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シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

特攻野郎Aチーム THE MOVIE

2010-09-02 | シネマ た行
これ、始めは見に行くつもりじゃなかったんですが、テレビでCMを見ているとやたらと面白そうなので、見に行くことにしました。

始まって15分くらいかなぁ?マードックシャールトコプリーが登場したところから、メキシコ上空を逃げ切るまでもうノンストップで笑いっぱなしよ。もうここ、映画館やのにヤバい~ってくらい笑えた。何、アイツ?「第九地区」のヤツやしー、って思ったらまた余計おもろくって。もう完全イカレまくり。面白すぎ。

と、思ったら、あれは何年も前のことでいわゆるAチームができあがるなれそめ的な部分だったんすね。それからときは現代イラク戦争まっただ中にも奴らはいた、と。

こういう荒くれ男系の映画で、しかもリーダー的存在にリーアムニースンってどうなん?って思ってたんですよね。彼って最近、年取った感あるし、落ち着いたインテリ風っていうイメージが強くなってきたと思ってたから。ところがどっこい、さすが演技派だけあって、こういう役だってバッチリこなしちゃうんだなぁ。チームをまとめる頼れる兄貴、というかオヤジ?って感じで、本当に彼なら信頼してついて行くって気持ちになるのも分かる。

見に行ったもうひとつの理由にに最近注目のブラッドリークーパーが出演しているっていうのがあったんです。なんですか、あの甘すぎるマスクは今回もピッタリすぎるほどの色男な役でしたねぇ。そんな彼の(元?)恋人役を演じるのがジェシカビールなんですが、彼女も好きな女優さんのひとりなので嬉しいキャスティングでした。彼女はもうちょっと太ったほうがいいなぁと思うのですが。(「バレンタインデー」のときも書いた?)元恋人でありながら、敵になったり、協力者になったりと自分以外のキャストは全員男性という中の紅一点という役柄に彼女もピッタリはまってますね。この役を演じる女性がヤワ過ぎても、ごっつ過ぎてもダメってところに彼女はタフでセクシーという両方兼ね備えてるからイイんですよね。

まぁ、とにかくこいつらメチャクチャやりよんねん。細かいことは言いっこナシで。アクションシーンはカッコいいし、マードックの一挙手一投足にはいちいち笑わされること間違いナシ。

元々のドラマに関しては、おぼろげな記憶があるようなないようなって感じなんですが、それを知っているかどうかなんて、この作品を楽しめるかどうかにまったく関係ないので気にする必要なしです。

映画館で見る映像の迫力も良いし、うちで仲間とワーワー言いながら見るのにも適した作品ですね。ポップコーンとコーラがピッタリな娯楽作品です。

扉のむこう

2010-07-29 | シネマ た行

先日、内閣府の調査で全国のひきこもりの数は推定70万人で、30歳代が一番多いと発表された。

日本独特の社会問題とされる「ひきこもり」にスポットを当てたこの作品を撮ったのはイギリス人のローレンススラッシュという映像監督だ。欧米の人から見ると「ひきこもり」というのはとても特異なものに映るのだろう。そりゃ、そうだよな。日本人のワタクシにも特異なものに思えるもんなぁ。んーいや、その人たちのことを責めるようなことは言ってはいけないんだろうけど。

やっぱり欧米だと、子供は大学生になったり成人すれば家を出ていくのが当たり前だし、子供部屋に鍵などつけないのが普通だろうし、何日か部屋にこもっていればドカドカと親が入ってきそうだもんな。それでカウンセラーのところに連れて行かれるってこともあるのかな。それに、他のアジア諸国やアフリカなどでは「ひきこもり」を無条件で養い続けるだけの経済力が親にはないだろう。「ひきこもり」というものを作り出す妙な悪条件が日本という国にあるということなんだろう。

この作品はまず中学生の岡田宏根岸健太が塾でも学校でもなんとなく浮いていて、ある日を境に急に部屋から出てこなくなる。母親の淑子印南雅子は、何度か宏に扉ごしに話しかけたりはしてみるが完全に無視されたり、向こうから扉をバンバン叩かれたりする。それでも息子の体が心配だから部屋の前に食事だけは運び続ける。

これは映画の編集のせいなのか分からないけど、淑子はしばらく父親の透古澤豪にさえ、そのことを話していない。意を決して話してみるが、父親は無理やり宏を部屋から引きずり出そうとして失敗し、その一回きりのトライであとは何もしようとしない。専門家に相談をしようという淑子の提案にも世間に対してバレたら恥だからという理由で賛成しない。その後の淑子の相談にも「今日は疲れたから今度にしてくれ」と言う。夜中に息子が降りてきて冷蔵庫をあさったり、風呂に入ったりしていることが分かっているにも関わらず、その時間に息子となんとか話そうともしない。

この両親の姿はまさにいまの日本両親の姿だと言えるかもしれない。母親は献身的に息子に尽くし、父親は仕事が忙しくて家族の問題と向き合おうとしない、というよりも逃げている。世間の評判を気にするより、息子の精神状態や将来のことを気にしないのか。当然の疑問が浮かぶ。この状況をどうにかしようとあがいて失敗するならまだしも、何もせずに穏便に済まそうとするのはこの国の国民性のせいか。親戚や近所の人にもひた隠しにする姿が異常にも思える。

この両親の対応が弟雄平小栗研人にも影響してくる。明るかった弟が下を向くようになる。そして、ついに両親は別居。このときひきこもりの長男はメモで父親と一緒に行きたいと主張するが、なぜか映画では何の説明もなく母親と残ることに。父親は長男を拒否し、次男だけを連れて行ったものと思われる。

しかし、宏にとってはそれは幸いだったかもしれない。父親がいなくなりある意味自由になった母親が専門家に相談するようになるからだ。やはりこの問題は専門家に頼らなければ解決できないのではないかな。欲を言えば、ひきこもりという状態になる前に相談できる土壌ができていればいいのだけど。

この作品はドキュメンタリーではなく、フィクションとして描かれているのだけど、監督の撮影手法がとてもうまく、ドキュメンタリーなのかフィクションのドラマなのか見ていて分からなくなる場面がたくさんある。キャストたちが母親役の印南雅子以外はみな素人ということもあるのだろうけど、カメラワークなども妙に自然で家の中のどこかにカメラを置きっぱなしにして撮ったような印象があり、すごくうまい構成になっている。

ひきこもりに関してはもっと国として対策を練らなければいけないんじゃないかと思う。国はNPO法人にばかり頼っている場合ではない。もっと大規模に手を差し伸べてあげなければいけないんじゃないかと思う。彼らの中で外に出て行きたくないと思っている人は少ないのだろうし。

