仮の陣屋にたどり着いたとき、公綱は思わず顔をしかめて口と鼻を手で覆った。飢饉の都や戦場で幾らも嗅いだこの臭い。人間の肉体が腐敗して朽ち果てる前に出す猛烈な臭気が、公綱の五感を襲ったのである。まるで皮膚から染み通るようにさえ感じられるほどの強烈な臭いは、辺り一面に散らばった無数の人馬の残骸から生じているに違いなかった。どれもこれも、色あせ、朽ちかけた鎧や甲をまとい、虚ろな眼孔であらぬ方を睨んでいる。ほとんど白骨と化した手には、弦が切れた弓や折れて錆を浮かせた刀を握っている。公綱はその一つ一つを確かめ、鎧の模様や甲の鍬形の形から、忠綱と景高のなれの果てを探し出した。
「今すぐ迷妄から助け出してやる。しばらくそのままじっとしていろよ」
公綱は、仲良く並ぶ平氏恩顧の侍大将の前で手を合わせ、その後ろの洞窟の方へと足を進めた。松明に火をつけ、それを掲げて奥へと進む。揺れる火影に岩々が一種荘厳な姿をさらす一方で、コウモリが驚き慌てて飛びさるのが見える。
「智盛様は何処へ?」
時に狭く、時に広く、どこまで続くとも知れぬ洞窟。半時ほども進んだであろうか。さすがに焦りの色が見え始めた辺りで、突然公綱の視界が大きく開けた。三〇人や五〇人はゆうに展開できる広大な地下の広場が出現したのである。さすがに一本の松明では端まで照らし出すことが出来なかったが、暗がりに閉ざされそうなその先に、公綱はようやく目指すものを見つけだした。
「と、智盛・・・様・・・」
ちょうど床几ほどに出張った磐の上に、智盛は静かに鎮座していた。白銀をあしらった美麗な鎧や先祖伝来の雄々しき甲が、松明の火を映して鈍い赤に染まっている。しかし、甲の下に収まるその顔は、平安京で貴賤を問わず若い女性を惑わしたという精悍かつ端麗な生気を失い、虚ろに開いた眼孔と髑髏にへばりつく引きつり乾いた肉と皮膚が目立つ、一体の木乃伊に他ならなかった。公綱は心の奥で、ほんの僅かに残していた希望のかけらが、今無惨に砕け散ったことを実感した。もはや智盛様はこの世にいない。優しく全てを包み込むが如き笑みも、あらゆる敵をうち砕くに違いないと信じさせた頼もしい雄叫びももう見られない。半ば呆然として公綱はその場に膝をついた。何故に自害の時、自分に供を命じてくれなかったのか。死ぬときは共に、と、幼少時より約束していたではないか。いや、戦いの最中、不覚にも気を失った自分が悪かったのだろうか。公綱は、一人残されたと思ったときの智盛の心情を忖度し、目頭が熱くなるのを抑えられなかった。
「申し訳ございませぬ。公綱が不甲斐ないばかりに殿には無用の苦しみを味あわせてしまいました。この上は殿の迷妄を御祓いいたし、十万億土の浄土まで、遅ればせながらお供いたす」
公綱は脇差しを抜いて、智盛のミイラに近づいた。甲のしころを引き上げ、かさかさになった喉元に、その切っ先を突きつける。
「殿、御免!」
ぐい、と公綱が柄を握る手に力を込めたその時である。
「何をする、公綱」
はっと驚く公綱の手首に、錦の手甲を付けた指が食い込んだ。
「と、殿!」
公綱の目に入ったのは、紛う事なき生前の智盛の顔であった。そしてその声は紛れもなく智盛のものである。さてはまだ生きてらっしゃるのか? いや、これが智盛様の怨念というものなのか。
「殿! 殿は悪い夢を見てござるのじゃ! 今、公綱がお目を覚まして差し上げましょう!」
「おこなることを申すな! わしは憎みても余りある頼朝、義経が兄弟のそっ首上げねば、浄土へも地獄へも参れぬわ!」
「それで殿の御気が済むとは公綱には思えませぬ! 殿は血迷うておられる。きっと、周りも、自分自身も焼き尽くすまでは、その怒り、恨みは消えますまい!」
