おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

沖縄:おきなわワールド〔文化王国・玉泉洞〕

2013年07月14日 | NON
7月8日ドライブの寄り道に、テーマパーク『おきなわワールド 文化王国・玉泉洞』へ。
ここは、沖縄の歴史・文化・自然をまるごと体験できるテーマパーク。
30万年の時をかけ珊瑚礁から形成された大鍾乳洞『玉泉洞』を探検。
天然記念物に指定された美しい地底の世界は一見の価値あり。
また、国の登録有形文化財認定の琉球王国時代の町並みもアリで。
「エイサー」演舞や「ハブ」ショーもやっていましたが、おじさん的にパス。
紺碧の海、青い空の下、世界遺産や南部戦跡を巡る旅中にあっては、人工的な商業主義を感じる観光施設という感じがしてしまい、おじさんには持て余す雰囲気でした。一方で単純に花壇の花々にとまっては飛ぶ蝶たちに、そういえば昔は東京でもアゲハチョウなど蝶がいたのなあなどと、しばし見入ってしまいました。花から花へとひらひら舞う蝶たちに少年時代を思い出し、沖縄に残る自然のすばらしさを再認識したしだい。
『おきなわワールド』を訪れて良かったです。
茨城空港を昼に発ち1泊2日の沖縄、大いに楽しみ、大満足の2日間となりました。







玉泉洞











琉球王国城下町




















沖縄:ひめゆりの塔&平和祈念公園

2013年07月13日 | NON
7月8日朝から南部戦跡周辺へドライブ、『ひめゆりの塔』『平和祈念公園』を訪ねました。
前夜は、「第一牧志公設市場」では1階で買った新鮮な魚介を2階のお店で調理してもらい、オリオンビールに泡盛をひっかけて、「国際通り」ではウインドーショッピングのつもりが、シーサーを購入したりして、〆は沖縄居酒屋さんでしっぽりと酔っ払いました。夜の沖縄を満喫です。
翌朝、国道331号を走り、沖縄戦終焉の地へ。昭和20年(1945)に日米両軍による地上戦が行われ多数の人命が失われた沖縄戦。特に激戦地であった本島南部では、昭和20年4月1日から7月2日までの米軍の蒼「作戦で軍民犠牲者23万人(住民10万人余)以上ともいわれます。広島・長崎の原爆に並ぶ沖縄南部戦線の悲劇。人類の愚かさを学ぶためにも、その現場に立つことに意味があるとの思い。
まずは、映画でも有名な『ひめゆりの塔』。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で編成された“ひめゆり学徒隊”犠牲者の鎮魂のために建てられた慰霊碑です。“ひめゆり”とは2つの学校の校友会誌「乙姫」と「白百合」を合わせたものとのこと。男は黙って・・・合掌。
次に訪れたのは、沖縄戦終焉の地、摩文仁(まぶに)の丘を南に望む戦没者慰霊公園『平和祈念公園』。園内には、「沖縄平和祈念堂」、「沖縄平和祈念資料館」、国籍や軍民問わず沖縄戦没者23万人余りの名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」、平和広場の中央の「平和の火」は広島「平和の灯」長崎「誓いの火」の合火なのだそう。また、毎年6月23日の慰霊の日に“沖縄全戦没者追悼式”が開催される「平和の丘」に続く「式典広場」があります。国籍や軍民を問わない戦没者の鎮魂と恒久平和の祈りの聖地です。
戦争を知らない世代と言われ、昭和から平成へ半世紀を生きてきた者には、あらためて日本人のアイデンティティーを思慮する良い機会になりました。


【ひめゆりの塔】












【平和記念公園】


沖縄平和祈念堂


平和の鐘


式典広場


平和の丘


平和の礎


平和の火







沖縄:世界遺産散策〔中城城跡(なかぐすくじょうあと)〕

2013年07月12日 | World Heritage in Japan
7月8日世界遺産『琉球王国のグスク及び関連遺跡群』中城城跡(なかぐすくじょうあと)を散策。
さて、那覇空港午後2時50分発で帰途につかねばならない中で残された時間は少なかったのですが、世界遺産であり日本100名城のひとつでもある『中城城跡』を目指し、高速道路を利用、南風原南ICから北中城ICへ車を飛ばしました。
世界遺産『中城城跡』は、かつて貿易が行われていた屋宜(やぎ)の港から2kmほど離れた標高160mの丘陵上にありました。中城村の西北から北中城村の南側にのびていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、300余もあるとされる沖縄のグスクの中でも最も遺構がよく残っていることで知られています。国指定史跡、日本100名城の所以でしょう。
『中城城跡』は、14世紀後半頃まで先中城按司(さちなかぐすくあじ)が数世紀にわたり、西の郭、南の郭、一の郭、二の郭の主な部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味グスクから移ってきた護佐丸(ごさまる)によって、勝連城の阿麻和利による侵攻に備え、北の郭、三の郭が増築され現在見られるグスクとなりました。ちなみに、1458年護佐丸は阿麻和利の策略で王府軍に攻められ自害しています。
城壁の素晴らしさは一見の価値あり、主に琉球石灰岩の切石で積まれていて、自然の岩石と地形的条件をいかした美しい曲線で構成され、その築城技術はもはや件p的。野面積み、布積み、あいかた積みと3種類の石積みが施されるなど歴史的に高い評価を受けています。
石垣の上に立つと、西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)を望み、勝連半島、知念半島、さらには周囲の洋上の島々まで見渡せる眺望は圧巻でした。
南海の古城に息づくいにしえのロマンに、石垣をわたる風は、古琉球の世界へと誘ってくれました。