でもなぁ、日本の社会って窮屈だもんねー。なんかさ、こうじゃなきゃダメ、とかこうあるべき、みたいなのがたくさんあってね。もっとちゃらんぽらんでもいいんじゃないのーとか思っちゃうけど。夢を持つことが大事なんて言ってないでさ、なりたいものとかやりたいこととかなくってもいいんだよー、って言ってあげられる世の中のほうがいいような気がするんだけどなー。なんかね、スポーツ選手とか芸能人とか夢を叶えた人がキラキラ輝いているのを殊更に見せつけられると、その陰の部分にいる人が一層暗くなる気がする。別に人生なんて日々輝いてなくてもいいし、やりがいなんかなくてもいいし、夢なんて叶わないことがほとんどなんだけどなー。

日本の経済力のことで言うと一時はやった「ひろしです」っていう芸人が「ひきこもるほどのお金がありません!」って言ってたの思い出したな。まぁ、ワタクシも言わばその状態だけれども。ひきこもりの子供を養うお金があるなら、カウンセリングとかそういうことにお金を使ってほしいな。


トイストーリー3

2010-07-12 | シネマ た行
ピクサーの作品が大好きなワタクシですが、中でもこの「トイストーリー」シリーズはワタクシの中で1位、2位を争う作品です。「2」からもう11年も経っていたからすっかりこのシリーズは終わったものと考えていたんですが、今回「3」が来るということで楽しみにしていた反面、大好きなシリーズがしょうもないものになっていたらイヤだなぁという気持ちもありました。

ところが、この「3」はそんな心配を吹き飛ばすどころか、シリーズ中最高傑作と言ってもいい作品だったのです。

まず、アンディがちゃんと大学生に成長しているところがいいですね。それによってウッディやバズたちに起こる事件が今回描かれるってわけです。大学生になったアンディにウッディたちは捨てられてしまうのか!?これから大人になっていくアンディとはいつまでも遊べないことは分かっていても、自分たちを大事にとっておいてくれればいつかアンディの子供たちと遊べるかもしれない、と信じているウッディ。もう、この冒頭のウッディの気持ちを聞いただけでウルウルしちゃいました。他のおもちゃたちが悲観的になっても絶対にアンディを信じ続けるウッディ。けなげだなぁ。

いつも仲間たちは色々とウッディに文句をいっぱい言うし、仲間割れもするんだけど、ウッディは絶対に仲間を見捨てないんだよねー。そして、バズもとんちんかんながらいつもパワー全開でウッディの力になってくれる。バズはウッディよりもちょっと高度なおもちゃだけに今回も保育園の悪者のロッツォハグベアたちに出荷時初期モードにされちゃったりするからまたやっかい。

しかも、今回、まさかの!バズ・スペイン語バージョン!!!

もう、あのシーンばりばりウケたー。
まさかバズにラテンの血が流れていたとはねぇ。スペイン語バージョンになったら、すっかり性格もラテン系になっちゃって、腰をクネクネさせて情熱のダンスを踊っちゃったりするんだよねー。ジェシーにもやたらと積極的だし。考えてみたらアメリカのおもちゃだからね、いまスペイン語しか話さない人がアメリカにたくさんいるという社会情勢もふまえた展開なのよね。ほんと、ピクサーって目のつけどころがすごい。

今回、3Dがイヤで2Dで見たんですが、映像の迫力はそれでも凄かった。ウッディがハンググライダーで飛ぶシーンのグライダーの緑色の影でうっすらウッディが緑がかっているところとか、クライマックスのゴミ収集場のシーンもものすごくリアルで、前に座ってた3歳くらいの男の子なんて怖がって泣いちゃってたよ。本当にウッディやバズっていう生きているキャラクターが動いているのを普通にカメラでシューティングしているかのようだった。

ウッディやバズ以外のメンバーも健在でちゃんとみんなが活躍してくれるところがまたイイ。今回ジェシーはあんまり活躍しなかったけどね。もっぱらラテンバズの相手?体がバネになっている犬のスリンキーは、そのバネを利用して大活躍だし、ミスター&ミセスポテトヘッドは目、鼻、口などが取れるという性質を大いに活用させていた。特にミスターポテトヘッドがミスタートルティーヤになったりミスターキューカンバになったりするシーンには大ウケ。ワタクシの大好きなリトルグリーンメンも今回一番の活躍だったしねー。みんながちゃんとそのおもちゃの特性を生かして活躍するところがイイよね。

今回アンディがめちゃくちゃ良い子に育ってくれていたのもすごく嬉しかった。やっぱりウッディたちと遊んでいたからだよねぇって。

このシリーズはいつもホロッとさせられるんだけど、今回ホロッとどころかだだ泣きしてしまいました。大人も十二分に楽しめる作品だと思います。

2Dでは日本語吹き替え版しかなかったので、吹き替えで見たのですが、唐沢寿明所ジョージを始め、みんなすごく合っていて違和感ないです。ウッディなんか後半唐沢に見えてきちゃったもんね。ほんと。

吹き替えだったので、小さい子供がすごく多かったけど、思ったよりみんな静かに見てました。それだけ引きこまれていたってことではないでしょうか。笑うシーンもあからさまに大人と子供のウケるシーンが違うという感じではありませんでしたね。会場が一体になって笑っている感じで。お父さんもお母さんも子供たちと同じように楽しんでいたと思います。

この作品、アメリカで見ていたら最後拍手が起こるんじゃないかなと思うくらいのデキです。最後に流れるお馴染みのテーマソングがスペイン語バージョンだったのも最後まで笑わせてくれました。

オマケ本編の前に流れる「ナイト&デイ」もメッセージ性のあるかなりの傑作でした。

ターミネーター4

2010-05-19 | シネマ た行
何ヶ月か前に始まった「ターミネーター:サラコナークロニクルズ」にハマっていて、第2シーズンが終わってしまったところで、「ターミネーター4」を観ようと思っていました。テレビシリーズとこの「4」は製作時期がほぼ同じって感じになるのかなぁ?製作とか脚本とか同じ人が絡んでるのかよく分からん。元々の製作者の許可なしでは続きは作れないだろうと思うけど、脚本とかは全然違う人が手掛けるんだもんね。ただやっぱり続く以上はあんまり矛盾なく作って欲しいところだけど、こういうタイムスリップものは、タイムスリップそのものに矛盾がいっぱい生じちゃうわけだから余計ややこしいね。

このシリーズは「3」は嫌いだって人が多いみたいなんだけど、ワタクシは結構「3」も好きで。もちろん「1」や「2」ほどではないけど、「3」は「3」で頑張っていたと思うし、“審判の日”が来てしまった絶望感も良かった。ただねぇ、やっぱジョンがニックスタールってのは良くなかったな。なんで急にブサイクになっちゃの?って。そこへ来て「クロニクルズ」のトーマスデッカー君がハンサム度を取り戻してくれましたよねー。そして、今回は大人になったジョンにクリスチャンベールって!!!ピッタリじゃーん!って感じです。トーマスデッカー君とはちょっと感じは違うけど、「2」のエドワードファーロングの流れを汲んでる感じですね。

シュワちゃんの型のターミネーターが登場するのはまぁご愛嬌として、ジョンの子供を産むって「3」で言われてたケイトブライスダラスハワードがちゃんと妊婦さんとして登場するところなんかは、ちゃんと続編として意識した作りになってます。

