決勝〕』
今年3度目のカシマサッカースタジアムは、ヤマザキナビスコカップ準々決勝。2月14日バレンタインデーの“いばらきサッカーフェスティバル”では水戸ホーリーホックを応援するも敗戦。7月25日J1リーグ2ndステージ第4節も敗戦。応援チーム2連敗を受けて、3度目の正直を信じての鹿島遠征でしたが、2度あることは3度ありました。う~ん残念。結果は「3≠O」の惨敗に涙雨。前半早々先制点を許し、やりたいサッカーがままならぬ感じ。鹿島アントラーズはアウェイゴールの優位性から堅守のスタートかと思いきや、アグレッシブな攻撃が功を奏しました。スリッキーなピッチに塩{はミドルシュートに足が止まったでしょうか。FC東京は、中盤でボールが落ち着かず、前に運べず、ロングパスは納められずのジレンマ。前鰍ゥりになる分、攻められるとセーフティなクリアはマイボールにできず、残り時間との戦いになりました。今日はまさしく完敗、お手上げでした。2015シーズン、栄冠のチャンスをひとつ失いましたが、この悔しさをバネにしてほしいもの。J1リーグはここからが勝負。気持ちを切り替えてまいりましょう。











ようこそ No.46 ブラダ アブラモフ









今期初ゴールはおあずけに




大健闘も敗戦(3失点)は残念




2015 ヤマザキナビスコカップ 準々決勝 敗退








多摩動物公園

2015年09月06日 | NON
9月5日『TOKYOウォーク2015』第3回大会 日野・八王子エリアに参加。
ウォーキングの寄り道で『多摩動物公園』を訪れました。多摩動物公園は、豊かな自然が残る広い園内で、動物の自由な姿を見せるため、できるだけ柵を使わない展示をしているとのこと。アフリカ園、オーストラリア園、アジア園、昆虫園で構成されています。上野動物園がパンダなら、多摩動物公園はコアラというのが、我々子供の頃の定番でした。実は、多摩動物公園駅を大学時代4年間利用していたにもかかわらず、多摩動物公園には縁がなく、たぶん幼少期には訪れたはずですが、記憶の中ではもしかすると初めての訪問となりました。残念ながら、日本のサファリパークの走りである名物ライオンバスは時間の関係でパスしたものの、アフリカ園、オーストラリア園を中心に回りました。丘陵地の園内は起伏が多く、上野動物園の4倍の敷地で、それでなくても日野からウォーキングで来園した者にとってはさすがに足に堪えます。涼しくなったとはいえ、この日は日差しも強く、多くの動物たちが日陰でお休み中。だらしのない寝姿にお子さんたちの落胆の声が聞こえてきます。被写体としての動物たちは大好きなのですが、なかなか良い表情にめぐりあえませんでした。それでもワイワイはしゃぐ子供と一緒に、夢中にファインダーを覗き、カメラ遊びで大いに楽しめました。












































TOKYOウォーク2015〔日野・八王子エリア〕

2015年09月05日 | Walking
9月5日『TOKYOウォーク2015』第3回大会 日野・八王子エリアに参加です。
今回は、日野市市民の森スメ[ツ公園を起点に新撰組のふるさとや武蔵野の古き良き面影を巡る郊外ウォーク。自分にとっては、学生時代、多摩動物公園駅からマムシ注意の山道を中央大学まで4年間通った青春の想い出ウォーキングです。日野市市民の森スメ[ツ公園をスタートし、多摩モノレールを仰ぎ見て進むと万願寺。万願寺には晩年の祖母が入所していた老人ホームがあり懐かしく。そのまま直進し浅川を渡れば、高幡不動。高幡不動尊金剛寺は、関東三大不動のひとつに数えられる屈指の古刹で、文化財の宝庫です。お馴染みの五重塔、残念ながら仁王門は改修工事中でしたが、不動堂、大日堂など昔と変わりません。土方歳三の像は30数年前大学時代にはありませんでした。さて、そのまま多摩モノレール下を進み、多摩動物公園で寄り道です。久しぶりの動物園をしばし堪能。大学時代お世話になった京王線多摩動物公園駅も今は昔大変きれいな駅舎に変身していました。訪れてみると「京王れーるランド」なる施設が。京王線の電車車両の展示やジオラマ、遊技場や遊戯施設で、お子さんたちであふれていました。ウォーキング後半では、日野市立新撰組のふるさと歴史館で一休み。新撰組と幕末、甲州街道中日野宿をテーマとした展示施設で、ご当地出身の新撰組副長土方歳三を主役に新撰組の誕生から終焉までを、文献や絵画、映像などで紹介されていました。土方歳三は、天保6年(1835)武蔵国多摩郡石田村(東京都日野市)に生まれ。天然理心流の道場で、近藤勇や沖田総司らと共に剣術を学びます。新選組副長として京都では反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事。その後、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦います。最後は箱館五稜郭にて戦死、34歳でした。この武蔵野の地に集った近藤勇や土方歳三らの若者たちが、幕末混乱期の時代の流れの中で稀有な役回りを演じたことに、ただただ歴史のロマンを感じてしまいます。ということで無事完歩。充実のウォーキングとなりました。











高幡不動















多摩動物公園





京王れーるランド(京王線 多摩動物公園駅)














日野市立 新撰組のふるさと歴史館










日野消防署