かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

いくら敗訴が悔しいからって、「不当」などと喧伝するのは格好の良いものには見えませんね。

2016-04-06 19:47:34 | Weblog
 今日のブログを更新しようと編集画面にログインしましたら、トップページにブログ開設後4050日、という数字が目に入りました。そう言えばそろそろ4000日だな、といつだったか意識していたのに当日にはすっかり忘れ、今頃改めて気がついた次第です。そう言えば、今日は昨年自宅のネットを光回線にしかえてちょうど1年目ですね。光に変えて少なくともネット環境にはストレスが無くなり、実に快適な日々を過ごしておりますが、お財布的にはやっぱり甘くはありません。もう少し安くなればありがたいのですが、まあ致し方ないところでしょうか。光化は、格安SIMを一つ解約して整理した分を当て込んで月々の負担が変わらないようにしたのですが、次整理するとしたらauで契約しているガラケーでしょうか。今の私の使い方では、携帯もどうしても無いと困る、というものではありませんし、機能的には手持ちのタブレットでまかなえるところもあります。まあそれなりに安く維持できていますし、今の携帯が壊れるまではこのままで行こうかと思いますが、本当に壊れたらその時改めて考えてみようと思います。

 さて、鹿児島の川内原発の運転差し止めの仮処分を求める訴訟で、福岡高裁宮崎支部は、「新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断が不合理とはいえない」として、住民側の申し立てを棄却しました。つい先日、関西電力高浜原発の運転停止を命じた大津地裁とは違い、原子力規制委員会の判断を是とした、まあ当たり前といえば当たり前な判決でした。でも、大津の時も思いましたが、そもそもこんな話は司法の人間に判断可能なものではないし、判断できないものについては取り上げるべきではなかろうと思うのです。その訴えは司法になじまないとして申し立てそのものを却下すべきだったと思うのですが、訴える方も訴える方で、司法に判断を仰ぐというのは、現状それ以外にろくな方法がないからとはいえ、あまり褒められたことではなかろうと思います。必要なのは専門家集団による技術的な検討会と、その答申を元に判断したり、そういう答申と判断をする仕組みを作る政治の力なのであって、訴えるなら政治家にこそ訴えて、仕組みの改善を求めていくべきなのでしょう。
 それにしても、毎度裁判に負けたからといって「不当決定」「我々は屈しない」などとアピールするのはなんとも不格好に見えて仕方ありません。捲土重来、臥薪嘗胆、不撓不屈を誓うのは大いに結構ですし、闘志を燃やされるのはいいと思うのですが、それをわざわざ集まっているマスコミにこれみよがしに見せつけるというのはなんとも見苦しく、恥ずかしい行為に思えます。何はどうあれ負けは負けなのですからここは潔く受け止め、その上で「次は負けない」と再戦を胸に秘めつつ堂々と立ち去ってみせる位はしてもよいのではなかろうかと思います。

コメント
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