さて、このお話。審判の日から10年後の2018年らしい。スカイネットVS人類の戦い真っ最中。でも、人類の軍隊はまだジョンコナーが率いているって感じではなくて、他におエライさんがいっぱいいて、意見が対立したりしている。捕えられた人類ごとスカイネットの基地を破壊しようとしている軍隊に対して、ジョンコナーは人類を助けてから破壊しようと行動に出る。それを助けるのがマーカスライトサムワーシントン。彼はなんと人間と機械の中間に位置するような存在だった。彼は元々2003年に死刑囚で、セレナコガーン博士ヘレナボナムカーターに献体をして半分機械の体になっていた。

このマーカスライトが2018年に記憶を失くした状態で目覚め、自分は人間だと思っていたら、半分機械にされていてビックリってわけ。目覚めたときにいきなりメタルからの攻撃を受け助けてくれたのがカイルリースアントンイェルチェン。そうジョンコナーの父ちゃんよ。まだ10代だけど。

マーカスライトはジョンコナーに人間だと信じさせてスカイネットの中枢までおびき寄せるために利用されたみたいなんだけど、元々セレナコーガン博士の目的は何だったんだろう?2003年の段階でこんなこと思ってないよね?ってことは博士は2018年からタイムスリップしてきたの?ワタクシ、なんか見落としたんすかね?これはまた新たな3部作の始まりということらしいので、これからまた明かされる何かというのもあるんでしょうか?マーカスの過去とかちょっとしか触れられてないけど、これから触れられるのかなぁ?もうマーカスは登場しない?

とにかく、ジョンコナーはスカイネットに捕まってしまったカイルを助けに行くんですけど、スカイネットはカイルを捕まえておいてどうしてすぐに殺さなかったのかなぁ?そうすればジョンも生まれずスカイネット完全勝利じゃないのさー。バカ。ってスカイネットの勝利を望んでいるわけじゃないけどさ。

今回はこのシリーズの最大の魅力と言っても良い強烈な敵キャラっていうのが存在しないのがちょっと残念だったかも。マーカスライトは魅力的なキャラではありますが。あ、でもあのバイクのマシンはカッコ良かった。

3部作って言ってるけど、ちゃんとあと2作作ってくれるのかな?だとしたら、ちゃんと最後にはジョンに完全勝利宣言させてあげたいよー。なんか「サラコナークロニクルズ」にハマっていたせいもあって、ワタクシたちがいまいる現実とのパラレルワールドでジョンはずっとメタルと戦っているような気になってきたよ。

オマケ1「サラコナークロニクルズ」ではカイルがもう少し大人になるまでジョンには会っていない設定になっていたので、すでに「4」とは違う展開になっちゃってます。これはタイムスリップでなんとか修正できるもんですかね。

オマケ2「サラコナークロニクルズ」はシーズン2が終わったあと、TVシリーズが頓挫してしまっている状況です。脚本はこの先もできているらしいのですが。めっちゃ気になるところで終わってるんですよねー。なんとかちゃんと映像化してほしい!じゃないと、トーマスデッカー君がおっさんになっちゃうよ。ジョンを守るターミネーターキャメロン役のサマーグローちゃんもおばさんになっちゃう。彼女がなんか美人じゃないけど、もうジョンとくっついちゃえば?って思うくらい可愛いんすよ。

タイタンの戦い

2010-05-17 | シネマ た行

あんまり何も考えずに楽しめる作品もたまには見たいので、見に行きました。「アバター」で3Dはもうこりごりだったので、こちらは2Dで。

神々の王ゼウスリーアムニースンと人間の子供であるペルセウスサムワーシントンは人間の子として育つ。人間は神々の横暴さに反乱を起こし、ゼウスは兄で冥界の王ハデスレーフファインズを人間を殲滅するために地上へと送る。人間たちは半神のペルセウスとともに戦う。

なんか神対人間という構図がイマイチよう分からんかった。神が横暴だから人間が怒って反乱を起こしたらまたそれに神が怒って、、、となんかどっちもどっち的な…まぁギリシャ神話なんてみんながみんな欲望のままに自分勝手に行動してますからね。なんか意味不明な逆恨みとかいっぱいありますもんね。だから、その辺はあんまり気にしないことにしてと。

それで、ペルセウスは人間として育って、神に恨みを持っていくら父親でも神の力は借りんとか言ってるわりに要所要所でわりと助けてもらっちゃったりね。ゼウスも人間に怒ってるわりにはペルセウスのことを助けたりして、結局どっちの味方やねん!と。真剣に戦ってるハデスがちょっと可哀想になってきたりしてね。

リーアムニースンはあーいう後光が差してるような役がなんか似合うな。レーフファインズはヴォルデモートかと思ったよ。サムワーシントンは「ターミネーター4」も「アバター」も本作もなんか半分混じった役で「早く人間になりたーい」ってところ?人間の軍人役でマッツミケルセンが出ていて驚いたな。彼もこんなにお金のかかった作品って初めてなのでは?でも、意外に古代の鎧が似合ってましたね。あのペルセウスを守っていた女性イオジェマアータートンは美しかったですね。野郎ばかりでむさ苦しいシーンが多かったので、彼女がいてくれたおかげで画面が華やかになりました。

巨大サソリとか、メデューサ、クラーケンなどのクリーチャーのCGは見事でした。ワタクシは特に巨大サソリが好きでした。結局手なずけちゃってるし(笑)あの三魔女はさ、なんで目を取られたのに、目を捨てられるのが分かったの?

なんかグタグタと理屈はいいからもっとばんばん戦ってよ!って思っちゃいましたね。「戦い」というよりも「冒険」的な要素が多かったような。もっとストレス解消的なものを期待していたのですが、その辺は少し残念でした。ところで、「タイタン」ってなんのことだっけ?


月に囚われた男

2010-05-12 | シネマ た行

これは見に行くかどうか迷っていたんですが、時間が合ったので見に行きました。デビットボウイの息子ダンカンジョーンズの監督作品ですね。これはデビットボウイの息子とはいえ、親の七光りとは言えない作品ができあがっているのではないでしょうか。

ワタクシは特にSFファンというわけではないのですが、一応映画ファンとして「2001年宇宙の旅」とかは見ているので、なんとなくこの作品がその辺りへのオマージュかなってことは分かりました。全体的な雰囲気も低予算で作られたこともあってかとても70年代チックにできあがっていましたね。

さて、近未来人類は必要なエネルギーを月で採掘していて、その任務に着いているのがサムベルサムロックウェル。なんでこの人がたった独りで任務に着いているのかちょっと疑問なんですよね。ネタバレしちゃいますけど、彼はクローンだから独りでも良いってことなのかな?ここにいるクローン人間は独りなんですが、彼を手伝うAIがいてそのAIは画面にニコちゃんマークがついていて、それでちょっとした感情を表しているところが妙に可愛かったです。

