7月8日世界遺産『琉球王国のグスク及び関連遺跡群』中城城跡(なかぐすくじょうあと)を散策。
さて、那覇空港午後2時50分発で帰途につかねばならない中で残された時間は少なかったのですが、世界遺産であり日本100名城のひとつでもある『中城城跡』を目指し、高速道路を利用、南風原南ICから北中城ICへ車を飛ばしました。
世界遺産『中城城跡』は、かつて貿易が行われていた屋宜(やぎ)の港から2kmほど離れた標高160mの丘陵上にありました。中城村の西北から北中城村の南側にのびていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、300余もあるとされる沖縄のグスクの中でも最も遺構がよく残っていることで知られています。国指定史跡、日本100名城の所以でしょう。
『中城城跡』は、14世紀後半頃まで先中城按司(さちなかぐすくあじ)が数世紀にわたり、西の郭、南の郭、一の郭、二の郭の主な部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味グスクから移ってきた護佐丸(ごさまる)によって、勝連城の阿麻和利による侵攻に備え、北の郭、三の郭が増築され現在見られるグスクとなりました。ちなみに、1458年護佐丸は阿麻和利の策略で王府軍に攻められ自害しています。
城壁の素晴らしさは一見の価値あり、主に琉球石灰岩の切石で積まれていて、自然の岩石と地形的条件をいかした美しい曲線で構成され、その築城技術はもはや件p的。野面積み、布積み、あいかた積みと3種類の石積みが施されるなど歴史的に高い評価を受けています。
石垣の上に立つと、西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)を望み、勝連半島、知念半島、さらには周囲の洋上の島々まで見渡せる眺望は圧巻でした。
南海の古城に息づくいにしえのロマンに、石垣をわたる風は、古琉球の世界へと誘ってくれました。
今回の沖縄では、9つある『琉球王国のヅスク及び関連遺産群』の世界遺産の内、6箇所を巡ることができました。順に、『首里城』『園比屋式御嶽石門』『玉陵』『識名園』『斎場御嶽』『中城城跡』。残念ながら北部の『勝連城跡』『座喜味城跡』『今帰仁城跡』を訪れることはできなかったのですが、気まぐれなお天気ぷらぷら旅としては充実の1泊2日。
沖縄へは再び訪れることになる予感いっぱいです。
さて、那覇空港午後2時50分発で帰途につかねばならない中で残された時間は少なかったのですが、世界遺産であり日本100名城のひとつでもある『中城城跡』を目指し、高速道路を利用、南風原南ICから北中城ICへ車を飛ばしました。
世界遺産『中城城跡』は、かつて貿易が行われていた屋宜(やぎ)の港から2kmほど離れた標高160mの丘陵上にありました。中城村の西北から北中城村の南側にのびていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、300余もあるとされる沖縄のグスクの中でも最も遺構がよく残っていることで知られています。国指定史跡、日本100名城の所以でしょう。
『中城城跡』は、14世紀後半頃まで先中城按司(さちなかぐすくあじ)が数世紀にわたり、西の郭、南の郭、一の郭、二の郭の主な部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味グスクから移ってきた護佐丸(ごさまる)によって、勝連城の阿麻和利による侵攻に備え、北の郭、三の郭が増築され現在見られるグスクとなりました。ちなみに、1458年護佐丸は阿麻和利の策略で王府軍に攻められ自害しています。
城壁の素晴らしさは一見の価値あり、主に琉球石灰岩の切石で積まれていて、自然の岩石と地形的条件をいかした美しい曲線で構成され、その築城技術はもはや件p的。野面積み、布積み、あいかた積みと3種類の石積みが施されるなど歴史的に高い評価を受けています。
石垣の上に立つと、西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)を望み、勝連半島、知念半島、さらには周囲の洋上の島々まで見渡せる眺望は圧巻でした。
南海の古城に息づくいにしえのロマンに、石垣をわたる風は、古琉球の世界へと誘ってくれました。
今回の沖縄では、9つある『琉球王国のヅスク及び関連遺産群』の世界遺産の内、6箇所を巡ることができました。順に、『首里城』『園比屋式御嶽石門』『玉陵』『識名園』『斎場御嶽』『中城城跡』。残念ながら北部の『勝連城跡』『座喜味城跡』『今帰仁城跡』を訪れることはできなかったのですが、気まぐれなお天気ぷらぷら旅としては充実の1泊2日。
沖縄へは再び訪れることになる予感いっぱいです。