今回の沖縄では、9つある『琉球王国のヅスク及び関連遺産群』の世界遺産の内、6箇所を巡ることができました。順に、『首里城』『園比屋式御嶽石門』『玉陵』『識名園』『斎場御嶽』『中城城跡』。残念ながら北部の『勝連城跡』『座喜味城跡』『今帰仁城跡』を訪れることはできなかったのですが、気まぐれなお天気ぷらぷら旅としては充実の1泊2日。
沖縄へは再び訪れることになる予感いっぱいです。










































沖縄:世界遺産散策〔斎場御嶽(せーふぁうたき)〕

2013年07月11日 | World Heritage in Japan
7月8日世界遺産『琉球王国のグスク及び関連遺跡群』斎場御嶽(せーふぁうたき)を散策。
翌8日は沖縄南部へ。那覇から糸満を経て、南部戦跡地域では「ひめゆりの塔」「平和記念公園」を見学し、いよいよ玉城・知念の神代の物語が残るスピリチュアルゾーンへ。
神伝説の筆頭、世界遺産『斎場御嶽(せーふぁうたき)』を訪れました。『斎場御嶽(せーふぁうたき)』は、琉球王国最高の御嶽(礼拝所)として、現在も多くの信仰を集めている聖地です。御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称。『斎場御嶽(せーふぁうたき)』は、琉球創生神・アマミキヨの伝説が残り、琉球国王自らも参拝したほか、国家の最高神女である「聞得大君(きこえのおおきみ)」の即位儀式が行われるほどの霊力の高い御嶽。「聞得大君(きこえのおおきみ)」は、琉球全土の祝女(ノロ)の頂点に立つ存在であり琉球最高の御嶽を掌管し、初代(1470年)から15代(1875年)まで約400年余りにわたって琉球王府の神事を担うシャーマンです。御嶽の中には6つのイビ(神域)がありますが、中でも「大庫理(うふぐーい)」「寄満(ゆいんち)」「三庫理(さんぐーい)」は、いずれも「首里城」内の部屋と同じ名前だそうです。自然岩がつくり出す三角形のトンネルと、その奥にある「三庫理」はあまりにも有名。神秘的な空気がぴんと張り詰めた感のある聖地で心なし緊張しまてしまうほど。過去経験したパワースャbトの中でもその秘めた雰囲気は最高でしょう。南の国の神秘がそこにありました。






「大庫理(うふぐーい)」



「寄満(ゆいんち)」



「シキヨダユルとアマダユルの壷」



「三庫理(さんぐーい)」














沖縄:世界遺産散策〔識名園(しきなえん)〕

2013年07月10日 | World Heritage in Japan
7月7日世界遺産『琉球王国のグスク及び関連遺跡群』識名園(しきなえん)を散策。
『首里城』から南へ、世界遺産『識名園(しきなえん)』(俗にシチナヌウドゥン)を目指しました。『識名園』は琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。18世紀の終わり頃つくられ、1800年に尚温王冊封のため訪れた正使趙文楷(ちょうぶんかい)、副使李鼎元(りていげん)を招いています。『識名園』は首里城の南にあるので「南苑」とも呼ばれました。『識名園』の造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「廻遊式庭園」になっています。池に浮かぶ島には、中国風あずまやの六角堂や大小のアーチ橋が配され、池の周囲を琉球石灰岩で積みまわすなど、琉球独特の工夫が見られます。かつては、春は池の東の梅林に梅香が漂い、夏には中島や泉のほとりの藤、秋には池のほとりの桔梗が美しい花を咲かせ、常夏の沖縄にあって四季の移ろいも楽しめるよう巧みな気配りがなされていたのだそう。やはり太平洋戦争で壊滅的な破壊を受けるも、1975年から整備が進められ、ようやく今日の姿を取り戻しています。
廻遊式庭園は、近代日本の大名が好んでつくった造園形式だと思いますが、やはり異国情緒豊かな庭園に感銘を受けました。