ケビンスペイシーが声を演じているこのAIのガーティはHALのような感じなのかなーと思って見ていたんですが、なぜかガーティはクローン人間サムベルの味方をしていましたね。てか、それはなぜ???その辺も掘り下げてくれるともっと良かったかも。

なんせ登場するのがこのクローン人間1号と、すれ違いで誕生したクローン人間2号。(ここには何体もサムベルのクローンが寝ていて3年ごとにガタがくると次のクローンが起されるという仕組み。そして、その仕組みにクローンたちが気付いてしまって、というお話)つまりどっちもサムロックウェルが演じているわけでさながら彼の独り芝居。彼が見事に3年目でガタが来ているほとんど死に掛けの1号といま起きたばかりの元気な2号を使い分けていて、見た目はもちろんまったく同じ人間なのにまったく別人格のように思えてくる。設定として特に目新しいわけでもないこの作品がこれだけ高い評価を受けているのは彼の演技によるところも非常に大きいと思う。この役者さんは、ほんとに役によって好きになったり嫌いになったりしてしまうんですよ。イヤな奴のときはほんまにムカつくし。ようするに、それだけうまいってことですよね。

にしても、、、上映時間を見ると97分なんですねー。なんか長く感じた。セリフが少ないのと全体的に無機質な感じがしたからかなぁ。まぁ悪い意味だけではないのですが。

設定に色んな無理を感じながらもこのクローンたちの悲哀というのが感じられてなかなかに切なかったですね。知らないうちに成長した我が子(とクローンが信じさせられている子)と通信がつながるところなんかは、やっぱり辛かったな。SFノスタルジック悲劇ってとこでしょうか。最後の最後の展開を見ると悲劇で終わるわけではないのかな。でも、大企業のズル賢さでサムベルのクローンの訴えなんてひねりつぶされるのでは?と思ったり。

オマケこの未来の大企業、韓国籍みたいですね。少し前なら確実に日本だったような…時代の流れでしょうか。(ワタクシは日本の経済が世界の中でトップにいる必要はないと思っている人間ですが)


第9地区

2010-04-13 | シネマ た行
なんじゃあ、この映画ぁ?

いや、これね、ピータージャクソンが製作の無名監督(ニールブロンカンプ)の作品で「なんじゃあ、この映画ぁ」な映画だってことだけを知ってたんで、作品の内容はまったく見ないようにして行ったんですよ。絶対そのほうが面白いだろうと思って。

ドキュメンタリー、ニュース映像風(モキュメンタリー)の冒頭から怒涛のように、本編になだれ込んでいきます。ここで、一気に乗り切れなかった人はもうずっと乗り切れないかもよ~。

この作品をモキュメンタリーにしたことが、ヒットの原因と言えるでしょうね。普通に町にUFOが来て、エイリアンを難民として助けてってのをストーリーとして描いちゃうと一歩引いて見てしまって、くだらないB級ムービーになり下がってしまうところ。

エイリアン難民を助けて収容地区(第9地区)を作ったはいいものの、地元住民との衝突などの問題が起き、さらに山奥に作った新たな収容所にエイリアンたちを移送することに。超国家機関のMNUの職員でこの移送計画を指揮することになったヴィカスシャールトコプリーがエイリアンの作った謎の液体を顔に浴びたことで、腕の先がエイリアンになり、そこからエイリアンに変身していく。

というここの展開から、モキュメンタリーからSFアクションものへとスムーズに移行するんです。

ヴィカスはエイリアンを馬鹿にしていたし、エイリアンの卵を破壊して大喜びしていたような人間だったのに、自分がエイリアンになりかけるというハメになって、人間には実験台にされるし、エイリアンに助けを求めるしかないという状態に陥ってしまう。ここで、思いもかけないエイリアンとの友情物語にまで発展してしまうというまさにハチャメチャな展開。あー、これ全然ダメな人は全然ダメな作品なのかも…

あとで振り返ってみると、まさになんやこれーな作品なんやけど、見ている最中はもう食い入るように見てしまいましたよ。ヴィカス役のシャールトコプリーも最初はなんか気持ち悪いタイプの男に思えたのに、途中からよく見ると実は顔もハンサムやんって思えてきて。最初と最後で、(人間→エイリアンというのは別にして)完全に別人です。最後なんかマジでほろっと来ちゃったし。あのエビ型エイリアンに哀愁まで感じるようになっちゃうんだから不思議です。

舞台が南アフリカなこともあって、この「人間VSエイリアン」が「白人VS黒人」という構図を風刺してるっていうのが評価につながってるっていうのがあるんだろうけど、ワタクシは逆にそっちはどーでもいいかなーって感じ。そんな社会的にどーとかこーとかじゃなくって単にエイリアン映画として面白い。宣伝のうまさとかもあったんでしょうねぇ。そういうのもひっくるめてみんなやられちゃったって感じ?

画面が埃っぽくって、汚くってねぇ。血とかカメラに飛んでくるし。こういうのがダメな人もダメかも。全体的に好き嫌いが激しく別れる作品なのかもしれませんね。ワタクシは好きなほうで、すべてはストーリーどうのこうのより、設定と作り方の勝利だと思いました。

トワイライト~初恋

2010-04-01 | シネマ た行

この原作本はアメリカで女子中高生を中心に爆発的にヒットしたらしいのですが、日本でもそれなりにヒットはしたのかな?うちではにゃおが読んでいて、寝る前に逐一ストーリーを説明してくれてその後に必ず「cokyも読む?」って聞かれたんやけど、「いや、もういまストーリー教えてくれたからいいわ…」って。というわけでワタクシもなんか知らんけど、読んだ気になっている物語であります。

冴えない女の子ベラクリスティンスチュワートとバンパイアのエドワードロバートパティンソンの禁断のラブストーリーってやつですね。原作ではベラは不細工な女の子という設定らしいけど、映画ではもちろんそういうワケにはいきませんよね。

クリスティンスチュワートって最初に「パニックルーム」でジョディフォスターの娘として登場したときにはもっとボーイッシュな印象だったんだけど、最近「イントゥザワイルド」で見たときにはすっかりキレイな娘さんになっていてちょっとビックリした。ちょっと受け口なのと姿勢が悪いのが気になるんだけどね。ベラは暗い雰囲気だから彼女に合ってるかも。

ロバートパティンソンは「ハリーポッターと炎のゴブレット」でそこそこ大きな役でしたが、若手スターナンバーワンにまで急にのし上がった感じですね。

バンパイアの動きを表現するシーンでエドワードがベラをおぶって、木と木の間をめまぐるしく駆け巡るシーンがあるんだけど、そこがなんかサルみたいでちょっとカッコ悪かったなぁ。あと、バンパイア一族の顔の青白さはちょっと酷すぎるよな~。あれじゃ、ほんとに「バンパイア」ってあだ名つけられそう。しかし、エドワードはもう何年も生きてるのにわざわざ高校に通う必要があるのかな?地域の人に疑われないためか。それなら、しばらくしたらまた引っ越さないと歳取らないことがバレちゃうね。歳取らないと言えば、エドワードの家に、いっぱい卒業のときにかぶる角帽が飾ってあって、ファミリージョーク的になっていたのが面白かったな。

