かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

1.再会 その3

2008-03-22 22:37:26 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
「どこを狙っておる?」
 耳元で、先程からの変わらぬ平静さで呟かれた男は、初めて自分が相手の力量を正反対に読み違えていたことを知った。このマリのような達磨は、必殺を信じた一撃を苦もなくすり抜け、一瞬で懐まで飛び込んできたのだ。だが、男はその戦慄に冷や汗を流すいとまも与えられなかった。飛び込むと同時に鳩尾に突き刺さった公綱の右拳が、男の意識を無の世界へ強引に叩き込んでいたのである。公綱は、長刀とともにのしかかるようにして倒れてきた男を邪険につき転がし、残る七人にもう一度声をかけた。
「白拍子を引っかけたくば河原にでも行くがいい。さあ、どいてくれ」
 ここに来て、ようやく七人は相手の名前を思い出した。平氏家人にその人ありとうたわれた、伊勢の住人、築山公定の次男坊。悪次郎とか、鬼築山と呼ばれる、剛の者の名前を。その途端に前の方にいた三人がおびえもあらわに後じさり、他の者達も、一様にその表情をこわばらせた。だが、一番後ろで皆をあおっていた頭目格の男が、かえって憤りもあらわに立ち上がった。仲間内では暴れ者と畏怖されてきた自分の威信に、泥を塗られたような気がしたのだろう。男は殺気だった目で公綱を睨み付けると、ぐいと身を乗り出して大声を上げた。
「わしは三位中将平知盛様の家人で、長門の国で鬼神と恐れられる氷川安城じゃ!」
 どうだ、恐れ入ったか、と胸を張った氷川の後ろで、六人の金魚の糞が虚勢を取り戻した。六人は口々に公綱をからかい、自分たちのたくましい頭目をけしかけた。勢いづいた一人は、初めの目的通り、女の背後からその柔らかい身体を羽交い締めに抱きしめようと襲いかかった。
 次の瞬間、男達の恫喝や罵詈雑言にも眉一つ動かさなかった公綱は、突如宙を飛んで氷川の背中に降った男を見て目を円くして驚いた。いかにだらしなく隙だらけで抱きついてきたとはいえ、背後から迫る自分の三倍はありそうな男を、この白拍子は軽々と放り投げたのである。
(力では無いな。だが見事な間と当て身だ。ああ決められては一たまりもない)
 舌を巻きつつも女の妙技を冷静に観察していた公綱に比べ、氷川勢の混乱ぶりは醜態を極めた。
「この野郎! どけ、どかんかこら!」
 氷川は顔を真っ赤にして気絶した背中の男をはねのけると、怒りと屈辱で紫に変じた唇を震わせ、公綱に言った。
「こ、殺してやる!」
 やれやれ、と公綱は溜息をついた。
(どうしてこうも己の力量もわきまえず、突っかかるしか脳のない連中ばかり集まるのだろう。こんな奴等を率いて行かねばならぬとは、一苦労ではすみそうも無いぞ・・・)
 だが氷川は、そんな公綱の思いも知らず、長刀を公綱に振り向けた。
「主では無理じゃ」
「黙れ! そこな動くなぁっ!」
 氷川の長刀が大上段から公綱めがけて振りかぶられた。公綱は今度はその場を一歩も動かず、腰の太刀に手をかけた。勿論氷川の言に素直に従ったわけではない。岩も砕けよと満身の力を込めて切り落とされた長刀に、一瞬遅れて公綱の太刀が鞘走った。
「ひっ!」
と息を呑む声が重なった。その瞬間生じた異様な衝撃音がなければ、大勢の瞼が同時に閉じた音まで公綱の耳に届いたかも知れない。だが、代わりに公綱が聞いたのは、両手の衝撃に一拍置いて、目の前の地面より発した地を断ち割る刃の音であった。その後ろで、長刀の柄を叩き切られた氷川が呆然と立ちすくみ、チン、と公綱が刀をしまった音が合図だったかのように、へなへなと腰砕けにその場にへたり込んだ。
「それまでだ」
 腰を抜かした氷川を後目に残る六人をねめつけた時、背後からかけられた若々しい声に、公綱は、あ、しまった、と舌打ちした。苛立ち紛れに相手をしている内に、主が出てきてしまったのである。困った顔をして振り向いた公綱に、端正な顔が人々を引きつけてやまない笑顔を刻んだ。
「あんまり遅いのでな。だが、やはり公綱は強いな」
 何をおたわむれを、と赤面した公綱は、もう一度氷川らに振り返って、しゃちほこばって主を紹介した。
「ここにおわすは故平相国清盛公の末子、新四位少将平智盛様におわす。頭が高い、控えおろう!」
 呆然と見上げる氷川とその一党は、予想もしない大物の登場に驚きあわてた。そのあわてぶりに満足した公綱は、振り向いて智盛に言いかけた。
「あれな白拍子がこの不埒者共に絡まれておった様子です。だがあるいは助けは無用だったかも知れませぬな。なぜなら・・・」
 得々と白拍子が男の一人を投げ飛ばした様子を語ろうとした公綱は、日頃滅多に見ない主の様子に、思わず口をつぐんだ。智盛は、さっきまで湛えていた憂いの中にも慈愛を忘れぬ笑顔をかなぐり捨て、驚愕で大きく見開かれた目をあふれる涙で満たしたのである。その両目から持ちこたえられなくなった一滴が頬にこぼれ、十万の軍勢に命令を下しうる珠玉の口の横を通ったとき、僅かに洩れた息が、こわばった声を絞り出した。
「・・・れいむ・・・」
 わななくように上がった手が驚く公綱を脇へ押しのけ、ふらついた右足が、頼りなげに一歩、白拍子に向けて踏み出された。
「麗夢、麗夢ではないか・・・」
 公綱が、何か圧倒されるものを感じて声をかけそびれている内にも、智盛の足は夢の中を踏み惑っているかのようにおぼつかない一歩を白拍子に向けて刻んでいく。その先で、智盛を待つかのように白拍子は頭の笠に手をかけた。
(なんと・・・)
 公綱は、現れたその顔にしばし目を奪われた。年の頃なら一五、六と言ったところだろうか。白磁のように抜ける白肌に二つの生きた宝玉が、漆黒の瞳を揃えてこちらを見据えている。その視線が智盛と交錯したとき、智盛の口から、喜悦窮まる声が溢れ出た。
「おお! やはりそなたは麗夢!」
 だが、麗夢と呼ばれた白拍子は、智盛の近づけば火傷しそうな激情の迸りを、冷ややかに受けとめた。
「初めてお目もじいたします。こたびは危ういところを助けていただき、かたじけのうございます」
 深々と下げられた頭に、智盛の動きがぴたりと停まった。
「何を言っているのだ? 麗夢」
 戸惑いの波が、全身をわななかせる喜びの上を薄く流れていく。それをより決定的にしたのは、白拍子の次の一言だった。
「私は、昨日北陸道より上京して参りました淡雪と申します。どうぞ、これを機会にご贔屓賜りとう存じますが、今日は急ぎの道故これにて失礼いたしまする」
 では、と頭を下げて有無を言わさず立ち去ろうとする白拍子に、智盛の戸惑いは恐慌にとって変わった。

第1章その4に続く。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1.再会 その4 | トップ | 1.再会 その2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』」カテゴリの最新記事