すると、智盛は妖しく目を輝かせて笑い声を上げた。それは、生前の鈴が転がるような涼やかな音色を失い、ただ地獄からわき上がる業火の唸りが咆哮しているように公綱には聞こえた。
「今すぐ迷妄から助け出してやる。しばらくそのままじっとしていろよ」
公綱は、仲良く並ぶ平氏恩顧の侍大将の前で手を合わせ、その後ろの洞窟の方へと足を進めた。松明に火をつけ、それを掲げて奥へと進む。揺れる火影に岩々が一種荘厳な姿をさらす一方で、コウモリが驚き慌てて飛びさるのが見える。
「智盛様は何処へ?」
時に狭く、時に広く、どこまで続くとも知れぬ洞窟。半時ほども進んだであろうか。さすがに焦りの色が見え始めた辺りで、突然公綱の視界が大きく開けた。三〇人や五〇人はゆうに展開できる広大な地下の広場が出現したのである。さすがに一本の松明では端まで照らし出すことが出来なかったが、暗がりに閉ざされそうなその先に、公綱はようやく目指すものを見つけだした。
「と、智盛・・・様・・・」
ちょうど床几ほどに出張った磐の上に、智盛は静かに鎮座していた。白銀をあしらった美麗な鎧や先祖伝来の雄々しき甲が、松明の火を映して鈍い赤に染まっている。しかし、甲の下に収まるその顔は、平安京で貴賤を問わず若い女性を惑わしたという精悍かつ端麗な生気を失い、虚ろに開いた眼孔と髑髏にへばりつく引きつり乾いた肉と皮膚が目立つ、一体の木乃伊に他ならなかった。公綱は心の奥で、ほんの僅かに残していた希望のかけらが、今無惨に砕け散ったことを実感した。もはや智盛様はこの世にいない。優しく全てを包み込むが如き笑みも、あらゆる敵をうち砕くに違いないと信じさせた頼もしい雄叫びももう見られない。半ば呆然として公綱はその場に膝をついた。何故に自害の時、自分に供を命じてくれなかったのか。死ぬときは共に、と、幼少時より約束していたではないか。いや、戦いの最中、不覚にも気を失った自分が悪かったのだろうか。公綱は、一人残されたと思ったときの智盛の心情を忖度し、目頭が熱くなるのを抑えられなかった。
「申し訳ございませぬ。公綱が不甲斐ないばかりに殿には無用の苦しみを味あわせてしまいました。この上は殿の迷妄を御祓いいたし、十万億土の浄土まで、遅ればせながらお供いたす」
公綱は脇差しを抜いて、智盛のミイラに近づいた。甲のしころを引き上げ、かさかさになった喉元に、その切っ先を突きつける。
「殿、御免!」
ぐい、と公綱が柄を握る手に力を込めたその時である。
「何をする、公綱」
はっと驚く公綱の手首に、錦の手甲を付けた指が食い込んだ。
「と、殿!」
公綱の目に入ったのは、紛う事なき生前の智盛の顔であった。そしてその声は紛れもなく智盛のものである。さてはまだ生きてらっしゃるのか? いや、これが智盛様の怨念というものなのか。
「殿! 殿は悪い夢を見てござるのじゃ! 今、公綱がお目を覚まして差し上げましょう!」
「おこなることを申すな! わしは憎みても余りある頼朝、義経が兄弟のそっ首上げねば、浄土へも地獄へも参れぬわ!」
「それで殿の御気が済むとは公綱には思えませぬ! 殿は血迷うておられる。きっと、周りも、自分自身も焼き尽くすまでは、その怒り、恨みは消えますまい!」
すると、智盛は妖しく目を輝かせて笑い声を上げた。それは、生前の鈴が転がるような涼やかな音色を失い、ただ地獄からわき上がる業火の唸りが咆哮しているように公綱には聞こえた。
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