あと、吸血一族がロザリーニッキーリード以外、親切にベラを受け入れるのが意外だった。あんなに簡単に人間を受け入れて大丈夫なんだろうか?おかげでジェームズキャムギガンデットたちともモメちゃうし。まぁ、相手が悪いんだけどさ。

ジェイコブテイラーロートナーたちのキラユーテ族は狼の血族なんだよね。吸血鬼と狼男たちが関わりあうのって最近の傾向?「怪物くん」では仲良くしてたけどね

全編、女子中高生が好きそうな少女マンガ的臭さがプンプン。エドワードもベラもくっさいセリフをばんばん言ってくれちゃって、もうそれにドキドキするような年頃でもないワタクシはドキドキよりもなんかぞわぞわ。その辺はちょっと笑っちゃうんだけど、お話自体はつまらなくはなかったです。これは全部で何本になるのかな?3本?それにしても、こういう形式で映画を公開するのが普通になったのはやっぱ「ロードオブザリング」の功績が大きいね。こういう形式は好きじゃないなぁなんて言ってたけど、段々普通になりつつあるもんね。

「マイレージ、マイライフ」を見た直後にケーブルテレビで見たので、アナケンドリックが登場して驚きました。どっかで見たことあるなぁと思ったけど、分からなかった。ベラの人間のお友達役だから、今後のシリーズに出るとしても大きな役ではなさそうですね。

このあとのシリーズは1本目よりも盛り上がってくるでしょうね。楽しみです。


ダレンシャン

2010-03-15 | シネマ た行

ワタクシは全然知らなかったんですが、この作品の原作本は世界中でベストセラーになっているそうですね。全12巻で、今回は最初の3巻が映画化されたとか。

あ~、どうりで。最初の3巻が映画化されたっていうのは映画を見てから知ったんです。そういうことだったのね。見終わってから「え?これってただのイントロダクションやん」と思いました。そりゃそうですね、あと9巻分あるんですから。

ただのイントロダクションやん!とは思いましたが、内容はなかなか面白かったです。ダレンシャンを演じたクリスマッソグリアくんは結構ハンサムだし、これからの活躍が楽しみなところですね。主人公のダレンシャンが高校生ですから、ちょっとまた急いで続きを撮らないといけないんじゃないでしょうか。

物語の中心は毒クモに刺された親友のスティーブジョシュハッチャーソンを助けるためにその解毒剤を持っているバンパイアクレプスリージョンC.ライリーと取引をしてハーフバンパイアになったダレンシャン。バンパイアたちは人間を殺さずに気絶させて少しだけ血をもらうことで生きながらえており、そんなまどろっこしいことはせずに人間の生き血を吸って殺してしまうバンパニーズたちとは長年争っている。ダレンシャンはバンパイアの味方としてバンパニーズと戦うことになるが、彼が命を助けたはずの親友スティーブはバンパニーズたちの仲間になってしまっていた。

これからハーフバンパイアのダレンシャン&バンパイアたちVSスティーブ&バンパニーズという戦いが繰り広げられていくらしいのだけど、今回はまずどうやってその構図が生まれたかってことと、バンパイアのクレプスリーが身を寄せている「シルクドフリークス」という見世物小屋の仲間たちが紹介されていく。

クレプスリーが見世物小屋を棲み家としていることから仲間たちは団長のミスタートール渡辺謙、サルのようなしっぽのあるレベッカジェシカカールソン、全身うろこの蛇男エブラパトリックフュジット、予知能力のあるヒゲ女マダムトラスカサルマハエック、その他いろいろ奇妙な連中がいっぱい登場する。昔「アリーマイラブ」に出ていたジェーンクラコウスキーが自己再生女として登場していてちょっと嬉しくなった。バンパイアだけではなくてこういう連中がそれぞれの特色を生かしてこれから活躍してくれるのかと楽しみだ。ダレンの両親がどうしてあんな下品っぽい人たちの設定なんだろうと思うんだけど、これからはもう登場しないのかな。

原作はどうか分からないけど、なかなかに笑えるセリフなんかも結構あってこういう若い人向けのアドベンチャーものにしてはウィット富んでいて楽しめた。

ミスタータイニーマイケルセルヴェリスという本人はバンパイアでもバンパニーズでもないのに、戦争を好むっていうことで二つの勢力を喧嘩させようとしている黒幕がこれからどんな役目を果たすのかよく分からないんだけど、バンパイア側にもまだ登場していない仲間がいそうだし、次からはウィレムデフォーももっと登場しそうだし、これはいくつのシリーズを作るつもりか知らないけど、頓挫せずにきちんと全部作りきってもらいたい。


誰がため

2010-01-14 | シネマ た行
ナチス時代のデンマーク。レジスタンスのフラメントゥーレリントハートとシトロンマッツミケルセンはデンマーク人の中でナチスに協力している裏切者たちを暗殺していくという任務についている。しかし、密告により、仲間がゲシュタポに捕らえられ始めたことや、ボス、ヴィンターピーターミューギンからデンマーク人ではなくドイツ人を暗殺する命令が下ったとき、組織内部に疑念を抱き始める。

フラメンはまだ20代前半の青年。シトロンは40代の妻子をもつ中年。彼らのコンビのそれぞれの背景も描きつつ、レジスタンスの闘志の葛藤を描く。

シトロンはナチスがデンマークに侵攻してきた日、その隊列を見て吐いた。彼は何かせずにはいられなかった。彼がレジスタンスの存在を知ったとき、愛する家族をかえりみることを忘れレジスタンス活動に没頭してしまい、妻ミレホフマイーヤリーベルトはそんな彼に愛想を尽かしてしまう。愛する者を守るためにレジスタンス活動をしてきたであろうに、ものすごく皮肉な結果になってしまう。そして、作戦の失敗によって子供を殺してしまったこと。同じような年頃の娘を持つシトロンにとっては耐え難いことだっただろう。まさに「誰がため」に?という疑問がわく。

フラメンはシトロンと違い冷徹に人を殺す。裏切者だと考えるからこそそれができた。そんな彼が組織内のケティスティーネスティーンゲゼを愛したときから、そしてその彼女が組織の裏切者で自分が密告されるかもしれないという窮地に立たされたときから、彼の中でいままでの全てが狂い始めた。ケティを信じたいという気持ちと裏切者は許せないという気持ちの狭間で彼は、どのような結論を出したのか。結局彼はケティを信じたのかな。いや、彼は多分ケティが裏切者だと知っていて、それでもケティの中の自分を愛してくれた気持ちを信じたのだろう。裏切者を容赦なく殺していったフラメンの中での大いなる矛盾だ。愛とはそういうものなのかもしれない。

シトロンと妻との切ないやりとりに胸を突き動かされつつ、フラメンとケティの緊迫した関係にハラハラする。そして、彼らのおかれた状況の辛さ。戦争というものはあらゆる種類の悲劇を引き起こす。

