シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

しあわせな孤独

2005-12-12 | シネマ さ行

女:セシリソニアリクター(「ランローララン」のフランカポテンテに少し似ている)。婚約者が危険なところに調査に行くことを案じている。彼はその調査の旅に出る前に心配することはないと言い可愛い下着をプレゼントしてくれた。調査での事故を心配していたのに、こんな形で彼が半身不随になるなんて夢にも思わなかった。絶望した彼に冷たくされてどうすればいいのか、もう何もかも分からなくなってしまった。

男:ヨアヒムニコライリーカース。セシリと婚約して幸せの絶頂にいた。もうすぐ博士号もとれるだろう。それが、あの事故で半身不随になり、絶望してしまい、セシリに冷たく当たってしまった。彼女を愛してはいるけれど、いや、だからこそ、こんな体の自分に彼女を縛り付けておくわけにはいかない。

妻:マリーパプリカスティーン。あの日、娘のスティーネスティーネビェルレガードと車の中で口論をしていた。そのために車のスピードをあげ注意力散漫になってしまった。そのせいで、ヨアヒムを轢いてしまう。医者である夫がその婚約者のセシリの精神的な支えになってくれているが…

夫:ニルスマッツミケルセン。妻を愛し、3人の子供たちを愛し、仕事も順調だ。そんなある日、妻が交通事故を起こしてしまった。相手は若い男性。半身不随になってしまったようだ。彼には婚約者がいる。加害者の家族として、医者として彼女を助けてやらなくては。妻もそれを望んでいる。セシリをなぐさめてやりたい。

せつなくて悲しいやるせない物語。セシリは懸命にヨアヒムを助けようとするが絶望した彼は彼女を拒否するばかり。そんな中、慰めてくれるのは医者で加害者の夫のニルス。ニルスは家族を愛しながらも、自分が支えなければ崩れ落ちてしまいそうなセシリが、若くて魅力的なセシリが気になって仕方がない。そんな二人が深い関係になるのは時間の問題だった。

セシリの行動があまりにも自分勝手だという人も多いだろうと思う。ワタクシもそんなふうに感じないわけではない。セシリは自分勝手だし、ニルスは愚かだと思う。でも。なんか、それだけでは割り切れない何かを感じる。絶望したヨアヒムに罵倒されるセシリ。突然に半身不随になってしまった彼を思いやるならば、それくらいは我慢しなければならないのかもしれない。でも。突然の不幸に襲われたのはセシリも同じ。彼を愛する気持ちが深いからこそ、傷つき方も深い。ワタクシならきっと相手の傷が分かっていても、相手が本気で言っているんじゃないと分かっていてもやっぱり傷つく。それは愛しているからこそだと思う。

一番つらいのはマリーかもしれない。自分が轢いてしまった男の婚約者と自分の夫が不倫の関係になってしまったんだから。それに彼女を慰めるように頼んだのは自分。愚かな男のことを考えればこうなることは予想できたかも。けど、それ以上に彼女は夫を信頼していた。子供が3人いてもまだ「子供を作ろうか?」と誘ってくれる夫。そんな彼が浮気などするはずないと。やはり愚かな男の性を信じた彼女がバカだったのかな。

ニルスは愚かだ。けど、セシリを愛してしまったと言い、家を出るその姿はもの凄くひどい夫であり、父親かもしれないがある意味での潔さを感じたりもした。セシリはただ慰めが必要なだけかもと思いつつも本気で愛してしまったニルス。自分も若い女の体に溺れているだけなのか、それが愛なのかは分からない。それでも家を出ることを選んだニルス。ワタクシはそういう生き方も(他人を死ぬほどに傷つけるけど)嫌いではない。ついに、セシリと共に生きていけるのかと思った瞬間にかかる電話。ヨアヒムがセシリを呼ぶ。なんというタイミング。息が詰まる。

半身不随になってしまうために受け身であるしかないヨアヒム。絶望の時期を乗り越えセシリを受け入れる。が、セシリが他に男を作っていることを悟る彼。それも仕方ない。セシリが自分を愛してくれていることも分かる。「もういいんだよ」「たまに来てくれるだけでいいんだ」「友だちでいてくれるね」これがヨアヒムのセシリへの最大級の愛の表現だった。この二人の別れのシーン。つらかった。本当に胸が苦しくなるシーン。

時々、セシリかヨアヒムの頭の中にある映像を映すかのようにヨアヒムの手が動いているシーンが挿入される。セシリのほうへ手を伸ばすヨアヒム。その手をとるセシリ。この別れのシーンではヨアヒムがセシリにそっと手を振る。愛する人との別れに手を振ることもできないそのつらさがなお一層引き立てられる。

日本人好きのする作品ではないかもしれないが、デンマークアカデミー賞作品賞、助演男優賞、助演女優賞、トロント国際映画祭国際批評家連盟賞ほか数々の賞を受賞している。
ドグマの手法で撮られたこの作品。スゼンネビエール監督。デンマーク。この辺りの作品は同じヨーロッパ映画でもフランスやイタリア映画とは決定的に違う。人生のヘビーな部分をヘビーなままに映し出してくる。生活の基盤を根底から覆すようなことがおきた時、人はどうするか?セシリやニルスを勝手過ぎると言えるほど、ワタクシたちは強いだろうか?