かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

世話になった方が逝かれて、またひとつ自分の順番が進んだことを自覚いたしました。

2010-08-12 21:51:33 | Weblog
 今日、知り合いのお年寄りが一人、亡くなっていたことを知りました。たまたま用事があってそのお年寄りのお友達に電話したところ、4日にお亡くなりになった、と教えてくれたのです。半年ほど前にかなり大掛かりな手術をして大分身体が弱っていたのは知っていたのですが、それでもなんとも急な話だったので、しばし言葉を失いました。ご本人の遺言により、葬儀は身内だけの密葬、香典等も受け取らない、という、故人らしい合理的かつ他人に迷惑を及ぼさないように、という心配りのある御最後だったそうです。仕事を通じた間柄でしかありませんでしたが、一通り最後の様子を伺った後は、粛然としてしばし瞑目いたしました。
 仕事柄、お年寄りの顧客や年上のパートナーとお付き合いしていますので、年齢の順から行けばこれからもこんなことは何度もあることでしょう。そしていずれは順番が回ってきて、私が死を迎えることになるはずです。普通に考えて余命からすればまだそれは何十年も先の話ではありますが、人生何があるとも限りませんし、こういう時くらいは少し自分の生死を見つめてその心づもりをしてみてもいいんじゃないか、と思ったりしました。

 その方は企業を定年で辞められた後、その時の人脈などを元手にコンサル事務所を立ち上げ、死の直前まで現役で文字通り東奔西走して仕事されていました。理想的な生涯現役を貫かれたのではないでしょうか。叶うことなら自分も見習いたいですが、ン十年後の定年退職時に、この方のように一人でやっていけるほどの力を保持できるかどうか。日々の生活と仕事に目一杯なところではありますが、今からでもそのための積み上げを図るようにしていかないと駄目なのでしょう。

 一方で生死不明な100歳超のお年寄りが国中にいて、ようやくそれを確かめるために厚労省が動き出した、というような話を聞きますと、何ともやるせない気持ちがして参ります。行政の民生関連の仕事は、住民は嘘をつかない、不正を働かない、というのを前提に体系が組まれているので、こういう時は同仕様もなく無力になります。厚労省は一人ひとり当たって所在確認まで考えているそうですが、これとてなりすますとかその気になればいくらでも偽装は可能ですから、どこまで確かな情報が得られるのか甚だ疑問というものです。もう、子孫と一緒に遺伝子検査して血縁関係を明確化するなどしないと、到底明瞭にはならないのではないか、と思えてきます。

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