作品全体に重厚な雰囲気が流れていて、ちょっと映画に慣れていない人にはとっつきにくいかもしれない。そして、レジスタンス組織のメンバーや上層部の人間関係、軍部の思惑など少し分かりにくいところが多い。フラメンとシトロンがホフマンクリスチャンベルケルの暗殺に失敗したあとの展開が、特に分かりにくいかなぁ。そこが大切なラストなんだけどね。

フラメンを演じたトゥーレリントハートはワタクシはお初にお目にかかりました。「天使と悪魔」に出ているそうですが、未見です。繊細な役が似合いそうな人だなぁと思いましたが、フラメンの印象のせいかもしれません。
シトロンを演じたマッツミケルセンはもうデンマーク映画と言えば必ずと言っていいほど登場しますね。日本で言うなら役所広司とかそんな感じの人?
ナチスのゲシュタポの隊長ホフマンを演じたクリスチャンベルケルは、もうこの人が出てきたらナチスの悪玉っていう印象だなぁ。この作品では最後にフラメンとシトロンに彼なりの慈悲を見せていたけれど。

デンマークにもナチスが侵攻していて、そこにはレジスタンス活動もあったということはあまり知られていないと思うので、勉強のためにも見てみるといいと思います。

ダニーザドッグ

2010-01-12 | シネマ た行
監督は「トランスポーター」のルイレテリエだし、製作・脚本はリュックベッソンとくれば、まぁ展開としては甘いドラマなんだろうなぁという予想をまったく裏切ることのない(詰めの)あま~い物語なんですが、そこはやっぱりモーガンフリーマンジェットリーという異色の顔合わせが結構カバーしてくれました。

それに加えてボブホスキンスだもんね。この人は本当に良い人から極悪人まで幅広くやってくれますよね。すごく演技がうまいもんだから、悪い役をやっているときの彼は本当に憎たらしい。日本ではもしかして昔々「スーパーマリオ」の実写版をしたおっちゃんとしか認識していない人が結構いるかもしれませんが、実は色んな作品で様々な役柄を演じているイギリス人の役者さんです。

ジェットリーってワタクシそんなに得意じゃなかったんですけど、この作品の彼はすごく可愛く見えたな。このときで42歳?撮影当時だともう少し若いとしたって40歳は越えてるんだから、可愛いっていうのはちょっと失礼かもしれないけど、子供のときから奴隷として育って世間ずれしていない役だから、彼のカタコトの英語も違和感なく、元々のアジア人的なおぼこさと役柄がマッチしていた。ちょっと物悲しい感じでね。それでいて、戦闘シーンではもちろんあの迫力。あの鉄の首輪を取ると一気に別人になるところはカッコ良かったな。意外や意外ジェットリーにはピッタリの役だったということですね。

結局ダニーのお母さんはどうしてあんなマフィア風情と関係があったのかとか、最後どうやって警察の追及から逃れたのかとか、多少脚本にはほころびがあるものの、それでも見ているときの面白さは十分にあると思います。奴隷として育ってきたダニー(ジェットリー)と目の見えないサム(フリーマン)との交流や、サムの義理の娘ヴィクトリアケリーコンドンとの交流も心温まるものがあったし、なんと言っても(ネタバレしちゃうけど)最後まで“いいもん”が誰も死なないところがいいかな。こういう心温まるギャング系の(いま勝手にジャンルを作った)映画って絶対最後に主人公が死んじゃうんだよね。最後に愛を知って良かったみたいな感じで。だから、この作品もダニーは最後死ぬんだろうなぁと思って見てたんだけど、死なないでほんと良かったよ。

そんなに気合を入れずに軽い気持ちで見るといいかもしれません。

東洋宮武が覗いた時代

2009-08-19 | シネマ た行
第二次世界大戦中、アメリカにいた日本人、日系人をカメラマン宮武東洋が写した写真と、当時を生きた人々の証言によるドキュメンタリー。

大戦中、アメリカで暮らしていた日本人一世たちとその子供たちは砂漠地帯に作られたいくつかの収容所に入れられた。ワタクシはこの事実をアメリカと戦争をしていた国の国民だったのだから、当たり前と言えば当たり前だと思っていたのだけど、この作品で示されるように、当時でもイタリア系アメリカ人やドイツ系アメリカ人は特に収容などされなかった。日系アメリカ人だけがこのような目に遭ったのは人種差別以外の何物でもなかったということだ。

その収容所のうちのひとつマンザナ収容所に収容されたカメラマンの宮武東洋。彼はこっそり持ち込んだカメラのレンズと、収容所の中で手に入る材木で手作りのカメラを作り、収容者たちの写真を撮っていた。でも、カメラは作れてもフィルムはどうしたのか?当時、収容所で働くアメリカ人の中にはこのような日系人の境遇に同情する者も多く、宮武氏の才能を認める者も多かったようで、彼らがこっそりとフィルムを収容所内に持ち込んでくれたらしい。

今現在、収容者たちの中で生き残っているのは二世と呼ばれる人たちだ。彼らの証言が綴られるが、どうしても当時の日本の状況と比べてしまい、いくら収容されていても、当時の日本人たちに比べたらずっとマシじゃないかという気持ちが彼らにとても失礼だと思いつつもあった。しかし、映画が進むうちに、彼らの境遇を当時の日本人と比べることは無意味なことだと分かってきた。彼ら二世はアメリカで生まれ、アメリカ国籍を持ち、アメリカ人のアイデンティティを持ってアメリカで暮らしてきたのにも関わらず、同じアメリカ人に収容所に入れられたのだ。そして、アメリカに忠誠を誓うよう半ば強制され、天皇を否定するよう言われた。その時点で一世と二世の間で軋轢が生まれる。親子の間が国家に引き裂かれた瞬間だった。そして、アメリカに忠誠を誓った二世たちはアメリカ軍として戦争の前線へ赴き、輝かしい成績を残す。それは彼らの意地だったのかもしれない。

印象的だったのは一世たちは「仕方がない」という日本人らしい発想でこの状況を乗り越えようとし、二世たちは自分たちでこの苦難を切り開こうとした。というところだった。どちらが正しいか間違っているかではなく、これこそが文化の違いというものなのだろう。天災の多い日本では苦難を「仕方がない」と考え、状況に身を任せつつ生活を続けていくということが必要だったのも頷けるし、アメリカで育った二世たちにその心情が伝わらなかったのも理解できる。

現代の日本とアメリカの街角で、この第二次大戦中の日系アメリカ人の収容について知っているかと質問する場面があるが、両国でほとんどの人が知らないようだった。ワタクシは「愛と哀しみの旅路」という1990年のデニスクエイドとタムリントミタの主演映画でこのことを知った。当時の日系人とアメリカ軍人との恋を描いた作品で日系人の収容所のことが描かれていた。もう20年近く前の作品だし、いまの人たちが知らないのも無理はないのかもしれないな。基本的には恋愛ものだったが、収容所にいる日系人の中で尊皇に傾倒していく者とアメリカ軍に従事する者とが描かれていた。

宮武東洋さんの作品が何点も映し出されるが、その中でも当時の芸能人を写したものは写真の世界にまったく詳しくないワタクシでも見覚えがある写真がいくつもあった。ワタクシはこの作品を戦争を伝える映画として見に行っただけで、宮武さんのことは知らなかったので、お~そんなに有名な人やったんやーと認識を新たにした。

そのときの立場はどうであれ、「戦争」というものに翻弄される人々。「戦争」は人間の生活を奪い、青春を奪い、家族を奪う。戦死しなくとも家族が国家によって引き裂かれる。これからも語り継いでいく必要がある。

オマケ1幼い頃強制収容所に入れられた三世としてあのロス事件のジミーサコダさんが登場したので、驚いた。他にもダニエルイノウエさんは日系人で初めてアメリカ上下両院議員になった人ということらしいが、ワタクシは彼のことは知りませんでした。

オマケ2二世の方々がもう相当なお歳にも関わらず、みなさんとても溌剌としていて、おしゃれにも気をつかっているし、積極的に外に出て活躍してらっしゃる様子がとてもアメリカ的に映りました。血は完全に日本人なのに、やはりアメリカで生活しているとアメリカ人っぽい感じになるから不思議ですね。

沈黙を破る

2009-05-22 | シネマ た行
20年以上に渡り、パレスチナ・イスラエル問題を取材してきたフリージャーナリストの土井敏邦が監督したドキュメンタリー。

「沈黙を破る」とは占領地の任務についた経験のあるイスラエルの兵士たちによって作られたNGO。

彼らは、イスラエル軍が占領地で行っていることがどんなに自国を蝕んでいるかをイスラエルの一般市民に向き合ってもらうために、占領地で起こる残虐なこと、虐待、略奪、殺戮や、自分の中の変化を語るためにこのNGOを立ち上げ、2004年6月イスラエルの首都テルアビブで占領地での写真を展示する展示会を開いた。

土井氏は、この「沈黙を破る」のメンバーに話を聞くと同時に、パレスチナ側の住民にもインタビューを行い、ここで起こっていることを両サイドから見せている。

最初に占領される側のパレスチナの被害が語られる。ここで、印象に残ったのはボランティアで来ているアメリカ人女性が泣き崩れるシーンだ。ボランティアで来ている人が、こんなところで泣き崩れるなんて、多分厳しい地域でボランティアをしている人たちにとってはお笑い草なことなのかもしれないけど、ワタクシは彼女の行動に人間らしさを見出し、心を揺さぶられた。「こんなことが起こっているのはアメリカのせいだ。私はアメリカ人であることを恥じる」という彼女。そんな彼女に「私たちと同じように苦悩している」と現地の人は理解を示す。

圧倒的な軍事力を持つイスラエル。パレスチナは敵。若者は兵役につくのを当然のことと考え、占領地に向かう。彼らは兵士が怪物に変わるのは簡単な事だと言う。毎日、残虐な出来事を目にしていると、自分の気持ちをシャットアウトして、そのことについて深く考えないように努める。そしてついには、それに慣れてしまう。

「沈黙を破る」のメンバーが証言してくれる内容が、それぞれとても印象的だ。彼らは、占領地で起こることを告発して、まるで国に逆らっているように思えるが、実はそうではない。彼らこそ、自分の国の行く末を真剣に考え、このままではこの国は死んでしまうと懸念している。イスラエルの人全員が、この現実を直視しなければならないと。彼らは、左翼でも右翼でもなく、ただ自国民に現実を見つめることを求めている。

彼らの一人は言う。「“兵士たちはとても大変”と言うがそれは違う。軍隊の任務は大変なんかじゃない。人は簡単に怪物になれる。それが問題なのだ。兵士が大変と人事のように言っているが、問題はそこではなく、国民一人一人が自分のしていることを振り返って見なければいけない。我々はあなた方一人一人が“敵”に送った“兵士”なのです。我々はあなた方の“拳”なのです」そして、別の兵士はイスラエルの諺を引用してこう言う。「他人の過ちから学べ。すべての過ちを犯す時間はないのだから」つまり、彼らはイスラエルのことだけを言っているのではない。ここで起こっていることは世界中のどこにも当てはまることなのだと。

このNGO団体の顧問をしているラミエルハナン氏は、自らの14歳の娘をパレスチナの自爆テロで殺されたのにも関わらず、「すべての争いの解決には、結局は“話し合い”しかない」と言う。最愛の娘を殺されながら、その発言ができるエルハナン氏にとても感動した。

憎しみを憎しみで返しても何も解決しない。占領は自国民をも蝕む。それを知って欲しい。自分のしてきたことや、自分の息子のしたことを否定したくないばかりに、息子のしていることに反対する両親や、パレスチナの子供よりもイスラエルの子供のことを考えろという政治家にも彼らは冷静に話し、理解を深めようとする。彼らの言うとおり、これはイスラエルでだけ起こっていることではない。たくさんの国の国民が自分たちのしていることに目をつぶって生きている。そんなワタクシたちの目を覚まさせてくれるドキュメンタリー作品。見る人が少なすぎるのが残念だ。

ダイアナの選択

2009-04-17 | シネマ た行

高校での銃乱射事件が題材の作品で久々にウマサーマンの主演映画だし、見に行ってみるかという軽い気持ちでまったく予備知識もなく出かけてみると、小さな映画館だけど、思ったよりも人がいたので、そんなに話題になってったっけ?と思いながら鑑賞し始めました。

32歳のダイアナ(ウマ)は哲学教授であるポールブレットカレンと幸せな結婚生活を送っていたが、自分の子ども時代にソックリな娘エマのことを愛しつつも反抗的な態度に悩まされていた。そんな彼女の出身校では銃乱射事件から15年を迎え、慰霊祭がおこなわれるところだった。ダイアナは銃乱射事件の心の傷が癒えず、サバイバーの一人として慰霊祭に行くべきかどうか迷っていた。

17歳のダイアナエヴァンレイチェルウッド。銃乱射事件前。彼女は思春期特有のいらだちを抱え、反抗的ですぐに学校に母親を呼び出されるような生徒だった。そんな彼女にもモーリーンエヴァアムリという真面目な親友ができる。

17歳のダイアナはきっと誰もが少しは経験したことがある思春期の社会や大人に対する反抗的な態度を見せる。しかし、彼女は根っからの不良で勉強ができないタイプではなく、きっと頭の回転が早くスマートでこの年齢独特の純粋さを持っているがゆえに大人の汚さや要領の良さが耐えられずに反抗しているというのが分かる。そして、そんな彼女も信頼できる先生の助言によって、そんな時代を少しずつ卒業しようとしている過渡期で、自分に自信を持ち強くしなやかに飛び立つ寸前の若者だった。そんなとき、あの忌まわしい銃乱射事件が起こり、犯人の同級生はダイアナとモーリーンの二人に銃をつきつけ、「どちらかを殺すからどちらか選べ」と言う。

17歳のダイアナと32歳のダイアナを行き来しながら、物語は進む。32歳のダイアナは幸せな家庭生活を送り、美術の教師になり、自分の青春時代を投影するような生徒たちの力になろうと努力している。一方、15年経っても事件はダイアナの心に暗い影を落とし、トラウマに苦しんでいた。

途中から、32歳のダイアナの世界が少しずつおかしいことに気づいて、これは一体どうなっているんだろう?この物語はどこへ向かうわけ?と思っているとドーン!

あ、やられた。

そういうことか。こういう結末か。そう。途中から変やなと思ってるときに原題の「The Life Before Her Eyes」っていうのが気になってたんよね。それはどういう意味やろうって。んん。なるほど、そういう意味か。って、これラストシーンを書かないと何言ってるかさっぱり分からないと思うんやけど、このブログは基本ネタバレありでやってるブログなんやけど、この作品に関してははっきりは書かないでおきます。

見たあとの感想は、すごく良かったです。作品のキーワードは“良心”“選択”。それについて、考えずにはいられない。そして、あのときのダイアナの心の内と選択に思いを馳せずにいられない。そして、そんなダイアナを愛おしく思わずにいられない。あとから考えるとポールが哲学教授だったことや、生物の先生が教えてくれること、ダイアナとモーリーンが将来について語り合っていたことなど、意味深なことがいっぱい。なんてうまくできた作品なんだろう。いままでにない不思議な表現方法で、観客に人生とは?を問いかける。それと同時に、ワタクシ個人としては主人公ダイアナを愛しく思い始めていた矢先の出来事だっただけに、きっと彼女自身がちっぽけで取るに足らないものと思っていたであろう彼女の人生すべてを抱きしめてあげたくなった。

単館系でしか上映されていない作品だし、確かにシネコンでやるタイプの映画ではないけれど、少し映画に慣れている人には絶対に見て欲しい作品です。

オマケエヴァンレイチェルウッドは、いままでマリリンマンソンとのツーショットとかでは見ていたけど、まだエヴァンだとはっきり認識して映画を見たことがなくて、フィルモグラフィーを見ると「ミッシング」とか「シモーヌ」とかに出てるんだけど、覚えてないなぁ。そして、今回初めて彼女を認識して映画を見たら、演技もうまいし、なんせもうセクシーなことセクシーなこと。マリリンマンソンとつきあってるときの変な影響を受けたメイクのイメージしかなかったからビックリしてしまったなぁ。「インタビューウィズバンパイア」でキルステンダンストとクローディア役を最後まで争ったということに非常に納得。これから要注目の女優さんです。


ダウト~あるカトリック学校で

2009-03-12 | シネマ た行
んー、むずかしかったなぁ。なんて言うか、うーん、むずかしいっていうのとはちょっと違うか。結局は最後の最後まで、本当のとこが分かんないっていうことがこの感情の源なんだと思うけど、このスッキリしなさ感が「うーん」っていう気持ちになっているわけで、映画そのものがむずかしいとかつまらないということではない。

もともとが戯曲っていうのが、本当によく表れている映画ではあると思うけど、劇のほうを見ていないからなんともいえないけど、出演者の目の表情とか、カメラの角度とかそういったことが劇では表しきれない表現がしてあって、計算されつくしている感じがした。

主な出演者4人(メリルストリープフィリップシーモアホフマンエイミーアダムスヴィオラデイヴィス)が4人ともアカデミー賞にノミネートされたというのが、本当に納得の演技合戦。特にメリルとホフマン、メリルとヴィオラデイヴィスのやりとりは、もう見ていてゾクゾクするような、これでもかこれでもかという演技の応酬だった。メリルとホフマンのほうは、実に丁々発止という言葉がピッタリのやりとりで、あまりにも二人の迫力が凄すぎて、ときに会話の内容をスルーしてしまっている自分がいた。メリルとヴィオラデイヴィスのほうは、それとは対照的に静かなやりとりから徐々にヴィオラのほうが感情の高ぶりを見せるのだけど、そのときの彼女の演技が本当に素晴らしい。こんなに出番が少ないのに、ノミネートされたというのがよく分かる。

人間の中に渦巻く「疑惑」という感情をエグってみせる作品だが、人間が人間に対して持つ「疑惑」とカトリックの世界では人間が神に対して持つ「疑惑」というものがある。神に対して、人間は「疑惑」を持つことさえ許される立場ではない。ワタクシの勝手な解釈だが、最後のシスターアロイシス(メリル)が言った「疑惑」とは神に対するものじゃないのかなと感じた。性的虐待の疑いがある(シスターは勝手に確信している)フリン神父(ホフマン)は、学校を追放されるどころか、昇進してよそへ移っていった。自分がどんなに追及しても、どんなに訴えても、この組織の中で神父を失墜させることはできない。自分は正しいことをしても神はお救いにならないのか、と彼女は神に対して「疑惑」を持ったのではないか。そして、それは敬虔なカトリックである彼女にとっては、これ以上ないほどの苦しみであるだろう。神父は黒か白かは分からない。それを黒だと決め付けたのは彼女だ。つまり、その苦しみをもたらしたのは彼女自身に他ならない。人間の心に巣食う「疑いの気持ち」がどれだけ人間を蝕むか。それを表現しているということなのだろうか。

シスターアロイシスは厳格な人間ではあるが、年を取って目が見えなくなりかけているシスターへの気遣いなどを見ると、ただ冷徹な人間ではないことが分かる。フリン神父が他の神父と食事をしているときに神父としての品格に欠けるような会話をしている。そんなところからも観客にも同じように巧妙に「疑惑」を抱かせるような作りになっている。

シスターアロイシスに「疑惑」の種を植え付ける新人教師のシスタージェイムス(アダムス)は、フリン神父の言い分に納得したと言うが、果たしてそうなんだろうか?フリン神父が「不寛容な人たちに負けないで、“愛”を持ち続けることが大切だよ」と言ったとき「“愛”?」となぜか彼女は驚いたような顔をする。「神父様は何をもって“愛”とお呼びになっているのですか?」とでも言いたげな目をしていたように思えたが、これはワタクシ自身が疑心暗鬼になってしまっているせいなのか?

ある種の問題作という意味では非常に優れた作品であると考えられるが、映画的には、もう一歩踏み込んだ真実がどこかにかすかなヒントでも隠されていれば、もう少しスッキリしたかもしれない。この作品が素晴らしいものになっているのは、役者たちの力量によるところが非常に大きいと感じた。

オマケ1もの凄く力の入った演技だったメリルストリープには申し訳ないのだけど、あのシスターの衣装はぜんぜん似合ってなかったね

オマケ2映画にはまったく関係ないんですが、子どもの頃トランプで「ざぶとん」っていうゲームしませんでした?あれって、「doubtダウト」がなまってそうなったって本当ですかね?